prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「だれかの木琴」

2016年09月21日 | 映画
常盤貴子扮するかなり裕福な暮らしをしている主婦が、たまたま入った近所の美容院の池松壮亮の美容師を気に入って何度も指名するようになる。

そこから頻繁にメールを送るだけにとどまらず、自分の家のベッドルームの写真を撮って送ったりと、少し美容師として気に入っただけにしてはやや常軌を逸してはいないかという行動に出ていくのだが、あとで池松の妻に非難されるように「ストーカー」の一言で済ますには奇妙に淡々として行動としては行き過ぎているのに情としてはおよそべたべたしないのが面白く、描写そのものに静かなサスペンスが持続する。

常盤貴子が端正な美人な分、何考えているのかわからないのも効果的。
使っているのがガラケーでパソコンは持っているのかどうかもわからないというちょっと今風から外れた感じ。

常盤の夫が昼間に家に戻ってきてまるで浮気でもするかのような調子で迫ったりするあたりの夫婦の距離感が独特のクールさを持っていて、無機的な住宅のヴィジュアルといいちょっと森田芳光を思わせたりする。

実際、中盤でヘリコプターの音だけがひどく響いてきたり、ヒロインが昼寝するところで終わったりするあたり、はっきり「家族ゲーム」を意識しているのではないか。
エンドタイトル後に「もう頬づえはつかない」のラストに近い趣向あり。

監督の東陽一はキャリアとしては森田より長い人で、「もう頬づえはつかない」のヒット以来"女性映画"の作り手として登板することが多かったわけだが、もともとドキュメンタリー畑の人でじいっと対象と距離を置いて何か対象も意識しないような何かが出てくるまで見つめるといったまなざしの持ち主。

ところどころちらっと幻想がそれにはわからないような調子が入ってきたり、普通ならもう少し描写を重ねるところをさっと引き上げてしまうので一瞬現実ではないような感じになっている(編集は監督による)。
(☆☆☆★★)

だれかの木琴 公式ホームページ

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9月20日(火)のつぶやき

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