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「時代」・2(再掲載5)ー本当のヘミシンクー

2023年09月24日 | 音を聴く耳

音楽を楽しむ。と、いうことをシェアする。

と、いうことを書いていく前に、

その男性の基本的なスタイルをかいておきたい。

彼の職業は老人介護施設の運営であるが、

その介護にあたるポリシーが心に響く。

具体例として、いえば、余命いくばくもない老人が彼の施設に入所すると

余命がのびる。

痩せさらばえ、生きる希望を失い、

あまつさえ、生きていくことに引け目や負い目さえ感じているように思える。

そんな老人にまず、しっかり食べることを薦めていく。

そして、手厚い介護。

老人の心の中にあっただろう「どうせ、死ぬ」「迷惑をかけるばかり」と、いう思いが

ぬぐわれていく。

一日でも長く生きるため。

体に栄養を補給し、ベストな状態になるように

自分の体と精神と存在を大事にしろと

介護職員も老人に手を尽くしていく。

なによりも、自分の命を貴重なものとして対峙してくれるその心に

老人は生きている喜びをみいだすのだろう。

もう、一月ももたないといわれても納得するほどに憔悴し、やせ細った身体。

その瞳に映っている物はー虚無ーとかー諦めーとかしかなかったろう。

所が、彼のポリシーが信念になっている施設に入所すると

老人はみるまに、生気をとりもどし、

「しっかり、たべえよ」と、いう彼の声に励まされ

余命をすぎ、本当に命が終える時には

つややかで、血色がよく、身体もふくよかになり

余命3ヶ月でなく、1年~3年とのびた余命を充実して過ごすことになる。

 

(このあたりの考え方は、高橋のメンテナンスにも良く似ている。

本来の能力を発揮できていない機器がおおく、

オーバーホールなどで、そのままでは、余命いくばくもなかったか、

生きるしかばねのような音をだしていたか

本当に生きているという状態でないものを本来の生命力に復帰させる。と、いう点で。)

 

その介護施設に彼は高級機と言ってよいシステムを設置する。

へミシンクのこともあって

昨今では、音楽療法というのも、あり、

施設の環境(精神的なゆとりをもたらすという)と、療法として

設置を承認、あるいは推奨する場合もあるらしい。

が、彼の場合はこの様な療法的な結果を当て込んだ思いや作為からのものでなく

彼自身が「音」に魅了されていたせいでしかなかった。

何台も機器を聞き、この音はすばらしい。と、唸った彼は

おそらく、実に単純明快だったとおもう。

「入所者の人たちも、こんな音をきいてほしい。こんな心地よい思いをあじわってほしい」

人は愛する者たちにたいして、自分が味わった「幸福」を、同じように味わってほしい。と、おもうものだろう。

小さな子供が(おいしい?)ものをたべたら、お父さんにもお母さんにもあげると唾でねちょねちょになったものをさしだしてくれる。

時にうつくしい景色を自分ひとりみたら、家族のみんなにもみせてあげたい。と、思う。

今頃、シェアなんて、ややこしい言い方になってるけど、そんな感情は誰もがもっているものだろう。

彼はその心のままに従った。

いくつもの介護施設にシステムをおく。

それも、なまはんかなものでなく、「良いシステム」をおく。

よくヘミシンク等に対して、批判的な意見が書かれている事が有るが

代理としては、非常に疑問を持つ。

生体に対して精度の高い結果を期待するのなら、

音をだすシステムもかなり精度のあがったものでなければなるまい。と。

この点でも、理論や理屈でなく、結果を当て込んでの療法でなく

「良い音をきいてほしい」と、いう純粋な思いから生じた行動は

すんなりと「良いシステム」を選ぶ。

よき友人のように施設の入所者を思う。

この姿勢が人をどれほど幸せにしていくか。

そんな彼の音作り(生き様)に、少しでも貢献できたことを

高橋は誇りに思っているだろうと代理はおもっているが

輪をかけて、してやったの、どうだという高橋では無い。

とにかく、「少しでも良い音をひきだしてやる」

と、やんちゃ坊主のように、必死になる。

ただ、それだけの思いだからこそ

彼の様な 豪放かつてらいなき、単純明快な思いの方がよってくるのだろう。


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