テレビを見てゐたら、大江篤といふ学者(園田学園女子大学人間教育学部教授)が出てゐて、「怪異学」といふ学問について語つてゐた。それがとても面白かつた。
霊的存在がゐるかゐないかを考へるのはオカルトで、霊的存在がどのやうな働きをしてきたか(と人々が思つてきたか)を考へるのが怪異学であるといふ。前者がオカルトかどうかは措くとして、後者の視点はとても大事だと思ふ。「現象」こそすべてであるからである。実体があるかどうかに議論を進めると、それこそ神学論争になつてしまひ、議論は決して深まることはない。歴史的な事実を検証することは大事なことであるが、それと同じくらゐかそれ以上に大事なことは、その事実を人々がどう受け止めたかといふことである。
さて、その先生がおつしやつてゐたことでとても興味深かつたのは、「祟り」といふのが本来神様が人に及ぼすものであつて、人が人に及ぼすものではなかつたといふことである。
その先例が崩れたのが、桓武天皇の弟である早良(さはら・サワラ)親王の祟りからである。兄の桓武天皇からある嫌疑をかけられ、潔白を証明するためにか、桓武天皇から強いられたのかは定かではないが、絶食し亡くなつた。その後、桓武天皇の母と后とが相次いで亡くなり、それが「祟り」として認識されたと言ふ。
祟りとは「立つ」「あり」が約(つづ)まつたものであるとのことで、神が現出するといふのが本来の意味であるといふ。それが何を元に言はれたのかは言はれなかつたが、とても興味深かつた。