よい授業をすれば、学力が身につくのか。あるいは、悪い授業だと学力は身につかないのか。
学力と授業のよしあしを、日常的には簡単に結びつけて言つてしまふが、はたしてさう簡単に言へるのかどうか。もちろん、ここでも学力とは当面「テスト得点力」のことだと割り切つてのことである。
その上で、学力と授業のよしあしは、たぶんあまり関係がないだらう。
学びの発動にとつて、よい授業とは、マラソンのスタート時のピストルぐらゐの意味しかないのではないか。その後の42.195kmは、やはりその人の走る力によるのである。つまりは、授業とはそれだけのものでしかなく、学びを発動させるきつかけである。ではそれはとても小さなことかと言へば、その通りであるともその通りでもないとも言へる。
つまり、スタートしてゐない生徒とは、言はばピストルの音が聞こえてゐない生徒のことでなのだから、その生徒の耳にピストルの音が聞こえるまで何度も鳴らし続けなければならないのである。
となれば、授業のよしあしとは、ピストルの音がよく聞こえるかどうかといふことである。眠らせず、興味を抱かせ、学ぶ必要性を感じさせる、それは教師の役割であらう。
では、学びの発動は、どのやうに維持できるか。今年度は「自学自習」について考へていきたい。