今日は、舊暦の元旦。中國や韓國では民族大移動が行はれてゐる。かつて韓國で新暦の正月を迎へたことがあるが、靜かなもので暦通りの街の樣子であつた。
暦とは不思議なものだ。人間が作り出したものであるのに、不思議と自然の動きを的確に示してゐる。いやそれを言ふのなら自然の動きから生み出したものが暦であるといふのが正解だらう。しかし、その暦にも新暦と舊暦と西暦と年號とがある。世界中には色々な暦がある。それでゐて困つたといふことを聞いたことがない。
人間が作るといふことは、それぞれの民族や文化によつて違ふものが生まれるといふことである。しかし、それでゐてそれぞれが交通し合へる、そこに普遍性がある。その程度の共通項さへ見出せればいいのではないか。何やら今は、世界を一つにといふことを急ぎ過ぎてゐる樣に思へる。
日本の社會はいつから新暦になつたのか、おそらく明治時代からであらう。西暦を取入れた邊りからだらうか。近代化した中國や韓國が今も舊暦を尊重してゐるのなら、日本も舊暦で良いのではないか。
東京大學が秋入學などといふことを言ひ出した。漱石の『三四郎』も眞夏に熊本から東京に向かふ車中を描いてゐる、明治の時代の大學生も秋入學だつたなどと、したり顏で書いてゐる新聞もあるが、果たしてそれでいいのだらうか。
暦はその國の文化である。無理に國際化する必要はあるまい。