ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

これはミッションだ。ウラ目の法則を活かしていこう。

2013年03月31日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

アベノミクス効果で高い支持率を誇る安倍晋三総理。 

第一次内閣の時は抜擢人事で首相になるも、どこか頼りない印象だったのに、下野して、辛酸を舐めてからのほうが足に地が着いたように頼もしく感じられる。
前任時代に敗者が復活できる社会の実現を提唱していた通り、一敗地にまみれながら一国の首相の座に返り咲いてみせたことにエールを贈る向きも多い。
失敗は成功のマザー、が虚言ではないことを自ら示してみせて、勇気を与えた。

決してぺらぺらと大仰にしゃべるタイプの方ではなく、むしろシャイな印象を受けるくらいなのだが、
負けや挫折からカムバックした逞しさが自信となって滲み出ているようで、風格すら漂っている。

( ↓ ) 久しぶりに読み返してみた。JFKも背中や腰の痛みを抱えながら闘ったひとだった。

 

( ↓ ) 西田文郎(ふみお)先生というアスリート指導で有名な方が唱える『ウラ目の法則』に勇気をもらいました。
    抜き書きするだけで、勇気が湧いてきます。これもまた虚言ではないと信じようと思います。

人生にウラ目はつきものです。
それはあなたが頑張ったからこそのウラ目なのです。
頑張らない人にはウラ目という事態は起こりません。当然の結果が待っているだけです。
しかし、そうは言っても、ウラ目が出た瞬間は「まさかこんなことになるとは」と、途方に暮れた状態になります。
まさに、ガンになってしまった方の状態そのものです。
ところが、実はウラ目は、あなたの人生の一里塚というか、乗り越えるべきステップというか、とにかく成長のために必要な段階なのです。
ですから、「ウラ目」が出たら、成長のチャンスだと思ってください。
あなたが新たな学びを得て、一段階成長する絶好の機会なのです。
ところで、あなたにウラ目が出たということは、前提としてあなたが頑張っていたということも重要ですが、もうひとつ忘れてならないのは、ウラ目が出るに至った過程のなかに、なんらかの問題があったということです。
問題があったからこそ、ウラ目が出たのです。
これが今回、あなたが学ぶべきミッションです。
このミッションをクリアして、学びを得れば、成長が待っているということです。
ウラ目をひっくり返したら、待っているのは、進歩という小さな変化ではなく、進化という大変化です。
ガンというウラ目を克服した後は、おそらく人生観が変わってしまうくらいの変化があるはずです。
心配することはありません。ウラ目は必ずひっくり返せます。
なぜなら、ウラ目をひっくり返したら幸せが待っているとわかった段階で、もう半分くらい「ウラ目」はひっくり返したようなものですから。
「なってしまったものは仕方がない。問題はここからだ。さて、どうやってガンを克服してやろうか」と考えながら、ガンを克服した時に出会えるはずの、素晴らしい景色に思いを馳せてほしいのです。
人は同時に2つのことは考えられませんから、プラスのことだけ考えるようにしていれば、マイナスの気持ちは入り込めません。
マイナスな気持ちに陥ったら、すぐにアンソニー・ロビンスに教えてもらった「気分管理の方法」で気持ちを切り換えて、ガンに勝つこと、ガンを克服することだけにスポットをあてて、考えるようにしてください。

ガンは5年以内に日本から消える! ー症状を抑える「対症療法」から原因を治す「原因療法」へー (経済界新書)
宗像 久男,小林 英男

経済界

アンソニー・ロビンスとは、レーガンやゴルバチョフ、マンデラ大統領に至るまで、多くの人に影響を与えたカリスマコーチ。
今さら単純なポジティブ・シンキング? ではない。
インスパイアしてくれるか否か、ということは時として理屈よりも圧倒的に重要だ。
 

アンソニーロビンズ UPW (Unleash the Power Within)

些細なことだけど、30年近くになるタバコの習慣を、即日やめた。
コーヒーやチャイの香りを愉しむようになった。

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My Valentine-Paul McCartney FLUTE COVER

2013年03月30日 | お気に入り♪(ビートリー_見つけもの)

もう4月になろうとしているのに季節外れだけど、とても整ったアンサンブルのMy Valentineです。

聞き惚れてしまいました。

My Valentine-Paul McCartney FLUTE COVER

こちらは、ぐっと春めいたイラストが楽しいHeart of the country、最近でた、ポールのセルフカバーです。

ついでにもうひとつ、キレイな映像を見つけたので。

Heart of the countrytと同じ時期に出た Another day、

春曇りのような心の日が続く毎日、So sad, so sad.

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禁煙にまつわるエトセトラ ~ ひとりぽっちのロンリ―ナイト

2013年03月24日 | 日記

即日禁煙を宣言してから、まだ3日ちょっとしか経ってませんが、もう「ノン・スモーカー宣言」しときます。

" 何を待ってるんだ? もう終わったんだよ、君はもうノンスモーカーなんだよ"

この本にも記されている通り、タバコを辞めたその時から、もうあなたはノン・スモーカーなのです。
タバコを嫌いになったと決めるのです。
禁欲してタバコを我慢しているのはスモーカーであって、ノン・スモーカーではありません。
スモーカーが何年我慢しても、ある日をもって突然にノン・スモーカーになるということはないのです。

" 禁煙してからXX週間経ったって? それでこれからどうするんだい? 人生ずっと我慢するつもりかい? "

タバコを吸う習慣の奴隷状態から解放されたことは、本来(タバコが吸えないで)我慢している惨めな状態ではなく、喜ばしい状態なのです。
何か愉しみを奪われたように考えるのは、タバコの罠にはまっているだけ。 

禁煙っていう言葉はよくないですが、「ノン・スモーカー宣言」をした祝祭日の記念として、
禁煙にまつわるエトセトラを愉しみたいと思います。

さて、これって、なんだか禁煙ソングみたいだと思いませんか ??
冒頭、ヤカンで沸かしたお湯を注いだマグカップを大事そうにかかえて、寒そうな屋上ですするシーンから、
コーヒー片手にタバコも持たずに、何やら寂しげです。

I can wait another day until I call you キミに会えるまで 何日だって待てるよ
You've only got my heart on a string and everything a flutter ボクのハートをときめかせるのはキミだけだ

後追いのコーラスまで、ウダウダしてて秀逸すぎる。。
~ and another, and another、、
あと一本、もう一本、、って言ってる風に聞こえる。

But another lonley night might take forever  でも タバコ吸えない淋しい夜はずっと続くのかもね
(and another, and another) 

そんなに何年もかかっていては困るけど、禁煙とはちょっとした意識改革なのである。 

May I never miss the thrill of being near you  君のそばにいられるスリルを失ってなるものか
And if it takes a couple of years           何年もかかるかもしれいけど
To turn your tears to laughter            涙を笑いに変えてみせよう
I will do what I feel to be right            ボクはやるよ、正しいと信じていることを

そして、" No more lonely nights, もう寂しい夜はごめんだ ″ と歌うポールの背景に、
タバコの火もない寂しい夜の空に幻想のように打ち上がる花火の祝祭‥!!

これはもはや禁煙ソングなんていう腰抜けピューリタン的なヌルイものではない。
真夏の夜の夢の如く、タバコを喪失した夜の幻想を、ある種のファンタジーにまで高めた芸術作品なのではないでしょか。

ほんとに、これってポールが禁煙を自らに課して作った作品なのでは??と思えてきました。 (-。-)y-゜゜゜  ← もうこいつは似合わなくなりましたけど。
タバコを失った喪失感も、恋に破れた喪失感も、痛みを感じる脳の部位としては同じような箇所であって、
両者共に、心的現実に占めるパーセンテージは相応に大きいでしょうから、
「タバコは低俗で愛は高尚なもの、一緒にするなよ」、という意見があったとしたら、否定はしませんが、美しい嘘を含んでいるような気もします。

   

さて、タバコとコーヒーをセットにしていたので、コーヒータイムをタバコ無しで過ごすというのは高難度のスキルを要求されました。。

スタバでヘーゼルナッツシロップがけのラテを注文するなんて、これまではあり得ない選択肢。
シアトル・コーヒーはブラックのアメリカン・エスプレッソ以外に興味はなかったし、そもそもスタバはタバコ吸えないので用がなかったのです。
(でも、やっぱり、tullysで飲むアメリカーナがいいかな。)

これからは、紅茶を飲む頻度をあげようかな、などと考えています。
タバコに合わせる必要がないので、もっとフレーバー・ティーみたいなを愉しんだほうがいいんでは、と。

( ↓ ) まだ在庫が1パックだけ残っていた。
    上品なお紅茶ではない、パンチの効いたガラナの香りが刺激的なMilfordのRestart。
    (これ、もう探しても見つからないのです。強烈な紅茶をご存知の方がいらしたら、ぜひ教えてくらはい。m(_ _)m )

    紅茶の世界にも、革新があってもよさそうなものです。
    シアトル・コーヒーが、薄いアメリカン・コーヒーといった常識を覆して、新しいダイナミックなコーヒーとして浸透していったように。
    上品な英国紅茶の概念を覆すような、ウィルキンソンのように強烈なジンジャー・ティーとか、目の覚めるような新味のラインアップでの展開は、
    コーヒーよりむしろ紅茶のほうがポテンシャルが高いような気がするし。

 

 さすがに古かった、賞味期限2006年か。。

 ガラナの香り、多少とんでましたが健在。タバコなしのフレーバー・ティー習慣、いいと思います。

  <初稿 2009.12.12>

初稿時にいくつかコメントをいただいていますが、当時は禁煙とはまったく関係のない、単なる曲紹介でした。
曵いたりドリップしたコーヒーでなく、
質素でヤカンで沸かしたお湯をマグカップに注ぐだけのインスタントドリンクで
夜更けの冬の淋しさを紛らわしている。
むかし 原点はこうだったよな、いつかまた このフィーリングが懐かしくなったら戻ってこよう、みたいなことを書いてました。

ちょっとふざけて、禁煙にひっかけた記事になってしまいましたが、書いていたとおり戻ってまいりました。ちょっと視点を変えて。

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椿姫と木蓮と

2013年03月23日 | 日記

満開の桜たちが 黒い枝で手招きをする

腕いっぱいにあらん限りの花を咲かせて 誘うように風に揺れる

目が眩むような桜の花の群れ。ウォーリーを探せ、みたいだ。

日の光りと花の影がクロスしたときに、魔法の時間が始まるのだ。

″ 桜にばかり目をとられて気づかないのかしら。わたしよ、椿よ。″

 

おぉ椿姫、なんと美しいことか。

ガールの続編っぽく。( 秋桜 )

Paul McCartney - A Certain Softness - Lyrics

A certain softness in her eyes
Fascinates me,   More than I ever thought it would.
彼女の瞳にある たしかな優しさ
それはなんて魅惑的なんだろう


A certain softness in her eyes
Got me hooked, Got me hooked... 僕はすっかり虜になってしまう

A kind of sadness in her smile
Captivates me, Surer than anything that's sure
彼女の微笑にある 悲しみ
僕はとらわれてしまう 間違いなく他の何よりも

 

The kind of sadness in a smile
Got me hooked, Got me hooked...
   

If I could even find the words to tell her
I wouldn't want to anyway
もし彼女に言うべき言葉が見つかったなら
そんなことはどうでもいいけどね

'Cause that could only break the spell
And you know very well,  I couldn't betray her
だって魔法をとくにはそれしかないんだ
わかってるだろ、裏切るなんてあり得ない

  
ぼろぼろになっても 護っているのだ。

A touch of wildness in her style,
Haunts my memory, More than I ever thought it would



うーむ、ちょっと息切れ、くるしかったか。

話は変わりますが、モクレンの花が近年好きになりましてね。
もともとは、西洋種のマグノリアの可憐な花姿や、モクレンの花の匂いがいいなぁと思っていたのですが、
バサバサと花びらを落とすモクレンも悪くない。

思うに、お彼岸の頃にお寺などでもよく見かける木蓮というのは、実に仏教的な感じのする花です。
字も、木に咲く「蓮」になってるし。
で、見てると、木蓮というのは、大ぶりで芳しい花を咲かせる一方で、茶色く花びらが濁って、見事な老いさらばえぶりを見せて、バサっと倒れるように花びらを落とす。
お彼岸の頃というのは、お寺の繁盛期、そんな時季に老いさらばえて、お寺の庭でバサバサと倒れてもらっても困るのでは、とも思えます。

そんなことを考えていると、いやいや待て待て、との異論が頭をもたげました。

″生老病死を、春という花の時季に、ダイナミックに演じ切るところに木蓮の凄さがあるのではないか。″

桜の潔さとはまた違った、くたばり、病に苦しみ、老いさらばえながら、花芯を残してゆく形の美学として。

なんだか煩悩の苦しみから解脱した仏にも似て、神々しくも見える。

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今日の誓い、ふたつ

2013年03月21日 | 日記

ここ数日は気温がぐんぐん上がり、先日、東京では桜の開花日が史上最速を記録。
こないだまで寒かったはずなのに、すごい勢いで春めいてきました。

水鉢に浮かぶのは冬に咲くクリスマスローズ。
わずか小さな一鉢ですが、朝の光を集めるように輝いてとても清々しい気分になります。

今日の誓い、ひとつめ、
タバコをやめることにしました。(よくある、「宣言」作戦です)

タバコとコーヒーはブレイクタイムのセットになっているので、少し自信がないのですが、
その度に、目の前、鼻の前の匂いや感覚を味わうようにして、
″ほんとに、あんな不味くて後味の気持ち悪いものを吸いたいと思ってんの?″って、自問自答する「間」を持つ。
いわゆる『止観』の技を使って、意識にあげて、止めてみる、ということをやってみようかなと。

コーヒーだけで口さみしい、タバコが欲しいと思ったら、
コーヒーの匂いや香ばしさを、鼻や舌でころがしてみて、これまでより、ごろごろと味わうようにするのです。
人間は大抵の場合、二つを同時にはできないはずなので、口元の意識が別のところに集中していれば、あんまり「不味い」タバコが入り込む余地なんてないはずなのです。

このクリスマスローズの写真、なんだか、この『止観』を象徴している風にも見えたので。

今日の誓い、
もうひとつは、気持ちの持ち方として、「悲しみにすることは止めよう」ということです。
(禁煙と同格にして話すのもどうかとは思いますが、心の技化としては同じようなレベルだと思います)

1週間が経ち、一通りの精密検査も終えたのですが、診断確定には至らず。
しかし、いつまでも、そんなフニャフニャにつきあってるわけにもいかないでしょ。
焦る必要はないですが、ある程度は先を見越して、ハラをこしらえておかないと。

本人だけでなく、家族や周囲の人達にも、それぞれに違った現実があります。
現在進行形の今を生きている限りにおいては、美しい哀しみの物語を作ってしまうことほど、愚かなことはないと思います。
心や感情に溺れてしまうような愚を犯すべきではありません、
ほんとうに美しい物語が、そんなに陳腐なものであるはずがない。
「心は自分ではない」、自分は心や感情の御者になると決めるのです。
もっと、腰を落とし頭をつけて、泥臭く、推し進めてゆくパワーや、開き直りのほうが、現場では遥かに重要です。
現場にいるのですから、現場ではどうすべきか、現場の闘い自体に価値を見出していったほうが、ベターな方向へのチャンスが出てくる。
ベターにしてゆく感覚というのは、快感物質の分泌にもつながって、楽にもつながるような気もしますし。

感傷や悲嘆に浸るタイプの奥さんだったりするとタイヘンですが、私はそういう意味でも恵まれていると思います。
現場、現場に、シンプルに向き合っていくことができる。

ちょうど、子どもがHey Judeを学校の音楽の時間かなにかで歌っています。
世界を背負い込んだような風になるほど愚かなことはない、
少しでもベターな気分になる方をチョイスしてゆくこと。
「悲しみにすることは止めよう」です。

The Beatles Hey Jude-With Lyrics

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shape of my heart ~ 秘密と水仙と

2013年03月20日 | 読書ノート

検査の待ち時間が長くて、手持ちの本を読み終えてしまったので、病院の売店でめずらしく読み物系の本を購入。

今さらではありますが、つまが面白いと言っていたので。

スキーバスの事故で死んだはずの平介の妻 直子の心が、生き残ったはずの娘の藻奈美の肉体のなかで生きている。
5年、9年、、ひとには信じられない現実が、流れ去っていく物理的な現実のなかで二人の秘密として生き長らえていく。
しかし、時間を経て、その秘密は、成長し変化し続ける物理的現実との間で、いつしか徐々に歪んでいく。
現実を見ろよ、というやつだ。

そして、秘密は現実との間で交換を迫られ、永遠の秘密となる約束が交わされる。永遠の秘密を認める首肯によって。

 

「心は自分ではない」、もうひとつの心を「ナチュラル」に生きてゆくと決めた直子のWill、
いわゆる" 鉱脈 "に触れる物語だと思う。
(アデルの倍音)

目に見える現実とのトレードオフを余儀なくされた心的現実は、永遠に秘密の約束となり、現実世界との折り合いをつけることになる。
現実というものの線引きを巡る、切なくも深い物語。
(心的現実性こそが重要である)

なぜか、StingのShape of my heartが聴きたくなったら、ありました。
「all this time」に収められていたお気に入りのバージョンが。(前はなかった。 ジャン・レノ& Shape of my heart

「翻訳は良い趣味である」 ~ 内田 樹

以前、断念してた翻訳を試みてみることに。 

 

He deals the cards as a meditation  彼は瞑想に耽りながらカードを配る
And those he plays never suspect   彼のふるまいには疑念の余地も無い
He doesn't play for the money he wins 彼が欲しいのは金ではない
He doesn't play for respect          尊敬を集めたいわけでもない
He deals the cards to find the answer  彼はただ答えを見つけようとしていた
The sacred geometry of chance        偶然の中にさえ神聖な幾何学が潜み    
The hidden law of a probable outcome   目に見えない法則が結果を必然的なものにする
The numbers lead a dance            数が我々の営みを支配しているのだ

I know that the spades are the swords of a soldier       スペードは戦士の剣
I know that the clubs are weapons of war          クラブは戦いの武器
I know that diamonds mean money for this art        ダイヤはすべてが金であることを意味する
But that's not the shape of my heart               けれど、私のハートはこんな形はしていない

He may play the jack of diamonds     ダイヤのジャックが手に入ると

He may lay the queen of spades       スペードのクイーンが置かれる

He may conceal a king in his hand            手にキングを隠し持ったまま
While the memory of it fades         思い出は消えてゆくのだろう


And if I told you that I loved you     もし私が愛していたと言ったなら
You'd maybe think there's something wrong  あなたはそれは違っていると思うのだろう
I'm not a man of too many faces         そんなに幾つもの顔を持った男ではないよ
The mask I wear is one             被っているマスクは一つしかないのだから
Well, those who speak know nothin'   誰もがいろいろなことを口にするが、何も分かっちゃいない
And find out to their cost            いつか失ったものを知ることになるのだろう
Like those who curse their luck in too many places    様々な場面で不運を嘆き
And those who fear are lost                      失うことを恐れていたとしても

お彼岸、義母にもうちに来ていただいて、体験談もあれこれと。

ははが好きだった水仙、今年は花を見かけないなと思っていたら、つまが庭に咲いてるのに先に気づいた。
梅を見るのはどうも気がすすまなかったが、水仙を見たら嬉しい気持ちになった。
去年も水仙は、再出発を後押しするように咲いてた花だったので。

 

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花鳥を愛でに

2013年03月16日 | 日記

桜の枝のなかに 見事に調和しているメジロ

 

ぼくらの訪れた桜の木に メジロたちの群れが同時訪問、

目の周りの白いふちどり、どうぞご覧あれ~ って感じで、振り向いてくれた。

サクラの花が真綿のように見えます。

ほっぺたをくしゅくしゅさせて 気持ちよさそだ。

 

こんどはサクラの花に 背中を掻かせている。すごく気持ちよさそだ。 なでなで。
(もっと、腰あたりまで手を伸ばしてもらってもいいぞ。)

 

遠くでは ひよ鳥も 桜に遊んでおりました。

空と地面を分かつ緑の生垣から、すっと白い枝を伸ばす白樺と台湾緋桜(寒緋桜)、

春の日を浴びて コンクリートの壁に、ドサッと投げ出された花束のような緋桜の影の固まり、陰だけでなく匂いまでも光に乗ってくるようでした。

桜の開花が早そな春、もう満開の台湾桜。 

沖縄では、桜というとこの寒緋桜を指すらしいです。

羽根は折れ、目はしょぼしょぼ、傷つき疲れて、なお飛ぼうとするブラックバード。
鳴いているのは暗い闇夜だけど、春よ来い、的な暖かさがある。

Paul McCartney & Wings - Blackbird (Seattle '1976)

今年は初詣にも行ってないからと、元を担いで、近くの神社におまいりがてら、花鳥を愛でに。

明日の日曜は検査の中休み。「強力な二人」のDVDでも観ようかと思ったけど、まだ出てないらしい。

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Only our hearts

2013年03月14日 | 日記

やっぱり隠れ家をひとつ持っておくというのは大事なことだ。

知ってるひともいるので、完全な隠れ家でもないけど、このブログのコンセプトはそもそもそこが原点だった。

ここなら、FBとかと違って、パーティーにそぐわない、クラくてプライベートなことだって書きやすいし、
多少アタマの中が裸であっても、気にすることもないし。

とんだホワイトデーになりました。

腰の痛みがひどいので今週末土曜日予定だったMRIを昨日3/13の水曜日に変えてもらいました。
症状的にみて、ほぼ間違いなく椎間板ヘルニアの診断が出るかと思ってたのに、腰椎の4番、5番あたりに腫瘍と思われる陰が。

別の病院で至急診てもらいなさいと、その場で予約電話の指示が看護婦さんにとび、今日の朝イチからさらに大きな病院へ。

整形外科的には、骨盤にある腫瘍が坐骨神経を圧迫してたり、腰椎に圧迫骨折がみられたり、といった所見なのですが、
大事なのは、腰痛の腫瘍そのものの原因を引き起こしている内科の所見とのこと。
(インフルで意識朦朧としながら、電車で尻もちをついた時にやったのかもしれない)

すぐに内科に廻されて、血液検査の結果、腫瘍マーカーの一部に高い値が見られるのですが、最悪の事態ということでもなく、
精密検査を順番にしてみないとわからないというフニャっとした所見。
病院の設備の空き枠を使って、明日から順番に精密検査をしてゆくので、入院するということもなく。

しかし、長期間の療養生活を覚悟しないといけません。
(昨晩は、もっとハラを決めてましたけど。恐れの谷と疑いのジャングルの森を渡る晩 )
仕事的には、プロジェクトが4月からますます人手が必要になる時期なので、代わりたってもらわないとまずいです。

遅めの昼食に気になってた店の牛すじカレーにありつけたので、アップしてたら、ホワイトデーはともかく結婚記念日のカウントを間違えていたことに気がつきました。

先日2月に、″18ホール目のアニバーサリー″みたいな記事をアップしたら、18ホール、1ラウンドしたみたいに勘違いしてましたが、
まだ17回目でした、ホールアウトしてませんから。
(記事タイトル、ややこしいので変更しておきました。~を加筆です。18ホール目のささやかなお祝い ~ 17th Anniversar
 と思ったら、今度は″ y "が抜けて、アニーばあさんみたいになってる。おもしろいから、そのままに。)

こういう勘違いは昔からでして、長男が生まれる時に、はじめは「太」のついた名前にしようと考えていて、
1月が予定日だったので、当時住んでたマンションの屋上でわざわざ初日出の写真を撮ったり。
結果、「太」ではなく、なぜか点が一個足りない「大」で画数をカウントしていて、その名前はあんまり評判もよくなかったのでお蔵入り。
だいたい十月十日で誕生した長男の満年齢のあとに、年齢と同じ数のアニバーサリーがくるから勘違いするのです。ややこしい。

( ↓ ) 気分転換に、去年どうだっけと見たら、16回目のアニバーサリーに歌ってみました、とある。役に立ちました。
    (この歌、アメリカ等の方からもお褒めの言葉を頂いたので、再掲。おっほん。)

Only our hearts /

今日、どのみちシロクロついたら、帰省した際に友人から貰ったワインで乾杯しよう、と言ってたのですが、お預け。

まったく、ゴルフライクでgolfyな生活とはほど遠い、闘病生活ブログに変わってしまいますが、
(まもなく、チャンピオンベルトでなくて、コルセットも出来上がってきますし)
腰の痛みがましな時には、PCにも向かえるし、現実に向き合いながらブログくらいはやっていこう、と思います。

しばらく、ふざけた副題でやってきましたが、原点に戻って、のれん、掛け替えておきます。 Face the Strength !!

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恐れの谷と疑いのジャングルの森を渡る晩

2013年03月13日 | 日記

今はそんなところなのかも。

「真夜中にさまよう」眠れない夜だったが、過ぎてみれば、あの時のイデアはあの時空のものでしかない。

時間は流れない、世界が流れる - She's Leaving Home

  

私たちは山の頂を目指す苦労は厭わないが、山を降りる勇気はなかなか持てない、そういうものだと思う。

しかし、谷間を渡り、第二の山を目指す努力も引き受けないと。
山の喩え ~ 40歳をピークとした人生像からの脱出

まるで五木寛之さんの大河の一滴のアメリカ版みたいだ。こちらはソウルフルで勇気を共有できるよな感じ。

18年前、新しい始まりの前の頃に、クルマでよく聴いていた曲だ。
あれから1年が経って、四半世紀を超えた集まりがあって、廻る大きな時間の周期の中にいるような気がする。

ぼくは一生こうしているのかもしれない。
川のことなんて、深くて広いから、わかったようでわからない。
ニュートンだってそんな発言をしているし、きっと誰だってそうだ。

真夜中に眠りの中でさまよう
気高い山から深い川へと

僕は探しているのだろう
無くした神聖なものを
でも川は広くて とても渡れない

(川は広いと知っていても) 夜毎に歩いて岸辺に立つ
(向こう岸に渡りたくて) 探し物はきっと見つかるよ

真夜中に眠りの中でさまよう
恐れの谷を抜けて 深い川へと

探してるんだ 魂から奪われてしまったものを
失いたくないものを 盗まれてしまったんだ

(夜中になぜさまようんだろう)
歩きたくない もう疲れたよ

(一生こうしてるのかな)
探し物が何か分かるまで

真夜中に眠りの中でさまよう
疑いのジャングルを抜けて 深い川へ

意外なほどに冷静でいられるのは、「心は自分ではない」のせいなのか、単にのんきなのか。
痛みや感情からすこし離れて立っている自分がいるような気がする。
★★『心は自分ではない』★★

ちょっと微妙な谷間の夜だけど、イデア的には大切な晩に思える。
心的現実性こそが重要である

~ 現実と呼ばれるものも実は線引きされたひとつの側面である、と思うことができれば、
   シュンとなる必要もなく自由な気分を獲得できるのではないでしょうか。

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3月11日(月)のつぶやき

2013年03月13日 | 旅と帰省とお出かけと

昨晩は楽しかったです。皆様ありがとう。さむいので、デッキで朝食、というひとはだれもいません。 pic.twitter.com/assJuqAu6v


腰がばかなので、予定修正を余儀なくされました。周りのすすめもあって、午前中の新幹線で東京に戻って、MRIもちゃんと撮ってもらいます。


新幹線で隣に座り合わせたご婦人が、富士山の頭だけがキレイに見えてますよ、と教えてくれた。たしかに、雲に取巻かれながら天辺だけが見えてるこのような富士山の姿はめずらしい。でも、ひとりで見るのがもったいなくて、声かけてしまってごめんなさい、という気持のほうがうれしく思いました。


腰は椎間板ヘルニアの可能性が高いとの診断。レントゲンではわからないことが多いらしい。仕事行くの大変でしょう、と痛み止めを沢山くださった。MRIは今日は一杯なので、週末までがまんするなら土曜に撮りましょうってことに。うー。(u_u)


慌てて新幹線の駅で買った「蓬莱 本館」の豚まん。先に戻った奥さんのとバッティングしたかと思ってよくみたら「551」ってちゃんと書いてる。ほんとに大阪人なのー、しんじられなーい。(・_・; pic.twitter.com/ZTQPFrIADl


友人のHくんに頂いたイタリアンワインが届きました。ありがとう~♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪ instagr.am/p/Wtxj3ur3Mg/


3/11に咲く庭のインフィニオン。ブルーの花をこれからいっぱい咲かせます。しかも、土や空気が合ってるのか、繁殖力がとても強いのです。 pic.twitter.com/cegm9S2cr9


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3月10日(日)のつぶやき

2013年03月13日 | 日記

あぁ、今宵もガラスの腰に悩まされるシンデレラ。ほうじ茶一杯 溜息をつく。早く寝息に変わってくれないかしら。?(_ _).。o○ pic.twitter.com/zqjRsWwh7P


皆と別れた後、今日は腰痛の寝不足疲れをとるためにホテルに戻って昼寝 (_ _).。o○ ヘロヘロでしたが、すこし回復しました。なんだか時間もったいないけど、ぜいたくといえばこれ以上の贅沢もない。 pic.twitter.com/bfLQ3qyLtC


ははとよく行った道頓堀 播重、久しぶりにお肉屋さんのビフカツカレーを食す。仲居さんが〝吉本の芸人さんが、ここで食べるようになったら一人前とかいわれます〝と言ってたすき焼き店とちがって、庶民的な洋食。ビフカツって近頃口にしないな。 pic.twitter.com/Mk8b1wkW19


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3月9日(土)のつぶやき

2013年03月13日 | 旅と帰省とお出かけと

るー、るるるー、、夜明けのスキャットになりそだ。(_ _).。o○ pic.twitter.com/8OPYM3wIpY


いよいよ、大阿闍梨に法要を営んでいただきにあがるのであります。なんまんだー、なんまんだー?


素晴らしい法要でした。建て替えた本堂は見事だし、子供たち向けに、あたりまえはあたりまえではないという法話も。少しかってがちがって照れ臭そうでしたけど、その後お宅で、奥様も交えて、おさべり。ワインまで手土産にいただきました。思い出に残る法要になって、ははも喜んでいると思います。


懐かしいー、千日前線に乗るの久しぶりー。今日は仕事でなくて、つるはしで焼き肉なのです。 pic.twitter.com/ZfKxbyLPfu


鶴橋、ディープ系はさすがに行列。大所帯だし、アジヨシ~ pic.twitter.com/Ox3nCO4c2T


宿をとったトラスティホテルは、偶然にも明日飲み会やるビルの隣でした。便利すぎ。 pic.twitter.com/5RgaL415vn


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秋元康になってみた。

2013年03月03日 | しょうもなくてすみません

これまでにも いくつか鼻歌で曲を作って遊んでみたけど、歌詞はシェイクスピアとかどっかから拝借してきたり、あるいはハミングだけで詞はつけなかったり。

そんなわたしが歌詞まで手がけた初めての作品がこれ。

(整形外科待ちのヒマヒマをつぶすためにクルマのなかで即興で作ったお粗末な歌で、あんまり 表に出すのもどうかと思ったが、
 よく考えてみると、作詞は初めてだったことに気がついた。
 この週末、わたしのなかでの最大のヒット・チューン、というか記念碑的作品ということになるので表に出してみることにした。)

すみません。画像もなにもありません。 ⇒ http://khu.sh/usersong_513150f30b9e1

世間の風に耐えたなら、画像つけて、アイドル・チューン風に録り直すかもしれません。

バカバカしいけど、まんざらでもないのです。ヽ(;▽;)ノ

整形外科で待つあなた

春の風は強くて寒い

仕方ないから来るまで(クルマで)待つわ

じくじく痛いわたしの心

どうして痛い? わたしの心??

じくじく腰が痛いからなの

 

 

コメント (2)
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真鱈の白子のムニエル ~ 男子の厨房

2013年03月03日 | 日記

先日のイタリアンレストランで、白子って洋風でイケるんだと確信。
ナマコとか、このてのモノは、奥さんは苦手とする分野なので、男子久しぶりに厨房に立つ。

ネットでレシピを検索したら、あるある。
白子をフードプロセッサーにかけるのは嫌がられたので、シンプルに小麦粉をまぶしたムニエルにすることに。
湯引きをせずに塩胡椒した後に冷蔵庫でねかせるレシピもありましたが、アクや臭みを抜く為に10~20秒ほど塩ひとつまみと日本酒を加えた沸騰したお湯でゆがいて、氷水で締めます。
キッチンペーパーで拭き取るときは白子の裏側までしっかりと。
トレーに上げて塩胡椒した後も水分が出てくるので再度拭き取り。
ビニール袋に小麦粉を入れておいて、その中でまぶすと、ムラなく満遍なく、手早くできる、
ところどころで主婦の知恵を借りながら。
できましたー、ビールにもよく合う「真鱈の白子のムニエル」。☆~(ゝ。∂)


バターとオリーブ油に白ワインで炒めたのですが、白子は淡泊なので、さらにバターソースを上からかけてもよかったかも。

みた目今ひとつですが、ナイフを入れると、なかはトロトロ。


外はカリッと、中はトロトロの食べ口を、たこ焼きに喩えてるコメントをネットでみましたが、言い得て妙。

きょもアプリからサクサクと。あとで音楽でも添えておくかな。

男子の厨房レシピ、なかなか面白いので、またそのうちに。

( ↓ ) 秀逸なライブです。若いころのオリジナルよりもいい味が出てるような気がする。

Billy Joel - Scenes From An Italian Restaurant (Live At Tokyo 2006)

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余香を拝す

2013年03月03日 | 日記

梅も盛りの頃ですが、今年はあまり見たいと思わない。むしろ、見たくない。

この漢詩を見つけたとき、この詩は私にも向けられたメッセージだと思った。 

詩のなかに名前を伴えて、清き香りを拝しなさいと言っている。 

偶然というよりは、必定を感じた。見つけるべくして見つけたもの。

去年の今夜、清涼に侍す

愁思の詩篇 独り断腸、

恩賜の御意 今此こに在り

捧持して毎日余香を拝す

裏歌詞というと聞こえがよくないが、良い詩には澱んでどろどろした現実や感情を、抽象化して昇華させるパワーがあるのだと思う。

昇華された結晶のような詩には、表立って顕れる言葉以上に深いものを感じることがある。

それは、そういうものが元々込められているからだ。

沖縄に行ったときもそうでしたが、海が好きでした。

寒風吹きすさぶ九十九里浜へ一緒に行ったときの厳しい海の様子を、その後も何度も思い出したように話していた。

砂が顔に当たって痛くて立っていられないくらいの、強い北風に遭って、難儀な思いをさせたとばかり思っていたのに、
荒々しい海の姿のほうが自然で懐かしかったのかもしれない。

The Beatles - Let it be Lyrics

When I find myself in times of trouble,
Mother Mary comes to me,
Speaking words of wisdom,
Let it be.

ポールが少年時代に亡くした母の名前はMary, 聖母マリアのことを歌ったゴスペル・ソングに昇華されているが、
パーソナルな哀しみと励ましが歌われている。

For though they may be parted,
There is still a chance that they will see,
There will be an answer,
Let it be.

たとえ別れがあっても また会う機会はやってくる、答えは在るはずだ、、と歌われる。

答えのない「一回きりの偶有性」が示す世界観というよりは、あるがままに従っても顕れるはずの宇宙の法則のようなもの、
必定について歌われているような気がする。

要素還元的な手法の限界だ。いくら細かく分析してみても、そこからは本質的なものが失われてしまう。

霊性やインスピレーション、Willといったものは、インテグレートする方向の時に生まれる、そういうものだと思う。

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