ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
隠れ家CLUBゴルフィーにようこそ♪

フィンチレーの不思議

2018年08月27日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

ウェールズ最果ての地ホーリーヘッドからの始発列車でロンドン入りして、
チェックインを無事に済ませた後、
次に向かったのはロンドン郊外の街フィンチレー。

(【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】ホーリーヘッドの試練)

つまは中高時代、イギリスのウェールズやロンドンで過ごしたのですが、
来る予定のなかったウェールズにこうして来たのは、今はもういない父に呼ばれたような気がする、

ようなことを言っていました。

 

ホーリーヘッドから約4時間、朝8時半頃にロンドン ユーストン駅に到着。
昨晩キャンセルせざるを得なかったラッセル・スクエアにあるホテル・プレジデントでしたが、
残り3泊はキープ出来たので、ロンドン計画は無理をせず、でいくことに。
この日は、自分の不注意を責めて元気を失くしているように思えたので、
チェックインを済ませた後は、
ウェールズの続きで、かつて住んでいたというロンドン郊外の街、
フィンチレーに行ってのんびりすることにしました。
 

ユーストン駅からNorthern Lineで北に30分程の所にあるキレイな街でした。
Northern Lineの車中で向かい合わせに座っていたのは、
つまの亡くなったお父さんを彷彿とさせるような、アジア系の紳士。
四角い顔、黒っぽい縁取りの眼鏡や、背格好が、
少し若かった時の義父にそっくりなのです。
そして、私たちと同じ、Finchley Central駅で降りていかれました。

これが、ホーリーヘッドの悲劇に続く、フィンチレーの不思議、です。

 

つまが住んでいたという場所まで、駅から続くBallards Laneを歩くと、
主にバスで巡ったせいかもしれませんが、

リバプールのPenny LaneやStrawberry Fieldsより、こちらの方が"らしい"のでは⁈と思えてしまうほど。

( ↓ ) まるでストロベリー・フィールズみたいなVictoria Park。

( ↓ ) Penny Laneかと思った。

 

( ↓ ) Penny Laneの歌に出てくるような郊外の青空(suburban sky)、散髪屋や花屋さん、銀行まですべてが揃っている光景。

   

( ↓ ) Victoria Parkを入った所に在る切り株がオール・シングス・マスト・パスでジョージが腰掛けてたやつみたいだ、
  と思ってたら腰掛けてたのは切り株ではなかった。

あちこちでブッドレアを見かけましたが、これまたイングリッシュ・ガーデン風のアカシアのような花。

懐かしいテニスコートらしい。

裏路地はどことなく日本的。

 

スーパーのTESCOが、当時のままだというので、日用品を買って帰りました。

ユーストンまで戻ると、21:00pm頃まで明るいので、メリルボーン駅へと。

( ↓ ) 映画Hard day's Nightのオープニングシーンで有名なボストン・プレイス。

 ポールが立っているのは、メリルボーン駅の1番プラットホームらしい。

( ↓ )これはリバプールのヒルトンですが、ジョージ・マイケルも愛されているのですね。

GEORGE MICHAEL HEAL THE PAIN FEATURING PAUL McCARTNEY

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロンドン中心部、路地裏や屋根上のレジェンドたち

2018年08月18日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

リバプールの話が続きましたが、今回はロンドン編。

霧のロンドンといいますが、そんな感じはまるでなく、
朝が曇り気味でも日が高くなるにつれて、晴れ間が広がっていく七月のロンドンの日々。

しかし、最終日になって、雨のロンドンも経験出来ました。 

雨が降り出したのは、SOHO SQUEREを入ってすぐの場所にある、ポールの出版会社MPLオフィス。

夕立ちと呼ぶには遅すぎる、夜20時近くになっての雨。
(雨降りなので暗めに見えますが、イギリスはこの時季、21時過ぎまで明るいのです。)


MPL Communications (2007)

     

( ↓ ) ポールがジョージ マーティンと、ビデオ「Movin' On」の中で
      オーケストレーションのアレンジに取り組んでいたバージョンが発表されないものか。

SOHOに入って少し先、こんな狭い路地に?って場所にトライデント・スタジオがある。



クイーンやデビッド ボウイをはじめそうそうたるロック・レジェンドがこのスタジオで録音している。
エルトン ジョンのYour Songだってここだ。

 


ビートルズもヘイ ジュードをはじめ、
間もなく発売50周年で話題になるであろうホワイトアルバムの頃から
当時アビイロードにはなかった最新の8トラックの機材があったせいなのか、頻繁に録音スタジオとして使っている。
(片やヘイ ジュードの有名な映像は、ロンドン郊外、トゥィッケナム・スタジオの撮影です。)

なんでも、ヘイ ジュードで使われたピアノがボヘミアン ラプソディでも使われているらしい。

Bohemian Rhapsody 英詩 和訳 コード

( ↓ )また別の日に、テムズ河観光を楽しんだ後に向かったのはフォートナム&メイスン。


裏手のサヴィル・ロウにアップルのオフィスがありました。
ビートルズのラストLIVE、映画レット イット ビーでおなじみのルーフトップ・コンサートが行われた場所。

 

向かって左手奥の紺色のドアのほうなのか、右手前の木肌のドアのほうなのか分からずにいると
地下階から続く黒い鉄製の柵のついた階段を駆け上がって来た子供にこっちだよ、って教えてもらいました。
(階段そばの紺色ドアのほう。)
今は子供服の店なので営業時間内ならルーフトップ以外は入れるそうです。
(写真は一見明るいですが、夜21時過ぎの旧アップルビル前の夕景。)

( ↓ ) ジョンとヨーコが出会ったインデイカ・ギャラリー。
   ここも路地裏にあって、パブの店員さんに訊いてようやく分かった。
  (店員さんはどちらかというとインデイカ・ギャラリーの数軒先にある「13」って書いてある
   スコッチ・オブ・セント・ジェイムズのほうがお奨めだったようで、ジミ・ヘンドリクスの名前を何回か言ってた。
   残念なことに写真に残せていないのだが、ビートルズ専用テーブルも当時はあったらしく、
   ポールはここでスティービー・ワンダーの演奏を初めて聴いたという。ジミヘンはロンドンでの初演奏だったらしいし、
   ストーンズやフーも来店していたらしい。)

 

 



 iPhoneの LIVE機能で撮った写真を繋げて、ちょっとした動画集にしてみました。

ロンドンのビートルズ巡り~ MPL、トライデント、インデイカ・ギャラリー、アップル


 ( ↓ )帰国してから購入。(出版が2018年8月15日、帰国後だ。)
イギリス旅行前に出版されていれば、メリルボーン登記所なんかにもちゃんと行けたであろう今様の地図。
現況についても情報がアップデートされているので実体験した感じに似ている。

とはいえ、ロンドン編だけしかなかったけど、こちらは重宝した。
トゥィッケナムについての記載とか、情報図鑑として充実している。

(プレジデントホテル前のギルオードSt前の写真に関する情報は、違っているかも。
 
上の本ではピカデリーサーカスのBBC前だ。)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マジカル“ ミラクル” ツアー 後編

2018年08月12日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

ポール7度目来日決定!のニュースがあった、その日のうちにと、
急いでバスツアーの前半だけでもとyoutubeにアップしたら、
車中で流れていたHere comes the sun♫が引っかかったみたいで動画がブロックされてしまいました。
マジカル ”ミラクル” ツアー )

後半部は車中で皆が歌うHey Jude♫が、国際版修学旅行かCarpool Karaoke みたいで良かったのですが、
やっぱりブロックされてしまうので大幅にカットしてアップし直し。

Magicai mystery tour 後編( Strawberry Fields, and early days)

( ↓ ) マジカルミステリーツアーのコース。

Itinerary: 
The tour lasts 2 hours and includes the following locations with stops for photos on the way:
Childhood home of Ringo Starr
George Harrison’s birthplace (passengers get off the bus here)
Penny Lane (passengers get off the bus here)
St Peter’s Church Hall (where John and Paul met for the first time)
Strawberry Field (passengers get off the bus here)
John Lennon’s childhood home
Paul McCartney’s childhood home (passengers get off the bus here)
Former schools and colleges of John, Paul, George and Ringo including the Art College and the Liverpool Institute (now LIPA)

Eleanor Rigby Grave | Paul McCartney Home LIVERPOOL (2018)

( ⇒ リバプール名所地図 )

 

どこか懐かしいリバプールの風景を見ていると、この曲、この映像がぴったり。
(今は大学4年になった長男がお腹にいた頃に聴いていた曲です。)
( ⇒ "Free As a Bird" プロモフィルムロケ地

The Beatles - Free As A Bird

 

ストロベリーフィールズは中に施設を作って観光地化が計画されているそうで、
遮られていて庭の中が見えなかった。

 

( ↓ )めずらしくジョンが門の前でポーズをとっている写真を見つけたので、少し真似てみた。

 

 

私は昔から、ジョンやポールになりたがる節があった。

これもたしか、息子のショーンと戯れているジョン レノンを真似たようなやつだ。

Menlove Avenueにあるジョンが育った家。
今から丁度60年前の1958年7月15日に、
ここを訪れていたジョンの母、ジュリアがこの家から100m程離れたバス停に向かおうとして、
家の前の中央分離帯を横切った場所で車にはねられて亡くなった。
ジョンの部屋は向かって左手端にある2階の部屋だ。

( ↓ ) こちらはForthlin Roadにあるポールの家。
   この家の裏庭の写真がアルバム「 Chaos and Creation in The Backyard」のジャケットにも使われている。

ここを訪問する丁度1ヶ月前の6月9日にはポール自身がここを訪れている。
(リバプール行きカウントダウン、偶然にも1ヶ月前にポールがやって来た! )

庭先には映像ではまだ見かけなかった白い花が咲いていた。
サンセベリアがつける珍しい花姿に似ている。

やがて、ジョンとポールが初めて会った、セント・ピーターズ教会のホール。
(ホールはエリナー・リグビ-の墓のある教会とは道を挟んだ反対側にある。
 後で知ったのだが、この時ジョンがクォリーメンというバンドで演奏した実物のステージが、
 アルバート・ドッグにあるリバプール博物館に展示されているらしい。)

( ↓ )  アルバート・ドッグにあるリバプール博物館には入らなかったが、
マジカル・ミステリー・ツアーでひと巡り出来たおかげで、
この後マージ―河からホープストリートまで、日がなリバプール散策をゆっくり愉しむことが出来た。

The Beatles Maggie Mae MIX

ライム・ストリート駅には泣かされたからな。

Oh dirty Maggie Mae they have taken her away
And she never walk down Lime Street any more

Oh the judge he guilty found her
For robbing a homeward bounder
That dirty no good robbin' Maggie Mae

To the port of Liverpool
They returned me to
Two pounds ten a week, that was my pay

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マジカル ”ミラクル” ツアー

2018年08月09日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

2018年7月7日 七夕へと日付を跨いだ0:01に羽田空港を出発したのと相前後して、
シンクロニシティ、
或いはセレンディピティと呼ぶべきではないのか、という出来事が続きました。
Magical ”Miracle" tourと化した時空にいるかのように。

The Beatles - Magical Mystery Tour (Trailer)

これまでに度々記事にしてきましたが、いったいこの共時性は何なのでしょう。

リバプール行きカウントダウン、偶然にも1ヶ月前にポールがやって来た!
( 渡英まで一カ月のサプライズたち(ポールの新曲まで出た)

そしてロンドンのアビイロードのゼブラを渡って来た1週間後には、ポールもアビイロードを渡っていました。
【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】半世紀後のアビイロードへ。

気のせいかもしれませんが、そこここに英国づいている感じがありました。
イギリス滞在週にはサッカーWカップでイングランドが28年振りにベスト4に進出し、

テニスではウィンブルドンで大会が開催されてましたし、
翌週にはタイガー ウッズが全英オープンに帰って来ました。
(最終日バックナインで一時は単独首位に立ちます 。)
ロンドン滞在中に渡英して来たトランプ大統領とは、あやうくバッティングするところでした。

 

そしてイギリスへと出発した7月7日から1ヶ月を経た今日8月8日の朝になって、
今度はポール日本公演のニュースが飛び込んで来ました。

リバプールに到着した晩の翌日、丸一日リバプール巡りが出来るのはその日しかなかったので、
Magical  Mystery Tourに申し込んで、ひと通りビートルズゆかりの地を巡っておくことにしました。
(ナショナル・トラストのツアーなら、ジョンやポールの家の中まで入ることが出来るようなのですが、
出発・到着場所の問題や、ひと通りビートルズゆかりの地を巡っておくことが出来ないという難点があったのです。)

 


( ↓ ) Magical  Mystery Tourはアルバート・ドッグを出発して、宿泊先のあるマシュー・ストリートに帰ってくるのでとても便利。

まるでペニーレインのロケ地だったノール・パークの壁にも似て。

ペニーレインとストロベリーフィールズと。(旅行用に図鑑づくり)

Voucherを持ってチケット売り場に行った時に尋ねると、バスに乗ったら進行方向の左側が良いと聞いた。
その通りだったと思う。

Magicai mystery tour 1 ( Albert Dock 、Penny Lane)

( ↓ )ビデオの序盤に出てくるエンプレス・パブ。離婚したリンゴの母はここで働いていた。


通常開催のMagicai mystery tour と違うのは、ポールが一か月前にこの地を訪れたこと。
ペニーレインでは、一カ月前に書かれたばかりのポールのサインが残っていました。

人の字を〇で囲ったベンツのマークのような場所が目印になります。

ほら、Paul McCartneyって書いてある。

 

ジョージ ハリスンの生家前にて。

トイレは外にあり、きちんとした風呂や暖房もない家だったが、
ジョージは家族愛に満ちたこの家での生活に愛着を持っていたという。
(断片のキラメキとはそういうことだったか ~ 断片にある真実と祈りについて

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リバプールへやって来た!

2018年08月07日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

ドーハを経由してカタール航空機で目指したのは、マンチェスター。

イギリス上空まで来ると、雲が厚みを増していった。

マンチェスター空港は、こじんまりとした地方空港のようで初めて訪れるのに懐かしいような気がした。
ドーハ空港(ハマド国際空港)を経由して来たからなおさらそう感じたのだと思う。

( ↓ ) ドーハ空港(ハマド国際空港)

天井の両サイドに移動用の車両が走る。2-3時間トランジット時間があったが、プライオリティ・パスを忘れてきた。

 

マンチェスターからリバプールに向かう列車は、ライムストリート駅工事の影響で空港からの直通列車がなくなり、
途中サウスパーク駅乗換でムーアフィールド駅到着に変更でしたが、既に遅延していました。


旅行期間中を通して感じたのだが、かつて暮らしていただけあって、

流石につまの英語ヒアリング能力は高い。
スピーキングの方は兎も角、私が話していても、当の本人よりも、
相手の言っていることをちゃんと漏らさず理解・把握出来ているのはつまの方だ。

ようやく、リバプール市街へ。

ムーアフィールズ駅はキャバーンクラブやHard Day's Night hotelのそばだった。
ライムストリート駅よりかえって便利だ。

ムーアフィールズ駅からホテルまでは、スーツケースを転がしながら歩いていけます。

( ↓ )写真右手がHard Day's Night hotel。 ( ⇒ ハード・デイズ・ナイト・ホテル )
 茶色い建物との間の路地がマシューストリート。キャバーンクラブのある通りだ。

港町だけあってビルの谷間をかもめが飛んでいきます。
(右側に写っているのがホテルのレストラン「Blakes」)



ホテルのマシューストリート側から見下ろしているのはジョンレノンの像。
マシューストリートを入ってすぐの所にもジョンレノンの像がある。

 

宿泊したのは「103号室/ジョンの部屋」だったが、壁に掛かっている絵はどう見てもジョンの子供時代には見えません。
(フロントで尋ねると、ジョンの絵だと言うのですけど。)

ホテルの部屋の窓からは、さっきのキャバーンパブのジョンレノン像も見える。
これは夜更けの様子。(夏は21時過ぎまで日が明るいのです。)

103号室はグランドゼロの上階、MATHEW STREETの看板のちょうど上辺り。

 ( ↓ )こちらが当時のキャバーン・クラブの入り口があった場所。

シラ ブラックの像が立っている。

Cilla Black - Step Inside Love

ビートルズのデビュー前から、1963年8月3日のキャバーン・クラブへの最後の出演までの間にも、
マネージャー ブライアン・エプスタインとの出会いや、リンゴ・スターへのドラマーの交代劇など
の出来事があった。

 

  ( ↓ )イングランドは熱狂的なサッカーファン(フーリガン)で有名だが、
この日はスウェーデンに勝って28年ぶりにワールドカップ ベスト4に進出を決めた夜だったので、
スポーツパブもあるマシューストリートは乱痴気騒ぎに近かった。
ビートルズのメンバーが演奏の合間によく訪れたことで有名なパブ「The Grapes」でも
あっという間にフーリガンぽい面々ががっしりと肩を組んでくる。

(つまは完全にひいていたが、翌日ストリートを歩いてみて心象が改まったよう。)
この晩は仕方ないので、Hard Day's Night hotelの中に入っているレストランで食事を取ることにしたが、
翌日には落ち着きを取り戻していた。

ビートルズが写真を撮った場所でビールを飲んだ。壁のペイズリーのような模様は当時のままだ。

マシューストリートをさらに先へと歩くと、
昨夜の喧騒が嘘だったかのように
エリナー リグビーがベンチに佇んでいた。

これはアルバート・ドッグにあるビートルズ・ストーリーの展示。

ジョンとポールが出会ったセント・ピーターズ教会(バスで通り過ぎただけでしたが)に
ジョン・リグビー家の墓があり、その中にはエリナー・リグビーの名前もある。

映画イエローサブマリンでもこの曲は、港町リバプールの象徴であるRoyal Liver Buildingの風景と共に
効果的に使われていた。

Yellow Submarine US Theatrical Trailer

 この写真を褒めてくれたひとがいたので大き目で。
 ビルの先端に止っているのはライバー・バードというリバプールのシンボルでもある、2匹の雌雄の鳥。
 もし、ライバー・バードが飛び立ってしまったら、リバプールは存在しなくなるとの言い伝えがあって、
 ライバー・バードはワイヤーでくくりつけられている。
朝のピア・ヘッドを散歩していたら、港街らしくカモメが同じ高さを東の方角に横切って行った。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[ピアノ弾きおじさんへの道] 第3回大人のピアノ発表会でトム ウェイツをなんとか演ったの巻。

2018年08月05日 | ツールとしての音楽

発表会から一週間が経って、トム ウェイツの「If I have to go」をアップしてみました。
少し苦しい完成度ではありますが、弾き歌いを添えて、先週アップした記事に追記投稿です。
(一度前半部~後半部~アウトロを分けて弾いてつなげてみたのですが、
  ソフトの不具合なのか、手の動きがぶるぶるしてるので、原点に戻って、ミスタッチがあっても通しで弾いてみました。)

If I have to go ~ Tom Waits(piano & vocal cover) Aug 2018

いつか弾き歌ってみたかった、トム ウェイツの「If I have to go」を
ピアノ発表会で演ることに。(やはりブログはビジョンボードだ。)
( いつか日本語の詩をつけて弾き歌ってみたいのは )

しかし、そもそも私にはハードル高めだったのか、年明けに取組み始めた頃はまるで話にならず、
( ピアノ弾き(ピアノいじり)おじさん]  your songと 歌が乗らない If I have to go )
上達はドン亀のように遅々としていて、
発表会を控えて弾き込んでいく時期にはイギリス旅行のことで手いっぱいでもあり、
発表会まで残り一週間になって、ようやく通しで弾けるようになるというスロー調整ぶり。

去年の第2回ピアノ発表会は、直前になって間奏パートを加えたり、オカズ的に音を変えてみたり、
もう少し工夫できる段階まで行っていた分マシだったなぁ。
( ピアノ弾きおじさんへの道] 第2回大人のピアノ発表会でレディ・マドンナを披露するの巻。 )

( ↓ ) こういう時にツィートは便利。時系列で亀の歩みを振り返ることができる。

 <7月6日からのイギリス旅行の準備ばかりでなく、レッスンはちゃんと受けていた。>

 <7月15日にイギリスから帰国して再始動、一週間経った週末にようやく通しで弾けるように。
 発表会まで残り一週間でスパートをかけるつもりでした。>

<発表会前日のレッスンで仕上げ目途つけようと思ってたら、台風でレッスンは中止に。>

発表会を週末に控えた金曜日も、よくある根拠のない自信のせいか、少し緩んで呑みにいっておりました。

~ 前日の夜に仕上げのラストスパートのつもりが、思ったように乗ってゆけず。
 ”こんなはずではない、もっとテンポアップして、流れを切らずに演奏できる筈だ”
 というのは、たまたま適度にアルコールが廻って気分よく弾けたことがあっただけで
 あまり根拠のない自信だったことに気づく、
 練習すればするほど、どんどんアラやミスが出てきて、がたがたになって来た。
 これはまずい。。

 ~ あまり眠れないということはなかったのだが、
血管新生阻害剤の副作用で高血圧になってから、
自分の意思でコントロールできない自律神経の存在を意識するようになった。
だから、時々寝付けなくても、あまり気にしないようにしている。
イギリスの時差ぼけにアジャストしているのかもしれないし。

当日の朝は、テンポ良くいい演奏を、という甘い目論みを捨てました。
( ↓ ) それまで使っていた譜面メモは、修正が多くて何がしたかったんだか読みづらくなっていたので、
  当日になって朝から書き直しました。甘い目論みは抜きにして、これだけを発表会ではやろう、という版です。


前日の晩にはチェックを兼ねて、iPhoneで録画していたのですが、
当日の朝に最終チェックしようとしたら、メモリ容量が足りませんの表示が。
(iCloudバックアップの追加課金がいやで、自動バックアップ設定にはしていませんでしたので、
 イギリス旅行で容量を沢山使ってしまっていたのです。)
あんまりチェックしてる場合でもないしなぁ、と半ば開き直り。

さて、そんな中での発表会。
(今回はビデオ撮影もありだったのですが、
 iPhoneに画像が入らない状態だったので、映像も画像もありません。
 発表会行くよ、って話もあったのですが、
 根拠のない自信を当日には失っていましたので、撮影が無くて良かったかもしれません。
 音楽は修養のツールでもあると思います。)

 

楽しかったです。
粋がるのではなく、其々に腕前は違っても、それはそれで尊重しながら愉しみましょう的な雰囲気で、
あのような演奏だったのに、小さくなることもなくいられて。
(渚のアデリーヌとか、どしてあんなの弾けるのでしょか。
 評論めいたことを言えるような腕前もないので差し控えますが、皆さんお上手です、少なくとも私などよりは数段。)

先生にはリハーサルより良かった、落ち着いて弾けました、って言ってもらえましたし、
近々に辞められるというコード弾きをされている方にも、
初回のヘイ・ジュードの頃から段々レベルがアップしていると言って頂けて、
同じコード弾きをやっているひとには選曲の違いが分かるのかも、って嬉しくなりましたし。

( ↓ ) 並べると遜色ぶりが際立つかとは思いますが、この曲です。
  ルビーの指輪を歌っていた女の子がいましたが、寺尾聰さんとはタイプは違えど、ダンディなひとだと思います。
  常識やよくあるフレームワークからは見えてこない景色や美学を持ち合わせているようで、すばらしい。男らしい。

 

Tom Waits - If I Have To Go (Lyrics On Screen)

There's nothing for me, in this world full of strangers 俺には意味のないものばかり 見知らぬ人ばかりだ
It's all someone else's idea               全部どこかの誰かのためのものだろ
I don't belong here, and you can't go with me     ここは俺のいる場所じゃない、おまえは一緒についてくるなよ
You'll only slow me down 


(2018年7月29日初稿)
(翌週8月4日 弾き歌い動画追加投稿)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする