★この前を通りたくて、トリップのコースを変えた。
ここは下崎君が手がけている「創出」空間だ。
わたしは下崎君を教え子だとは思っていない。
ライバルだ。それもこちらが劣勢のライバルだ。
大久保君も、山地君も、戸来君も、ライバルだ。
だれに負けても、もうどうでもいいのだけれど、
この人たちには負けたくない。
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■おととい、この欄に「今、パソコンの横に読みさしの本が数冊、積んである」……といって、上から、『おかあさん疲れたよ』(田辺聖子)、『普通でない5年3組からの挑戦』(大堀真)、『対論・教育をどう変えるか』(寺脇研他)、『ソクラテスはなぜ死んだのか』(加来彰俊)、『本格小説』(水村美苗)と列挙した。
そのとき、(すべて再読)と注記して、つくづく思ったことだが、最近というか、ここしばらく書物をほとんど購入していない。
■今年になって購入したのは、
『野球狂の詩』(水島新司)全17巻(古書)
『通天閣』(西加奈子)
『TOKYO図書館日和』(冨澤良子)
『お好み焼き免許皆伝』(お好み焼き研修センター編)
これがすべてだ。
■『通天閣』は、本よみうり堂「著者来店」を読み、記事のなかの西加奈子さんのコメント「大貧乏で財布の中に数百円しかない時も、遮蔽物のない風景が好きでよく通天閣に上ってたんです。今は不幸でも、あと数年したら幸せになれるで、と声をかけてあげたくなった」「近くにいる人の息のあったかさ、一人で生きているつもりでも、だれかに『好きやねん』と言ってもらいたい気持ちを描いていければ。人生ってすべて縁。私にとっても昔の彼、書店や編集者、読者、どの出会いも全部決まってたんやなぁと思う」に心動かされ、飛びつくようにネットで購入。
しかし、2、3行読み、これは「アカン」とほうりだし、今も、ほうりだしたままホコリをかぶっている。
★あしたはこのおっさんが座っているイスに座りたい
なにが「アカン」のかというと、通天閣は大貧乏人にはそんなに簡単にのぼれるトコとチャイマスネン。
わたしかて通天閣にのぼりたくて何度も、その下までいきましたよ。
けど、昔も今も、通天閣の料金って、大貧乏人には超高いんでよすよね。
だから、「大貧乏で財布の中に数百円しかない時も、遮蔽物のない風景が好きでよく通天閣に上ってたんです」というコメントが、あやしい。
この「よく」という形容詞があやしい。
購入まえにこの「あやしさ」に気づくべきやったね。
2、3行読んでから、気がついた。
書物はやっぱり書店で買うべきか?
地域の本屋さん、がんばれぇぇぇぇぇ!
■『TOKYO図書館日和』は、出張で県庁に行ったとき、帰路、成田本店で見つた。
ちょうど古書店づくりをしているときだったので、書架の配置、書物の並べ方の参考にしようと購入した。
これは何度でも手に取りたくなる本だ。
今も古書店の書架の隅に飾ってある。
★あしたはここでコーヒーを飲もう
■購入していないから、では、なにも読んでいないかというと、もちろんそうではない。
職務上、読み込まなければならない文献がかなりの量におよぶ。
また、職務外だが、読書感想文コンクールの審査を引き受けたときは、主催者から大きなダンボール1個分の書物が届けられ、来る日も来る日も(寝っ転がって)読みつづけ、背中を痛め、整形外科に通うハメになったこともある。
■ただ、職務上読み込まなければならない文献があり、それが多くの時間を占めてしまうから、書物を購入しないのか、いや、そうではなくて、そもそも購入するつもりがないのかは、(職務上、読み込まなければならない状況から解放されていないので)よくわからないが、たぶん後者ではないかと思っている。
心のどこかに、日本的美意識としての「無常感」があり、もう書物は購入しない、いや、書物だけではない、「形あるもの」はいっさい購入しない……と決めているところがある。
■きょうは、安倍政権の行く末と教育改革について書こうと、PCにむかったのだが、全然、違った内容になってしまった。
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