![]() ◆わたしは、よく「自己の輪郭」ということばを使用します。 たとえば、1学期始業式の式辞で……。 「自分とつながっていたものから離れ、ひとりになることによって、自分の今の姿・形というのものが鮮明に見えるようになる。ぽつんとひとりいる、この(←校章のうみねこを指す)、うみねこのように」とか……。 あるいは、日々のDiaryで……。 「自己の輪郭線を常にピリピリさせる高校生だったわたしが、高安山から、砂漠の砂の、一粒一粒が輝いているような大阪の夜景を眺め、……ああ、自分もこの一粒の光にすぎないのだ……これから何十年か、この一粒として、寒いときはコートの襟を立て、暑いときはシャツ一枚になり、団扇であおぎあおぎ、生きていくのだ……と、少し涙ぐんだ場所です」とか……。 また、わたしは、人の好き嫌いは、ほとんどない人間ですが(ま、好き嫌いを声高にいう人間は大キライですが)、どちらかというと、自分というものの輪郭が(輪郭を意識的に鮮明にしようというのではなく)無意識のうちに、あっと気がついたら、鮮明になってしまっている……ま、なんといったらいいのか、他人との輪郭をぼかすのが苦手、甘えるのがキライ、あるいは、苦手というようなタイプの人が好きです^^;。 ![]() ◆けさ、目が覚めて、ふと、わたしにとっての、この「自己の輪郭」のルーツは、どこか?……と。 もちろん、これは、簡単ではありません。 無意識領域と意識領域が、かさなって、かさなって、融合しつつ、形成されているものですから、とてもつきとめられるようなものではありません。 ◆ただ、いくつか、自己の輪郭が鮮明な生きざまの具体例として、強く意識に焼きつけているイメージがあります。 わたしが高等学校時代に接した、加藤周一(←思想的には真逆&怒逆だが、人間的には敬愛できる人物)の『羊の歌』のどこかにあったはず……。 もうひとつは、同じく高等学校時代に接した、江藤淳が自身の少年時代を語った文章のどこかにあったはず……。 加藤周一の『羊の歌』のどこか……江藤淳の文章のどこか……と、対象がしぼりきれていないので、特に後者は時間がかかるかと思いましたが、一発で、すなわち、『羊の歌』は、パラパラとページをめくった段階で、江藤の場合は、きっとこれだろうと、最初に見当をつけた『日本とわたし』の中に、発見。 こうして、まったく迷わず、ムダな行程も歩まず、直線的に発見できるところに、わたしの人生の強烈な純粋さを感じます。 ウソ^^;^^;。 ![]() ◆まず、加藤周一の記述。
◆この「伯父」の生きざまが、わたしの脳裏に鮮明に刻まれています。 この「伯父」の生きざまが、わたしのいう「自己の輪郭」の鮮明さと関係があるのか? あるいは、ないのか?
◆伯父と自分との関係の考察。
◆ 末尾の記述は、「私は、こうありたいと願う自分像とは、死ぬまで無縁で生きるほかないだろう。伯父を通して、私はそのとき……」と読むべきなのでしょう。 ◆江藤の『日本文学とわたし』は、次回に。 画像は、根城城址公園の表門付近の風景。 ![]() にほんブログ村 ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆公式ホームページへ ★わたしのWEB無人駅線のページにも、ぜひ、来てください。あっというまに、魂が無人駅線の世界に、全身、移動できます。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆WEB無人駅線ページへ |
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