「江戸の暮らし122話」(つくばね舎) 刊
日本風俗史学会 編 183頁
「 『老い』 の日々を生きる武士」 を読んで
御三家筆頭 尾張徳川家の家中、横井孫右衛門は、
『鶉衣』 といいう書をもつ俳人で、
天明三《1783》年 82歳で没した人物であるが、
かれは世の老人へ教訓として、次のような狂歌を読んでいる。
「 皺はよる ほくろは出来る 背はかがむ
頭は剥げる 毛は白くなる
__人の見苦しさを知るべし__
よだれたらす 目しるをたらす 鼻たらす
とりはずしては小便ももる (失禁)
__人のむさがることを知るべし__
訊きたがる 死にともながる 淋しがる
出しゃばりたがる 世話やきたがる
__では、どうしていればよいか ?
宵寝・朝寝・昼寝・物ぐさ・物わすれ
それこそよけれ 世に立たぬ身は 」
「武士といってもその職や階層で生活実態には大差がある。
私たちは、それぞれの
{老い」の姿をまだほんの断片でしかつかめていないのでは。」
私は、現役の頃、
「人間、霞を食って生きておれれば、どんなに幸せか」 と、
夢のようなことを想っていたが、
今まさに、そうした状況に置かれている。年金暮らしである。
年金制度のなかった江戸時代の老人は、どう暮らしていたのだろう。
資産のない老人は、大所帯の中で、小さくなって暮らす以外、方法はなかった。
万一、一人暮らしの場合は、生涯現役しかない。
聞こえは良いが、現実は野垂れ死に。厳しいものだ。
しかし、少子っ高齢化で、またそうした時代が近づいているようだ。
いい時代に生まれたもんだ。