「葛飾物語」の中川を訪ねて
半村 良の「葛飾物語」を読んで、是非昔ながらの流れ・中川を訪ねてみたくなりました。
歩いたコースは下の地図です。
スタートが遅れ、結局は柴又までは行けず、青砥駅までにしました。
歩いた距離は約11kmです。少々疲れました。
青砥駅前の飲み屋では、飲みながら寝ていたようです。
さて、まずは都営地下鉄船堀駅へ行き、そこからスタートです。
天気も良く、青空の下、気持ちよく、ゆっくり歩きました。
駅のすぐ横に、下の写真のような温泉がありました。
次に来るときは今日の逆に(柴又から)歩き、是非寄ってみましょう。
新船堀橋から中川(放水路)沿いに歩くつもりが、例の方向音痴を発揮し、新大橋通りと船堀街道の交差点・船堀橋交差点に帰っていました。
途中、中川が見えないので、うろちょろ、きょろきょろしましたが・・・
間違ったまま、船堀街道を北上し、東小松川交差点を左折して、ようやく本来の中川(放水路)沿いの遊歩道に出ました。やれやれです。
よく整備された遊歩道です。
しばらく行くと、JR総武線や中央環状線や蔵前橋通りの、超近代的な交差点に出ました。
遠くには、スカイツリーが見えていました。
小さい人間が、ミスなくよくぞこんな巨大な工事をやるものだと感心します。
建設省の関係者でさえ、鳴門大橋の橋脚を見て、驚いたそうですから・・・
そこから、さらに北上して、上平井水門、上平井橋と過ぎ、平和橋を渡りました。
ここからが、「葛飾物語」の舞台です。
このあたりは、既に夕方の佇まいでした。夕もやが迫っていました。
川沿いで行き交う人は少なく、ジョギングの若い男女か、犬と散歩を楽しんでいる平穏なご婦人のみでした。
日本は平和でいい。中近東の人たちは大変です。
「葛飾物語」によると、このあたりの人たちも、B29 に追いまくられて、大変でしたようです。
「荒川を一歩渡ったら、それこそ焼け野が原なんだぜ。
葛飾はまだ焼かれなかったほうだ。
一度本所の叔父さんのあった方へ行ってみるといい。
あの家なんかどこにあったか見当もつかないぐらい、あたり一面きれいに焼けちゃっている。」とありました。
その辺の文章を想い出しながら、夕もやの歩道を、ゆっくり歩きました。
途中、「本奥戸橋」がありました。奥戸橋は木製でしたが、この本奥戸橋は鉄で出来ている橋として一目置かれていました。(今では奥戸橋も鉄製の様子)
この中川は、先の東北大地震の後、耐震度の高い土手にする必要があるとして、改修工事が行われています。
前に書いたように、青砥駅近くで、疲れをいやすため、一杯が二杯になり、うとうとして帰りました。
この分だと、近いうちアルチュウになるかな?