「江戸の暮らし122話」(つくばね舎) 刊
日本風俗史学会 編 267頁~ より
投げ込み寺とは
「死んで引き取り人のない遊女や行き倒れなどを埋葬する寺、・・・
新鳥越の西芳寺、三ノ輪の淨閑寺、新宿の成覚寺などがそれ。
あらかじめ掘ってある穴へ死体を投げ込むのでいう。」
「生きているときは、その美しさと若さ故に、売れっ妓として太夫となり、
郭のトップをしめた誉れ高い遊女であっても、その身分はに近い。
それ故に彼女たちは、
死すると天秤棒に手足をしばられて運ばれ、投げ込み寺に葬られる。・・・」
「淨閑寺、過去帳に記載されない無縁の人の葬られる寺でもあった。
ここに葬られたドクロは、260年間(徳川時代の)に一万体以上もあった。
境内に大きな墓碑が立ち「新吉原無縁仏」と記されている。」
現在も、だれが供養するのか、供花と線香の煙が絶えないそうです。
その供養塔には、「生れては苦界、死しては淨閑寺」と刻まれてるそうです。
残酷な一生です。