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大震災から7年 

2018-03-11 | 日記

大震災から7年 

 

北朝鮮が弾道ミサイルを発射した。

住民へ避難を呼びかけるJアラートが、北海道と東日本に流れた。

あれで福島第一原発の事故の記憶がよみがえった。

 

被災地を歩くと、新しい公営住宅や区画整理された道路などが目に映る。

ハード面の整備はめどがつきつつある。

もう安心して暮らせるのか。いや、そうではない。

 

■ある精神科医の経験

一見平穏に日々を送りながらも、胸のうちに異物をのみ込んでいる。

福島県相馬市の精神科医は、

そうした被災者の心の傷を放っておくと、ずっと先まで引きずることになると警告する。

5年前まで仕事をしていた沖縄での経験に基づくものだ。

そこで見たのは、戦争のことを思い出して、

いまも眠れない夜があるといった悩みを抱える高齢者たちだった。

 

学徒兵として動員された元県知事の大田昌秀さんは、

亡くなる前の病床でうわごとを言った。「ほら穴を探しなさい」「早く弾を兵隊に」

 

■それぞれのペースで

沖縄だけではない。広島、長崎、各地への空襲、引き揚げ時の悲劇。

そして戦後も、日本は多くの災害に見舞われ、悲嘆の記憶を重ねてきた。

 

それを自分の中にむりやり封じこめようとすると、人の心と体は悲鳴をあげる。

忘れてならないのは、心の復興のペースは一人ひとり違うということだ。

 

■「語る」ための年月

そもそも体験を語っても仕方ない、と思っている被災者も少なくない。

特に福島には、避難や賠償をめぐる対立や不信が重なる。

家族や地元同士でさえ、いや家族や地元同士だからこそ打ち明けられない。

 

心の傷が癒えるとは、亡くなった人を忘れ去ることでも、記憶にふたをすることでもない。

被災者が、いまの自分を形づくる大切な一部として、過去を振り返れるようになること。

そのためには、周囲による息の長い支えや見守りが必要だ。

 

被災者一人ひとりの心のそばにいて、時が満ちたときに語れる相手となる。

そういう存在でありたい。

 

人災、自然災を問わず、災害は忘れた頃にやって来る。

先ず、人災を避けよう。自然災も人災同様に考えよう。

そして、来たら助け合って早く回復しよう。

そして、一杯飲みながら、仲間と回想し合おう。

そっれきゃ無いようだ


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