大震災から7年
北朝鮮が弾道ミサイルを発射した。
住民へ避難を呼びかけるJアラートが、北海道と東日本に流れた。
あれで福島第一原発の事故の記憶がよみがえった。
被災地を歩くと、新しい公営住宅や区画整理された道路などが目に映る。
ハード面の整備はめどがつきつつある。
もう安心して暮らせるのか。いや、そうではない。
■ある精神科医の経験
一見平穏に日々を送りながらも、胸のうちに異物をのみ込んでいる。
福島県相馬市の精神科医は、
そうした被災者の心の傷を放っておくと、ずっと先まで引きずることになると警告する。
5年前まで仕事をしていた沖縄での経験に基づくものだ。
そこで見たのは、戦争のことを思い出して、
いまも眠れない夜があるといった悩みを抱える高齢者たちだった。
学徒兵として動員された元県知事の大田昌秀さんは、
亡くなる前の病床でうわごとを言った。「ほら穴を探しなさい」「早く弾を兵隊に」
■それぞれのペースで
沖縄だけではない。広島、長崎、各地への空襲、引き揚げ時の悲劇。
そして戦後も、日本は多くの災害に見舞われ、悲嘆の記憶を重ねてきた。
それを自分の中にむりやり封じこめようとすると、人の心と体は悲鳴をあげる。
忘れてならないのは、心の復興のペースは一人ひとり違うということだ。
■「語る」ための年月
そもそも体験を語っても仕方ない、と思っている被災者も少なくない。
特に福島には、避難や賠償をめぐる対立や不信が重なる。
家族や地元同士でさえ、いや家族や地元同士だからこそ打ち明けられない。
心の傷が癒えるとは、亡くなった人を忘れ去ることでも、記憶にふたをすることでもない。
被災者が、いまの自分を形づくる大切な一部として、過去を振り返れるようになること。
そのためには、周囲による息の長い支えや見守りが必要だ。
被災者一人ひとりの心のそばにいて、時が満ちたときに語れる相手となる。
そういう存在でありたい。
人災、自然災を問わず、災害は忘れた頃にやって来る。
先ず、人災を避けよう。自然災も人災同様に考えよう。
そして、来たら助け合って早く回復しよう。
そして、一杯飲みながら、仲間と回想し合おう。
そっれきゃ無いようだ。