長さんの築きノート

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黒豆茶の効能その1 「黒豆茶の歴史」

2015年11月06日 | 黒豆の効能・効果
今、老若男女、黒豆茶が幅広い層から注目されています。



お茶の本場中国や台湾でも黒豆茶の専門店があります。



台湾は「香港茶」と並んで「台湾茶」と呼ばれる世界的にも有名なお茶の国です。

台湾に行くと、街のあちらこちらに「茶芸館」と呼ばれる専門店があります。



お茶のルーツは古く、三国時代(3世紀)の書物「広雅(こうが)」によると、お茶は茶の葉を餅状に丸めたものを、あぶって搗(つ)き、湯をかけ、みかんの皮、ねぎ、しょうがなどと混ぜて、他の材料と一緒に煮るスープのようにして、飲まれていたようです。

またこの時代、朝廷では、茶は酒と同等に扱われていたようです。

そののち、客人をもてなすなど、次第に社交の場の飲みものとして用いられるようになりました。

唐の時代(618~907年)になると、お茶を飲む習慣は全国に広がります。

このころのお茶は、蒸した茶葉を搗き固めて乾燥させた餅茶(へいちゃ)が主流でした。

茶葉はすでに全国で栽培されるようになっていましたが、消費地への運搬には固形茶が便利だったと思われます。

世界でもっとも古いお茶の本といわれている『茶経(ちゃきょう)』は、唐の時代に陸羽(りくう)によって記されたものです。

『茶経』は、3巻10章から成り、お茶の起源、歴史から製造具、茶道具、いれ方、飲み方、産地、心得にまで及びます。

そのなかには、餅茶の作り方や飲み方についても詳しく書かれています。

摘んだ茶葉を蒸し、搗いて型に入れて成形し、日干し後、火で炙って乾燥して保存し、飲用する時は、それを削って粉砕し、塩を入れた湯に加えて煮た後、器に入れて飲むとあります。

宋の時代になると、お茶は貴族から役人や文人など富裕な市民のものへと変遷していき、お茶を飲みながら詩を吟じ、書をたしなみ、絵を描き、哲学を論じたと されています。

時に遊びとして「闘茶」と称してお茶の良し悪しを鑑定し、茶器の良否を競うこともありました。

飲み方も、緊圧茶の茶葉をすった粉末を茶碗に 入れてお湯とかき混ぜるという、日本の抹茶のような飲み方が行われていました。

このころには、日本の茶道と同じような竹製の「茶筅(ちゃせん)」が使われています。

また「餅茶」の製法が複雑になり、さらに呼び方が変わって「片茶(へんちゃ)、団茶」と呼ばれるようになりました。

明の時代になると、お茶は大変動の時代を迎え、貴族と富裕市民に限られていた喫茶の習慣が、一般市民へと普及していきました。

この時代、団茶はお茶本来の おいしさを損なっており、また、製造に手間がかかるということで、初代皇帝、洪武帝(朱元璋=しゅげんしょう)は団茶禁止令を出しています。

この後「散 茶」が本格的に生産されるようになり、茶葉の主流が急変しました。

さらに蒸し製法に代わり、釜炒り製法が一般的になりました。

残った団茶を飲む方法として、ジャスミン花の香りなどを着香させた「花茶」が登場するの もこの時代です。

一般的な「お茶」は、椿科の茶葉のことで、大きく分けると「白茶」「緑茶」「黒茶」「ウーロン茶」「紅茶」などがあります。

これらはすべて元は同じ茶葉です。

蒸したり、発酵させたり、製法の違いで様々なお茶に変化します。

さて、前置きが長くなりましたが、「黒豆茶」は「お茶」と呼んでいますが、そもそもは「豆」です。

ですので、どちらかといえばお茶というよりはコーヒーに近いのかもしれません。

当社の黒豆茶もコーヒーと同じ「香味焙煎」という方法で焙煎しています。



厳選した丹波黒大豆を一晩水に漬け、発芽させてから高温の熱風で一気に焙煎し、その後低音の遠赤外線でじっくり焙煎する方法です。

生の豆を直火で焙煎する方法もありますが、発芽させることで、黒豆のたんぱく質がうまみ成分のアミノ酸に変化し、さらにおいしくなるのです。

この続きはまた明日~~。










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