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清治邦章の日記

産業医、訪問診療を行っている清治邦章の日記です。
コメント、感想、苦言、苦情、
何でもどーぞ(^^)

2025年2月5日~「ひかりクリニック」と「清治邦章」の紹介が必要?~

2025-02-05 07:03:08 | 日記
きっかけは「仙台 訪問診療」で検索してみたことだった。
一番多い65件を表示してくれるサイトですら、「ひかりクリニック」はヒットしない。
「ひかりクリニック」で検索すると、とても立派な訪問診療クリニックホームページが!「知らぬ間に誰か作ってくれたの?」と驚いて「アクセス」をクリックすると、大阪のクリニックだった・・・。

2011年の開業当初は、「あまり出すぎるのもよくない」、「訪問診療と産業医の両方をやっていくのは変だし・・・」と思って、産業医のホームページは何となく作ってもらったが、ひかりクリニックのホームページは作らなかった。(先輩の先生には「絶対にホームページくらいは作ったほうがいい」と言われたが)

それから結果的にどちらの仕事もとても楽しくやりがいを感じ、何より順調に拡大して、訪問診療は3名の医師に、産業医は6名の医師に、関わってもらっている。どちらかに絞れと言われることもあるが、もう絞れないと思う。

このままのスタイルでやっていくのだが、時代の流れでネット上に「ひかりクリニック」と「清治邦章」の紹介が必要になったのかもしれない。

遅ればせながら、今年も宜しくお願い致します。




2024年9月14日の日記~どうするACP~

2024-09-14 08:50:36 | 日記
今日は訪問診療側のお話。
ACP、アドバンスケアプランニング、日本語訳は「人生会議」、なかなか難しい。厚労省も進めようとしているが、「結局、医療費増大しているから、老人に長生きを諦めさせて、医療費増大を防ごうとしている。」などと言われることもある。
私は、ACPは進めるべきと考えている。その理由を説明するには、2つの前提条件が必要だと思う。一つは「全ての人がいずれ死を迎える」ということ。このことは多くの方にとって異論はないと思う。もう一つの前提条件は「死には【良し悪し】がある」ということ。これには賛否両論あると思うので説明が必要だ。まず、死の【良し悪し】の指標だが、それは【死んだときの後悔の量】だと思う。これはご本人、ご家族、その他、その方に関わる全ての人の後悔の量だ。
死にまつわる後悔というのは、ほぼ「生きている間に○○したかった。」、「生きている間に○○してあげたかった。」ということであろう。自分にとっても他人にとっても、後悔が少ないのが【良い死】で、後悔が多いのが【悪い死】となる。亡くなった方の後悔については確認する術はないのだが、近しい方々であれば推測できると思う。(自死の話については今回は触れないが、私は自死については【殺人】であるので、後悔が少くても【良い死】ではないと思っている。)

これまで多くの方の死に立ち会ってきたが、死には良し悪しがあり、【良い死】を迎える方は、やはりACP的なことを行っていた。

逆にACP的なことを行わないとどのようなことになるのか。
例えばこんなケースがある。あくまでフィクションである。

90代の女性、長年認知症もあり、誤嚥もするが何とか自宅で生活してきた。
ある日、発熱し痰も多い。誤嚥性肺炎を起こした可能性がある。まだ軽症であるため、自宅で点滴しようとすると、ご本人が頑なに拒否された。
家族は自宅での治療は不可能であるため、病院へ搬送を希望した。
自宅での点滴を拒否するくらいなので、当然、病院に行けば身体拘束される。
家族にそのことを話すと「死ぬよりマシだろう」という。
「ご自身の身になって、もし自分だとしても、そのようにされることを望むか?」と尋ねると「今はそんなことを考えている余裕はない」という。
救急搬送となり、病院では同意書という紙切れ1枚を根拠に身体拘束がなされる。
このようなケースは、もちろんご本人の気持ちも然ることながら、身体拘束を行う看護師さん達のご負担も相当なものであろう。

このようにならないように訪問診療を行うかかりつけ医が、日頃ご家族とコミュニケーションをとりながらACPを進めていく、というのは全くの正論なのだが、これがなかなか難しい。病状が落ち着いている時に切り出すのは、困難でもある。

ではACPは、救急搬送される病院で行われるべきなのか?
これもなかなか難しいと思う。
10年以上前、開業したころは、ACPというか厳しいことを話して頂ける病院の先生方がいらっしゃった。
「もう老衰だから、来なくていいよ。」、「病院でできることはないですよ。」、「そんなに長生きしなくてもいいでしょ。」・・・。
ご本人、ご家族は病院の冷たい対応に多少の不満を持ちつつも、訪問診療医としてはその気持ちに寄り添いさえすれば、自宅で最期を迎えることができた。

最近は時代の流れか、このような冷たい(まっとうな?)対応をする先生がめっきり減った気がする。
「いつでも来ていいと、病院の先生に言われました。」などと嬉しそうに話す患者も増えた。本当に受け入れて頂けるのであればそれでもいいのだが。

最期の最期まで死に抗うことを否定はしない。
ただ、病院で管だらけで迎える最期もあれば、自宅で穏やかに、家族に囲まれて迎える最期もある。

このようなことを選択をできること自体が、とても豊かで恵まれたことではないかと思っている。





2024年6月13日の日記~楽しかったな~

2024-06-13 22:40:23 | 日記
今日は仙台市医師会の理事会。
8年間、担った理事も今月いっぱい、今日が「ラス前」の理事会だった。
6月1回目の理事会は前年度決算の協議もあり、長くなる。
これまで7回の6月1回目の理事会はつまらなかったが、今日は楽しかったな。

ちょうど2年前に思った。
「このまま理事を続けると、今期で辞めれば8年、来期も続けると10年以上。でも、僕のような者が10年も続けるべきではない。」と。
そしてこの2年間は、何とか円満に退任できるようにやってきた。

でもこの2年間はとても楽しく理事をつとめさせて頂いた。
なぜかはわからんけど・・・。
答えがわかるのは、もう少し先だろうな。。。
野次担当副部長を拝名したからかもしれん。。。
同時期に退任する野次担当部長に感謝せねば。。。

Y先生、どうもありがとうございました(笑)







2023年8月29日の日記~ついにこんなことが・・・~

2023-08-29 06:41:12 | 日記

今年の夏は記録的な猛暑。熱中症での救急搬送も過去最高のようだ。

そんな中、産業医を担当している職場での熱中症の発症は最小限に留まったと思う。

担当の方と従業員の方々の努力に感謝したい。

 

そんな中、「ついにこんなことが!」ということが起こった。

ある担当者からの連絡。

「従業員が東京のオンライン診療を行っている内科のクリニックを受診して【適応障害で1週間の自宅療養】という診断書がでたのですが・・・」

その後の詳細は確認中だが、遂にきたか、という感じだ。

前のブログでも書いた通り、精神科・心療内科の新患が受診できないのは完全に社会問題化している。

遂にオンライン診療を行っている内科クリニックから【適応障害】の診断書が発行された。

もうこれは医療崩壊。この先がとても心配だ・・・。


2023年1月20日~疾病管理?~

2023-01-20 07:14:18 | 日記

遅れましたが明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

新年早々、炎上覚悟である。

あるメンタルヘルス対策の本を読んでみた。

写真がその一部。本の冒頭部分、メンタルヘルス対策には「(a)全体の対策と(b)メンタルヘルス不調者への対応が必要で・・・」(b)について詳しく述べられているところ。

ひどいなあ。。。。

こんな感じだから全国的に精神科や心療内科の新患の予約がとれず、患者数・休職者数も増える。疾病管理で発達障害の問題を解決できると思っているのだろうか?

これを読んで「疾病管理か!」と誤解して、何の解決にも至らなかった会社の管理職や総務担当からの相談に、我々産業医は乗らなければならない。

このボタンの掛け違いを直すところから始めなければならないのだ。

【事例のなかには労務管理よりも医学的管理すなわち「疾病管理」が優先されなければならない者が少なくありません。】の文章には悪意すら感じる。決して「労務管理よりも疾病管理が優先」とは書いてはいないが、多くの人はそう誤解してしまう。

新患の予約が取れないのは医療崩壊だと思う。自らが蒔いた種だ。そんなに「疾病管理が重要」というなら、しっかり問題を解決してもらいたい。

もしできないなら、このような表現ではなく「労務管理や自己保健義務の重要性」を述べて欲しい。

散々振り回しておいて「誤解する方が悪い」とでも言うのだろうか・・・。