踊る小児科医のblog

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マークさんはなぜ歩かなくてはいけなかったのか (1)

2006年07月21日 | 禁煙・防煙
マークさんはなぜ歩かなくてはいけなかったのか
国民を守らずにタバコ産業を守り続ける政府

久芳 康朗 (青森県タバコ問題懇談会代表世話人)

 マーク・ギブンズさんは4月に鹿児島の佐多岬を出発して以来88日間におよぶ禁煙徒歩行脚の末、7月9日についに宗谷岬に到達した。6月に青森県内を縦断した際に講演会や禁煙ウォークなどの支援を行った私たちもその喜びを共に分かちあったが、マークさんの行動と言葉の持つ意味の重みは、ウォークが終了したいま、更に増しているように思う。
 マークさんのゴール後の第一声は、偉業達成の喜びではなく「問題は何も解決していない。こうしている間にも毎日300人もの人が亡くなっていることは悲しい」というものだった。
 マークさんは母国オーストラリアに戻るが、本当のゴールに向けた新たなウォークの旗は、今回のサポートで一本の線となり繋がった全国の支援者の手に渡された。

日本の常識は世界の非常識

 日本国内でタバコ病死は年間11万4千人(毎日300人強)、受動喫煙による死亡も約2万人、合わせて毎年13万人以上の人がタバコの犠牲になっている。これは決して自然死ではなく、自業自得(自己責任)でもない。
 常習者の半数を死に追いやる毒物であり依存性のある薬物を、何の規制もなく道端の自動販売機で子どもが自由に買えるようにして、新たな喫煙者(依存症患者)へ引きずり込んでいる国。その毒物を販売する企業(JT)の株の50%を保有して法律でその産業を奨励している国。この異常事態を、緊急に対策をとるべき問題だと認識することができない一部の医療者や政治家。
 「日本の常識は世界の非常識」と言われて久しいが、私たちはゴールの見えない禁煙活動に疲れ、いつまでも変わらぬ「世界の非常識」が“この国の常識”だと慣らされつつあった。
 マークさんのストレートで身体的な行動とメッセージは、そんな私たちの目を再度はっきりと覚ましてくれた。

オーストラリアから30年遅れた日本の対策

 オーストラリアはタバコ規制政策のトップランナーだが、30年前には男性の喫煙率は47%で現在の日本と同じくらい高かったという。それが、政府とNPOの協働による規制と学校やメディアを通じた教育プログラムなどにより現在17%にまで低下し、このペースが続けば2030年頃には男女とも喫煙率ゼロになるものと期待されている。
 日本のタバコ規制対策も2003年の健康増進法施行をはさんでここ数年で飛躍的に進歩したとよく言われる。確かにそれは事実かもしれないが、喫煙率だけでなく国の規制政策においても国民のタバコに対する知識レベルにおいてもオーストラリアとは30年もの開きがあり、やっとスタート地点にたどり着いたに過ぎない。

真実を知らされていない国民

 マークさんの喫煙者に対する目は優しく、今回のウォークによって「禁煙は愛」というメッセージが一人でも多くの人に届き禁煙してくれることを願っている。小学生との交流会で「タバコを吸っている人のことをどう思うか」と質問され、「カワイソウ。真実を知らされずに死にゆく人だ」と答えている。そして、特に若者や子どもたちがタバコの害についての真実を知れば、タバコという高い依存性のある「商品」により身を滅ぼす選択をしなくなるはずだと信じている。
 マークさんは小学生に対し、13歳からタバコを吸い続けて34歳で肺がんにより亡くなったブライアンさんの写真を見せ、ブライアンさんや残された妻子と同じような悲劇が毎日300もの家族で繰り返されていることを語った。
 マークさん自身、喫煙防止教育をはじめて受けたのが9歳で、その時みせられた写真の衝撃を忘れることはできなかったという。小学生との交流会の最後に、マークさんからの問いかけに対して全員が将来絶対にタバコを吸わないと手を挙げた。この子たちはマークさんとの約束を一生忘れることはないだろう。
 私はマークさんと同じ歳だが、もちろんこのような教育は受けていない。それどころか、医学部でもタバコの害をまともに習った覚えはなく、いま持っている知識の大半はここ数年で身につけたものだ。まして一般の方がタバコの害についてわずかな知識しか持たないのも、この国の現状では当然のことだ。「大人は吸ってもいいが子どもは駄目だ」などという教育は全く意味をなさない。全ての年齢層に対してメディアなどのあらゆる手段を使った継続的な教育と情報提供を行っていく必要があるのだが、タバコ・マネーの影響下にある既存メディアには多くを期待することができない。
 マークさんは、国民に正しい知識を伝えようとしない政府やメディアに憤りながらも、真実はインターネットを通じて容易に入手できる時代になっており、一人一人が主体的に情報を取得していく必要性も強調していた。

国民の命を守ろうとしない国

 その一方で、国民を守ろうとせず対策を先送りにしてタバコ病死を放置しつづける政府や、タバコの害をきちんと患者に伝えてやめさせようとしない医師への言葉は手厳しい。
 静岡市で一人の喘息を持つ中学生が集めた署名と請願によって路上喫煙禁止条例が制定されたニュースが「美談」として伝えられているが、マークさんは、本来なら国が子どもたちの健康を守らなくてはいけないのに、こんなことは全く逆ではないかと強い言葉で意識の転換を喚起している。
 しかも、このような「美談」ですらごく稀なケースであり、今回私たちが青森県内の全市町村議会に提出した路上喫煙禁止条例制定の請願・陳情は、ただの一つとして採択されることはなかったのが現実である。

タバコはどんな形態や偽装をしても致死的

 毎年5月31日の世界禁煙デーにWHOはスローガンを発表している。2006年は「Tobacco: Deadly in any form or disguise(タバコ:どんな形や装いでも命取り)」であり、自社の利益のために世界中の人々を欺きながら毎年500万人もの命を奪い続けているタバコ会社の反社会的な広告販売活動を厳しく批判したものだが、5月31日にこの標語を取り上げたメディアは皆無であった。前年に発効したタバコ規制枠組み条約(FCTC)も、タバコ会社の企業活動を世界中の国が手を結んで包括的に規制していくことが目的であるが、そのことを正しく理解している国民は一握りに過ぎない。
 しかも、タバコ規制の総本山であるべき厚労省が「やめたい人を手助けする禁煙支援」なる禁煙週間のテーマを別につくりだして肝腎のWHOのスローガンを「参考」扱いに格下げしてしまい、「どんな形や装いのたばこであっても喫煙は様々な疾病の危険因子であり、禁煙は生活習慣病予防の基本の一つである」などという本旨からかけ離れた腰の引けた説明を付けている始末なのだ。

(後半へ続く)

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