こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年1月9日 木曜日 東京風景 ~旧・淡路小学校跡地~

2014-01-09 22:28:37 | 写真日和

千代田区の小学校に越境入学していた。
同じ区の学校というのは交流があった。

中学にもなれば、その状況はガラリと一変して、ツッパリは他校に行き、番丁/ヘッドをどこが取るのかという世界に入るが。

小学生の頃、海洋少年団なる団体に属していたボクは、そんな他校に行く機会がフレキシブルによくあった。
思い出せるのは、今も神保町の三省堂やジャニスの近くにある錦華(きんか)小学校。ここでの催し物参加、行進。
錦華(きんか)小学校は、今では、御茶ノ水小学校という名前で存続している。

ここには、夏目漱石のモニュメントが草むらにひっそりとある。
「吾輩は猫である。名前はまだない。」
そう刻まれている。
漱石出身の小学校である。

千代田区は、80年代下期・バブルの時期に、高騰した土地をめぐって地上げ紛争が多々起き、
棲んでいた人々が次々と追いやられた。
その結果、区民の数は劇減し、それに伴い、子供の数が減り、多数の学校が廃校になった。
ボクが通っていた小学校も廃校となり、すでに無い。

そんな小学校の統廃合の末、淡路小学校も消えて、つい最近、新しい建物が建った。

荒俣宏さんは、そんな都市東京を1つの心身を持った生命体とみなし、(ボクが好きな)名著「異都発掘」で、さまざまな創造を膨らませている。

神田川の聖橋の下、御茶ノ水駅に向かい、川を横切って一瞬だけ外に顔を出す赤い丸の内線。
荒俣さんは、これを東京の胎内の血管がすきまを縫って表面に浮かび上がったものと記していた。
そこに、ひどくうなずいた。

東京の街とは、常に移り変わる生命体。
この淡路小学校跡地にも、これから新しい息吹が芽吹いていくのだろう。





仕事場を出ると、粉雪が舞っている。手も耳も痛い。
本当の冬が、これからやってくる。
学生さんたちは、これからが試験、という山場。
1981年から1982年の越年をしつつ、凍て付く部屋で机に向かって高校受験の前夜、よく聴いていたオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークの想い出深い「プロミス」を、今夜は贈る。風邪を引かぬように。

■Orchestral Manoeuvres in the Dark 「Promise」1981■




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4 コメント

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Unknown (ゴン)
2014-01-10 02:48:21
草むらの中のモニュメントに「吾輩は猫である。名前はまだない。」って面白いですね。
もっと目からうろこのような銘文かと思いきや。
一休さんが緊急事態に陥った弟子のため残した手紙に
「大丈夫。心配するな、何とかなる」
とだけ書いてあったという、飄々とした逸話を思い出しました。
「そこにあるようにしてある」ということでしょうか。

私が小学校の頃暮らした北大阪の新興住宅地は40年経っても同じ建物がそのままあったりして、
人間というものはどんどん様変わりするのに、建物はたとえ半世紀でもあっけらかんと平気なんだなあ、
という不思議な感銘を受けました。(数年前に怖いもの見たさで戻ってみたときのことです)

東京は発展と成長のシンボルみたいな町なのでどんどん変わってしまうでしょうが、
ところどころ残っている昔の面影を垣間見るのはしみじみといいものですね。
このシリーズ、たのしみにしています。
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代替が効かないもの (かたちんば→ゴンさんへ)
2014-01-10 23:12:18
一休さんのお話し、とても面白くうかがいました。
1つ、また新たな智恵を頂いたようです。

それから、吹田あたりなのでしょうか?住宅地のお話しには、ゴンさんの原風景があるのでしょうね。

ぐるりとあてどもなくさまよいながら、写真を撮り歩いていると、団地に行きつくことがあります。
ようく、団地マニアという方がいらっしゃるようですが、その気持ちがよく分かります。
長きに渡って暮らしてきた団地には、建物はもちろんのこと、植えているお花、置いてある三輪車など、まるで計算しつくされたかのように良い配置がされていて、「暮らす」ということの本当の姿が見えます。
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団地の暮らし (ゴン)
2014-01-12 00:42:51
吹田なんてよくごぞんじですね。高校を出た頃、団地の抽選に当たって、うちの一家はそこへ移り住みました。
大阪万博の勢いで大規模開発されたところです。
私が生まれたのが万博の前の年なので、そこへ住んだときにはもう万博当初の住人さんたちは老人ばかりでした。

団地や新興住宅地には「世代」がありますね。
最初の「開拓世代」が住み着いたまま、地域と一緒に古びていくのです。
東京にも、戸山団地や辰巳団地(これからまたオリンピックで再開発されそうですが)などに同じにおいを感じます。
かたちんばさんの書かれた「植えているお花、置いてある三輪車」なんかと一緒に、
そこではたしかな自然のバランスで時間が静止しているかのようです。
老人の面影に似て、悲しいような、優しいような、そしてまたなつかしいような、
そうですね、そこは「行き着く」場所なのかもしれません。

P.S.
しかし、白髭防災団地はすごいですねえ。
老いてなおその役割が健在で、強固な立ち姿でそびえている。
http://www.youtube.com/watch?v=kiH-1XiPgik
ちょっと老境のYMOを思わせます。
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温度のある地 (かたちんば→ゴンさんへ)
2014-01-12 10:14:26
仕事をはじめたときに、いきなり大阪で、5年居たものですから。
あと。。。両親のお陰で、万博に連れていってもらえたのもあります。(とはいえ、幼なかったので、記憶にはとぼしいですが)

ゴンさんには、想い出深い場所ですね。
自分も、オトナになってから、写真に写る太陽の塔の前に立ったときは、遠い目になりましたよ。

実家の近くに松原団地がありますが、最近建て直しで、だんだんとかつての姿は大幅に変わってきました。
でも、まだ残る棟は、人びとが暮らしたことによって、イイ味になったステキな場所です。
団地の中には手ごろな大きさの公園もあるし、みどりもふんだんにある。
子供たちにも、お年寄りたちにも、良い環境だと思うのです。
タワーマンションには無いぬくもりが漂っています。

白髭団地は、友だちと勝手に通称クーロン城と呼んでいます(笑)が、近いのでようく散歩して入って行きますよ。
圧倒的な面積、大きさで迫力あって、魅力的です。
ここには、ゴンさんも好きな、かわいい大きさのお社があります。
かつてみんなが暮らしていた、あこがれの軍艦島を思い起こさせます。
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