考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

出来ない子

2009年07月29日 | 教育
 校内の試験に失敗して、それで、単位修得のために頑張るのだけれど、彼らの勉強を見ていると悲しくなってくる。まあ、入学当初から私が面倒を見てきたのではないのだけど、どうして勉強の仕方がこうなの?と思う。
 英語は確かに丸暗記でも何とかなる部分はある。それでも、最低限の理解が必要と思うのに、全く出来ていない。これでは力が付かない。点にもならない。中学の英語すら理解していない。付け焼き刃の勉強ばかり。同じ付け焼き刃にしても、理解のある付け焼き刃と理解のない付け焼き刃では力の付き方が異なるだろう。本人の能力や適性の問題もあるのかもしれないけれど、何だか悲しくなってくる。

4 コメント

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同感です (エディ)
2009-07-30 00:38:24
はじめまして。エディと申します。現在会計事務所に勤務し、かつ大学院にも通いながら来月の税理士試験を受験する者です。覚えることと考えることについて思うところがあって、プラウザに単語を入れたら、こちらのブログに行きつき、思わず納得してしまいました。
先生は、英語を教えていらっしゃるようですね。私も、これから今の大学院を出たら研究のための大学院へ入り直すために、英語の勉強を開始します。博士課程を出られた先生のアドバイスで、学問系のペーパーバックを多読を軸に勉強するつもりです。
私も、記事の趣旨には同感です。私の高校時代は、もう十数年前ですが、テストに出るからと理解の伴わない丸暗記で定期試験を受けたりもしていました。今考えるととてももったいないことをしたなと思います。目先の点数のために、理解する機会を失ってしまう。これは、とてももったいないことです。私は、今の大学院に入って、考えることの面白さ、大切さに気付いたと思っています。これからさらに大学院へ入り直すという、ある種の暴挙にでるのですが、今の大学院は税理士の科目免除のための大学院で、無事卒業すればというところなので、そうではなく、深くじっくり考える環境を求めてのことです。
高校生にも、特に小論文のような、答えがない若しくは複数存在する問題を解いて、考えることの大切さを知ってもらいたいと思わずにはいられません。突然の長文、失礼しました。
最後に、こちらのブログの更新情報を私のブログに反映するようにしました。またお伺いさせていただければと思います。よろしくお願いします。
ようこそ (ほり(管理人))
2009-07-30 22:03:40
エディさん、ご訪問&コメントをありがとうございます。

このブログ、英語そのものや英語の勉強法について書いてると言うより、元々は、ほりの愚痴ブログでして、疑問に思ったことをいろいろ書いてるものです。それでも、まあ、ただの愚痴じゃねぇぞぉという気持ちがあります。なるべく、広く普く当てはまることを視点を変えて考えていきたいと思っているブログです。大方が教育論です。

でも、もう、大概のことは書き尽くした気になっているので、教育論としては、過去ログの方が面白いかもしれません。やったら長い文章もあります。
ただ、誤字脱字、主述が捻れた文などがたくさんあると思います。すみません。

答えがない問いの重要性は認識しています。だから、授業でも、訳でも何でも、ちゃんと全部言わない。(笑)1回1回違う日本語を使っている。授業なんて、そもそも100%わかるわけないんです。ちょっとわからない方が、伸びる。

小論文については、高校生の場合、特に試験対策になると「時間内に書く」ことが目的になるので、かえって思考が浅くなると思うので、「小論文なんて止めちまえ」という記事がどこかにあると思います。で、これ、ググったら出てきたのですが、どこかの塾の先生が「とにかく賛成意見を書かせる」なんて、指導に使って?いるようで、「バカヤロー。てめぇのような奴が日本の教育を腐らせるんだ」です。(←初対面の方のレスなのに、なんという言葉遣いでしょうね。)
私、主張がやたらはっきりしてるんです。

またどうぞ気楽に遊びに来てください。
大学院は試験があるのですよね、きっと。頑張ってくださいね。
試験は・・・ないです。 (エディ)
2009-07-31 22:56:53
エディです。
コメント、ありがとうございます。試験ですが大学院では試験はないようなものです。レポートがほとんどですね。税理士試験の科目免除のための大学院で、社会人が多いという側面が大きくかかわっているのだと思います。
もちろん、レポートが悪いというわけではありません。それこそ記事ではありませんが、下手な暗記をして付け焼刃で答案を書くよりも、レポートできっちりと論理立てて文章を仕上げる方が難しいという側面もあります。特に法律系ですと、「判例がそうだ」「学説がそうだ」ということで片付けてしまう人が多いそうですが、それは仕事の話。学問ですから、学説や判例はあくまで材料で、自らの意見を求められているというのが正しいレポートの姿だと思っています。(私は、そのようなレポートを提出しています。評価は良いかどうかはわかりませんが、結論を他に依存しないという意味では良いものを出しているつもりです。)
手元に以前目に留まった公立高校の先生が書いた短めの論文があります。わかりやすい授業を心掛けることは、先生方にとって非常に大切なことだと思います。しかし、何でも教えてしまって、生徒の考える力を奪ってしまったりしているのではないか、自ら知ろうとする機会を奪っているのではないかという論稿で、とても考えさせられました。その論稿によると、英語の授業では、生徒があまり英語の辞書を引きたがらないと。単語帳をめくって載っていなかったら覚えないという傾向があるそうです。私の高校生当時では考えられないことです。合理的と言えば合理的かもしれませんが、何か違う気がする。単語帳が完ぺきではないことは、何十種類と単語帳が出版されていることから明らかなこと。でも、わかりにくい先生の講義もそれはそれで理解を助けてくれないわけですから、困ったものであるし、今でも私なりの結論は出ていません。わかりやすい講義をすべきではあると思います。あとは学ぶ生徒の問題というような気もしています。

追伸 ほり様が書かれていることを「愚痴」とおっしゃっていますが、私はそうは思っていません。中身のある意見と言いますか、主張であると思います。これからも、どんどん意見を主張してください。私も思い当たる者にはレスをしたいと思います。(言葉づかいのことは、気にしないでください。「」の中の言葉ですから。)
レポートも大変ですね (ほり(管理人))
2009-08-01 00:47:34
エディさん、コメントをありがとうございます。

レポートを纏めるのって、大変ですよね。
東大法学部は卒論がないと聞いたことがありますが、学部卒程度では、何も書けないからとか。(実質は、公務員でも司法試験でも何でも勉強をしなさい、ということかもしれないけど。←無責任な思いつき)
生徒に小論文を書け、というと、いかに手際よく纏めるか、だけの小手先の器用さを求めているだけのようで、なーんか違うだろうと感じます。自分の意見なんて、まあ、高校生には無理ですと、思ってます。どこかで聞いたことを手際よく纏める、みたいで、思考訓練にはならないから。それで、書いてしまうと、それが自分の意見として刷り込まれる。思考停止を生むようで、まあ、私は好きでないんですよ。(苦笑)高校生なら、要約。これで十分。(笑)

わかりやすい授業が生徒の考える力を奪う、というのは、私はまさに同感です。
辞書引きについては、私が見る分は、電子辞書が出てきてからはよく引きますよ。ただ、引いて和訳の意味を見て、書き写すこともなく、安心する、という感じ。(苦笑)だから、用例まで読め、と私は言ってます。電子辞書は、君たちの脳味噌じゃないぞ、とか。自分の脳味噌に、入れ込まなきゃいけないんだよ、とか。

>何十種類と単語帳が出版されていることから

これは、ホントにもう、すごいですよね。次から次へと出版されてます。しかし、ホントに、売れているのでしょうかね。
単語帳は、まあ、何でもとにかく、確認用として一冊やりこなせば良いと思います。辞書がわりではなく、もちろん。

>あとは学ぶ生徒の問題

学ぶのは、「未知」へ向かうことだから、「わかっちゃう」のは思考停止に繋がるように思います。私は、「わかるために勉強をする」ではなく、「わからないから勉強をする」と思ってます。でないと、未知に向かえない。「わかる」のは、すでに結果がどこに向かうのか、わかってのことですから。
その意味で、「わかりやすさ」は最初から結果を限定するようで、好きになれません。

そうそう、「愚痴」は、ホントは、「照れ隠し」も含めてのものなんですよね。(今、初めて書くけど。)
真意を汲み取っていただけて嬉しいです。

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