考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

わかりやすさと情報化と成果主義

2009年05月23日 | 教育
わかりやすさと情報化と成果主義は、関係がある。
全て、切り取ったものを重視するゆえ、非常に明解であるという点が似ているということだ。

わかりやすさの反対のわかりにくさとは、十分に切り取られていなくて曖昧模糊とした状態である。情報化とは記号化で、これはこれで白黒はっきりしたものである。成果主義は、結果主義ということだから、少なくともその時点でそれ以上の変化は想定しない。だから、明解であると言える。

変化という観点で言えば、石の上にも三年は、石の上であっても三年ということだろうから、実際は五年、十年であろう。離職する若者や離婚の増加も理解できそうである。自己の変化すら想像しないということだ。

変化するものは、基本的にわかりにくいのである。子供が大事にされないとしたら、彼らは、成長という変化をするから、今の世の風潮に合っていないのだろうな。

それで、変化するものを捉えたかったら、ただひたすら感覚を研ぎ澄ますことだ。変化を捉えるのは、身体感覚を通してのことだ。

わかりやすさは脳への入力で情報化と結びつき、結果も情報と同様に変化しないという点で結びつく。
これに対立するのが変化を捉える感覚となると、これは、養老先生である。

書き始めた時に、まさか養老先生がでてくると思わなかった。

う~む。養老先生は、やっぱりすごい。

↑今、携帯メールで打っているから、推敲ができない。話があっち行ったりこっち行ったりして、わかりにくいかもしれない。すみません。
ん?その割にましか(笑)

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