考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

迷路のような学校

2009年04月11日 | 教育
 ある学校は、一つの校舎を歩いて渡り廊下を渡ると、1階を歩いていたつもりだったのが、3階になっている。それで、階段を下りて1階だと思って、また廊下を歩くと、もう一つ下にフロアがあるのに気付く。別の校舎に向かっていくと中二階のような場所に自分がいたことがわかる。1階だと思っていて歩いていくと、2階に続いている。
 まるで、迷路のようである。
 校舎外に出ると花が溢れている。季節毎にさまざまな景色を見せるだろう。階段がどこにでもいくつもあって、景色が変わる。どこに何が隠されているのかわからない場所。

 ちょっと歩き回っただけで、この学校は必ずや良い学校であるとわかる。迷路のようだから。
 「迷路」は、学問の世界そのものだから。前を向き、後ろを振り返ると、全く景色の異なる日常を送れば、世界がいかに豊潤であるか、自分の見知らぬものが存在するかが、体感的にわかるだろう。それが何より大事なのだ。五感を研ぎ澄ますことが、いかなる勉強の土台にもなるのだから。

 良い学校だろうなぁ。
 この学校に入学しただけで、子供たちはさぞかし幸せだろう。隠れることができる場所を自分で見付けることができるだろう。(そういう発想さえあれば。)

コメントを投稿