考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

授業で内心「よし♪」と思うとき

2011年06月02日 | 教育
 ほりの授業は古典的。立たせて、音読させて、訳させる。アクティビティもない、つまんな~い授業である。
 でも、生徒の表情が、ときに、「はっ」とする。この表情を見るのが嬉しい。内心、やったー!と思う。もちろん、私が「やったー」のである。生徒ではない。(笑)その生徒は、心の底から「わかった」のである。「発見」をしたのである。発見を通して、彼や彼女は、自分で勉強をする力を得たのである。
 
 うふ。

 コツは、「答えを教えない」ことである。考え方の「筋道」を教える。(これ、具体的にはあまり書いてない。指導マニュアルには決して書いてない。)
 私は、通常は、「知識」として与えてしまうことでも、あるいは、辞書を引いてわかることでも、与えない。(だから、ときとして、なかなか授業が進まない。)その代わりに、なぜ、どこで間違えたのか、なせ、わからないか、どうしたら、わかるようになるかを教える。この上で、わからせると、次にわからないときに、役に立つ。一度でできることではないから、何度も繰り返して良いのである。「考え方の筋道」は、方法としては、あまり数はない。だから、ほりの授業は、どの教材でもほとんど同じことしか言わない。

 単語一つでも、わからなかったら、辞書を引けば良いわけでない。辞書を引く以前にできることがたくさんあるし、辞書を引いてもただ意味を調べるのではなく、読み方がある。かれらは、それを知らない。すべてが「思考訓練」なのである。知識の習得であっても、思考訓練を通した知識の習得と、習得が目的の知識の習得とは異なる。

 もう、徹底的に、そうすることにしている。
 必ず、自分の力で読めるようになるし、さほど間違えずに書けるようになる。(もちろん、レベルに応じてだけど、めちゃくちゃな間違いは決してしなくなる。)
 この変化は面白いものである。

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