考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

チョークの色の難しさ

2008年07月23日 | 教育
 板書をする際のチョークの色の選択は、実は難しい。
 通常の白は、まあ、ふつーである。塗りつぶしたとき、そこが白か黒かを言う程度である。(大抵、塗りつぶした箇所は「黒」になる、というか、私は「白だけど、これ、黒ね」と言っている。)

 何かを強調したいとき、色チョークを使う。黄色や赤は必ず準備されているものだ。(青や緑はときによってない。)で、どっちを使って重要事項を表現するか、どちらの色を選ぶかは、実はなかなか容易でないのである。
 なぜなら、1クラス40人とすると、色覚異常の生徒が必ずいるとみて良いからだ。その生徒のことを考えると、赤より黄色の方が断然良いのである。しかるに、特に雨の日など、明かりを付けても若干薄暗い教室(あー、環境悪い)で、後ろの席から見る黄色は白と判別が付きにくいのだ。赤の方が強調されていることがよく分かる。しかし、赤は上記の生徒にとって非常に見にくい色になる。大事なことがかえって見づらいのは大変である。
 私の経験では、校内外の研修で管理職の先生などから「黄色は後ろから見にくいから重要事項には赤を使うと良い」「赤は生徒によって見づらいから黄色を使いなさい」という指導を聞いたことがある。それで、教育実習生の指導をする際、私は赤と黄色については双方の意見があることを必ず言っている。
 赤より青や緑の方が良いという話も聞く。(真偽はよく知らない。)しかし、青や緑は、一般に見にくい。青は黒っぽく映えない。緑も見づらい。

 私個人について言うと、赤か黄色かを問われれば、黄色を使っている。遠目には白くても、それでも、見えるか見えないかの違いが大きいとおもうからだ。
 しかし、他の色を使いたいとき、使った方が良いときは、他の色も使う。「書き換え」の場合、基本の文を白で書き、上の文のこの部分が下の文のこっちに行く、などを色で表す。英語の文字は白で書くが、変化の仕方、「→」や、他に、例えば「時制が同じ」「to 原形」「to have 過去分詞」などは色チョークになることが多い。色の選択の際には、上記の生徒が気がかりでいつも気分すぐれない。(これ、ホント。)単語に印を付けるときは、「黄色い□」「赤の○」「白の波線」「青の二重線」など、色と形式を変えて、なるべく口頭でも表現するようにしている。
 他には、絵を描くとき色チョークを使う。海の波だったら、「青いチョークはないかな?」など口で言ってから(なぜか習慣になっている。)、ない場合には、「これ、黄色いけど海の波ね」などと言っている。なるべく実態に近い方が大多数の生徒には良いからだ。それに、私の場合の「絵」は、英語そのものの重要事項とは関係がないことが多い。

 もう10年近くかそれ以上になると思うが、学校で色覚検査を行わなくなった。それまでは、1年生は入学後の身体測定などで必ず行っていた。しかし、検査項目はだんだん減っていき、今は胸囲や座高も測っていない(と思う)。体重と身長、視力、聴覚検査は今もあるが。
 皮肉なことだが、学校で色覚検査をしなくなってから、自分自身、色覚についての配慮が徐々に減ってきているように思う。振り返ってみると、上記のチョークの色の選択の際の「心のうずき?」が減じている気がするからだ。かつての「ああ、特定の生徒にも見えるかな」というストレートな思いから、「何となく気分が悪い」に、まあ、具体性を欠いてきているのである。検査が無くなったのは、おそらく、差別させないようにとの配慮だったのだろうが、それによって、これまで強く抱いていた配慮の感覚が鈍ってきた自分に気付く。他の方はどうかわからないが、私にとっては実に皮肉なことである。

 数年前くらいから? 町の路線図などで色に対する配慮がなされた。店の看板も、「赤と緑」が減って「黄色と青」が増えたのも同じ理由だろう。しかし、一時期、「青と黄色」の看板がやたら増えた街を見て何かしらの違和感も感じた。なぜなら、色彩的に豊かでないからだ。色がごちゃごちゃ氾濫している街が良いと言ってるわけではないが、赤と緑の強烈な対比がなくなった様相も寂しいと思った。緑の葉に赤い花が咲くにはそれなりの理由があってのことだ。自然界と人工の世界を同じにするなという考えもあるだろうが、「赤と緑」は、非常に見分けやすい色であるの事実だし、「黄色と青」にない何らかのイメージがある。イメージというか感性を失うことに対するちょっとした違和感もある。「赤と緑」の看板が減った背景には、ある意味、より多い顧客の獲得があろうが。

 いつだったか、シャンプーとリンスのボトルの形を変えた(どっちかの側面に凸凹を付けようというもの)話があった。(あれ、どうなったのだろう?私がいつも使ってるのには違いがない。)目の見えない人そうでない人、双方にメリットがあったからだ。好ましいことである。この頃のトイレは広くなり、手すり付きが増えた。これも、好ましいことだと思う。(ただ、トイレに割けるスペースが同じ場合、個室の数が減ることになる。これはときに待ち時間が長くなるというデメリットに繋がるが、このデメリットはフォーク型に並ぶ習慣ができたせいかどういうわけか目立たない。)バリアフリーということで、水道の蛇口を握る必要が無くなった。自動栓も増えた。しかし、幼児がモノを握る訓練の場が減った。(近頃の子供は不器用だと聞くが、私は原因の一つに蛇口の形態の変化があると疑っている。)地面の段差がなくなった。しかし、逆に子供はちょっとしたことで躓きやすくならないだろうか。「誰のためにもなる」方策とは意外に難しいものだとも思う。

 「色」に対する問題の難しさもそうだ。なぜなら、色の多様性は「色彩の豊かさ」に通じるからだ。色が分からない人と、2色分かる人、3色分かる人、それで、(科学大好き土曜塾で茂木さんが言ってたけどザンビアにいるという)4色分かる人では、それぞれ色の豊かさが異なっている。4色分かる人は、我々の全く知らない、もっともっと豊かな色彩の世界で暮らしているのだろう。「感覚」の世界は、だれにとってもより豊かな方が良いはずだ。「白と黒」より、灰色のさまざまなグラデーションがあった方が豊かだろうということだし、青と黄色だけより、緑や赤があったほうがいい。「第4色」で物を区別できる人は、その能力を活かせる環境の方が良いはずだ。でないと、身体の感覚は鈍ってくる。

 しかし、話を板書に戻す。
 思い付くのは、近頃出てきた「蛍光色」のチョークである。緑は、きれいなエメラルドグリーンである。赤は蛍光色ピンクである。オレンジもある。青もきれいな蛍光色で黒板でも目立つ。「明度」が違えばわかりにくさは多少解消しないのだろうか。
 これらの蛍光色チョークを従来のチョークに加えて適宜選択して使えば、「誰にとっても識別しやすい色」にならないのだろうか。そうすれば、全ての問題の解決が付く。
 実際は、具体的にそのような生徒に意見を聞くのが一番早いはずである。しかし、検査を行ってない学校はわからないし、たとえ分かったとしても、問われることそのものが嫌な生徒もいるだろうから聞くことは出来まい。

 これは、日本中の学校の全ての教室で起こっている問題だろう。私の思いつきに過ぎないが、蛍光色チョークを追加して使用することが具体的な対処法になるのかどうか、まず、そこをはっきりできないものか。それで、もし、対策になるのだとしたらどうだろう。しかし、蛍光色チョークは高いんじゃないのかな。事務はどう言うだろう。
 学校ではないが、広々とした手すり付きのトイレだって、費用がそれだけかかっている。似た話じゃないかと思うけど。(それとも、個室が減るから、相殺されてるのかなぁ? その点、チョークは相殺されるモノがないけど。でも、「自動栓」なんて維持費から何まで費用はかかっているはずだ。)
 う~ん。。。
 教育にはもっとお金を掛けて良いはずである。「未来」に通じるのだから。

2 コメント

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蛍光チョーク (京美(kyoumi))
2009-05-10 20:28:35
はじめまして。京美です。
私も公立の高校教員ですが、うちの勤務校には色覚の生徒のことを配慮して、普通のチョーク以外に「蛍光チョーク」が準備されています。
蛍光の黄緑、ブルー、オレンジの3色だったと思います。

私自身は、黄色と白のチョークが中心です。
唯一オレンジの蛍光チョークを「赤」の代用として生徒に指示して「特に重要な内容を明記するとき」に使っています。
ようこそ (ほり(管理人))
2009-05-11 00:15:34
京美さん、ご訪問&コメントをありがとうございます。

蛍光チョークが用意されているなんて、良い学校ですね♪

先日、生物の資料集が目に入ったら、とても色が見にくいように思いました。でも、あれは、色覚の生徒を配慮した色遣いのようです。
「わかりやすい色」が異なるのが困りものだと思いました。(関係ないけど、裁判員制度でのパワーポインタの色遣いはどうするのでしょうね。)でも、蛍光チョークは、彩度か明度が違うのでしょうから、きっとどちらにとってもわかりやすいなら良いですよね。
このエントリを書いてしばらく(?)してから、チョークの色などについて、文科省からの色覚の生徒に配慮するようにと言う内容のパンフレットが配布されました。長年教員をしていて、こんなのを貰ったのは初めてです。これまでは、どのように考えていたのでしょうね。

関係ないけど、↑時々配布される、こういう類のパンフレットの紙質、とても良いものが多いんです。こんなところで無駄遣いしないで欲しいと思います。これ、学校の先生以外は、誰も知らない事実でしょうね。

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