考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

迷路のような学校

2009年04月11日 | 教育
 ある学校は、一つの校舎を歩いて渡り廊下を渡ると、1階を歩いていたつもりだったのが、3階になっている。それで、階段を下りて1階だと思って、また廊下を歩くと、もう一つ下にフロアがあるのに気付く。別の校舎に向かっていくと中二階のような場所に自分がいたことがわかる。1階だと思っていて歩いていくと、2階に続いている。
 まるで、迷路のようである。
 校舎外に出ると花が溢れている。季節毎にさまざまな景色を見せるだろう。階段がどこにでもいくつもあって、景色が変わる。どこに何が隠されているのかわからない場所。

 ちょっと歩き回っただけで、この学校は必ずや良い学校であるとわかる。迷路のようだから。
 「迷路」は、学問の世界そのものだから。前を向き、後ろを振り返ると、全く景色の異なる日常を送れば、世界がいかに豊潤であるか、自分の見知らぬものが存在するかが、体感的にわかるだろう。それが何より大事なのだ。五感を研ぎ澄ますことが、いかなる勉強の土台にもなるのだから。

 良い学校だろうなぁ。
 この学校に入学しただけで、子供たちはさぞかし幸せだろう。隠れることができる場所を自分で見付けることができるだろう。(そういう発想さえあれば。)