喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

ロッキー・マウンテン・ハイ (Rocky Mountain High) からふるさと佐田岬を思う

2016-09-20 | ブログ
 平成15年、3ヶ月間の「日米国民交流若手教員のアメリカ派遣」
13年前の9月20日、研修スタートの前にロッキー山脈国立公園に行ってみた。

 公園を東西にぬけるトレール・リッジ・ロード (US-34 / Trail Ridge Road) は、
山頂の大陸分水嶺を通りぬけるが、分水嶺近くのアルパイン・ビジター・センター (Alpine Visitor Center) や
前後のビュー・ポイントからは、壮大なロッキー山脈の山々の眺望が楽しめる。

 まさに、ジョン・デンバー (John Denver) のロッキー・マウンテン・ハイ (Rocky Mountain High) の世界。

ジョンは、1970年代前半から1990年代にかけて活躍したアメリカのカントリー・ポップス・シンガー。

「ロッキー・マウンテン・ハイ」は、数あるジョン・デンバーの曲の中でも代表曲の1つ。
カントリー・ミュージックをベースにした、素朴でアコースティックな味わいの曲で、
ギルドのアコースティック・ギターを弾きながら軽やかに歌い上げている。

 歌詞は、「彼は27歳の年に生まれた。そして、今までやって来たこともない場所に戻ってきた…」
というおもしろい表現で始まっている。
 都会生活に見切りをつけた若者が、ロッキー山脈の自然の中で暮らし始めて、
その生活に新たな意味を見出していく姿が描かれている。

 この曲が作られた1970年代前半の日本は、右肩上がりの高度成長時代が終わりを迎えた頃。
それまでの日本社会は、戦後の復興から目覚ましい発展をとげ、
GDPではアメリカ合衆国に次ぐ世界第2位の大国にまで上りつめた。

 一方で、経済の停滞や公害問題が深刻になってきた。
それまでの猛烈な生き方への反省として、人間性の回復などがクローズアップされた時でもあったようだ。
自然(nature)に帰ることが求められてきた時代と言えるだろう。』



 

では、ロッキー・マウンテン・ハイの歌詞をかみしめながら。



『ロッキーマウンテンハイ 作詞作曲 ジョン・デンバー&マイク・テイラー 訳詞 マーヤ
 
彼は27歳の夏に生まれた
未だかつて住んだことのないふるさとに戻ってきた
彼は過去に別れを告げ生まれ変わったと、あなたは言うかもしれない
彼はどんな扉をも開ける鍵を見つけたんだと

彼が初めてその山に来た時、
人生について迷っていたんだ
道すがら歌いながら
でも、弦が切れても彼は気にしなかった
変化というものは素早く変わるし、いつまでも同じままじゃないから

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
星灯かりの影は子守唄よりも柔らかく優しい
ロッキーマウンテンよ

彼は大聖堂のような山に登り、銀色に輝く雲を足元に見た
彼には何もかも彼方に見えた
みんなは彼のことを気ちがい呼ばわりした
太陽に触ろうとしたと
彼はとある友人を失ってしまったけれど、思い出だけは失うことはなかった

今や彼は森や小川の中を一人静かに歩いている
一歩一歩あるきながら美しいものを探し求めていた
彼は内なる心に向けられ、その思いを理解しようとしていた
青く澄みきった山の湖の穏やかさも

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
神に話しかけ気さくな返事に耳を傾けよう
ロッキーマウンテンハイ

彼の人生は不思議なことだらけで心は怖れに満ちている
簡単なことすら理解できなくなっている
なぜ彼らは山を引き裂こうとしているのか
人々が増え、地には傷跡が残ろうとしているのに

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
鷲が空高く飛ぶのを見なかったら
彼はもっと貧しい男になっていただろう
ロッキーマウンテンハイ

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
友よキャンプファイヤーを囲んでみんなで楽しくやろう
ロッキーマウンテンハイ
ロッキーマウンテンハイ
ロッキーマウンテンハイ』


 都会生活に見切りをつけた若者が、ロッキー山脈の自然の中で暮らし始めて、
その生活に新たな意味を見出していく姿が描かれている。

 ふるさと佐田岬にもたくさんの魅力がある。


                       岬人(はなんちゅう)

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