喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

私たちの後輩へ ~私の夢は、~ 

2017-02-21 | 感動
 3年前、すばらしい取組があったので、以下にふり返る。

「ふるさとの田舎に暮らすあなたの夢はなんですか?」
若者たちが、自分を語ってくれた。



先月1月22日(水)、三崎中学校に19歳から26歳までの7人の若者たちが訪れ、
中学生や保護者のみなさんに熱く語ってくれた。
 聞いていて、心が熱くなるのを感じた。

 演題は、「私たちの後輩へ ~ふるさとで生きるということ~」

 まずは、それぞれの自己紹介。
中学時代の様子やなぜ今ふるさとで暮らすようになったかなど。

 たくさんの失敗談も飛びだす。
「中学時代は、何かつっぱることがかっこよく思えていました。」
「将来の目標は、まだ全然考えられていませんでした。」
「勉強は、あまりしませんでした。」

 そんな話を聞いて、中学生たちは似たところがある自分と重なる。
先輩たちの話に、一気に引きこまれていく。

 
「ふるさとで好きな場所はどこですか?」という中学生からの質問にもこたえる。
「友だちとよく行った伽藍山です。」
「夕日がきれいな赤灯台です。」
「もの思いにふけりたいときによく行ったムーンビーチ」



 そして山場に入る。
「これからの夢や目標は何ですか?」という質問に、
「結婚して、子どもがほしいです。」
「もっとたくさんの人に出会って、成長したいです。」
「お客さまの笑顔がたくさん見られるよう、仕事をがんばっていきたいです。」
「妻や子どもを守っていきたいです。」など

 中学生にとっては、先輩たちへの見方がどんどん変わっていく。
 夢や目標がなく自分に自信があまりなかった先輩たちが、
今こうしてたくさんの人の前で自分をさらけ出して話してくれている。
 昔に比べ、成長した自分があり、夢や目標をしっかりと持ってがんばっている先輩たち。
 そしてみなさんふるさとが大好き。
ふるさとで暮らしていることを大切にしている。
   
 シンポジウム終了後、中学生たちがいろいろな感想を述べている。

 ○ シンポジウムに参加して、いろいろな将来の選択肢が増えました。
勉強が苦手でも本当にやりたいことがあったら頑張れると言っていたので安心しました。
その言葉を言ってもらって嬉しかったです。
都会に出るのは少し怖いイメージがあったけど、外に出るといろんな人との出会いもたくさんあるんだなとも思いました。
そして地元のすごいところをよそに広めていくのもいいなと思いました。
 父さんの仕事を継ごうかなと思ったりもしてますが、好きなことをやるのが1番と言っていたのでそうしたいです。
皆さんの話はすごく心に残りました。今やっていることを一生懸命頑張りたいです。




○ 小林さんの「形として残る仕事」をしている喜びや、
「守りたい人がいるから頑張っている」という言葉が心に残っています。
僕もいつかそう言ってみたいです。



○ やりたい仕事を見つけていくのは大変だと思いますが、
自分にあった仕事を見つけるまでにやってきた努力はとてもすごいと思いました。
 清水さんが言っていた「感謝の言葉をもらったときに仕事のやりがいを感じる」
という言葉を聞いて、どんな仕事でもどこかで人と繋がっていると思うので、
感謝の言葉をもらうとやる気が出ると思います。



○ 僕の心が動いたのは、宇藤さんのエンジン交換が終わって、エンジンが動いたときに達成感があったということです。
僕も将来やり遂げてよかったと思える達成感のある仕事に就きたいです。
そして、三崎というふるさとを大事にして、三崎を知らない人に自慢できるようなふるさとにしてきたいです。



○ 今日阿部さんのスピーチを聞いて思ったことは、
阿部さんの中学校の時の気持ちが、私の今の気持ちと同じだということです。



○ 7人の中で同じ趣味の人がいました。片岡さんです。僕も釣りが大好きで自分用の竿が2~4本あります。もう一つはマラソンです。マラソンを走っていると楽しくなるからです。片岡さんと一緒に釣りやマラソンをしてみたいです。



○ 僕にはまだ夢がありません。でも、「農業を継ぐ」と決めた話は印象的でした。
その人はみかんを食べさせてもらって、そのみかんがとてもおいしくて印象に残っていたので農業を継ごうと決めたそうです。


    「ふるさと三崎が、大好きなかわいい笹山さん」

○ 私にはいくつかの夢があります。いろんなものに興味があり、いろんなことをして働いてみたいです。
そして、働いてある程度お金がたまったら、父と母にプレゼントを買ってあげたいです。
もしくは旅行に連れて行ってあげたいです。

○ 先輩方の話を聞いて思ったことがあります。1つ目は中学生の時の過ごし方で、この先の人生が大きく変わってしまうということです。2つ目は、田舎だからといって、できないことはないということです。

 
 後輩たちへ熱く語ってくれた若者たち。
それを自分と重ね合わせて受けとめ、自分なりの思いをもった中学たち。

 本当にすばらしい出会いだった。
この出会いがこれからの自分の未来へつながっていきますように。

 大人も負けてはいられない。
しっかりとした背中を見せていきたい。

 ふるさとの未来は、明るい。

                        岬人(はなんちゅう)

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私たちの後輩へ ~ふるさとで生きるということ~ 

2017-02-21 | 感動
 都会には、夢があるのだろうか。
 田舎には、夢があるのだろうか。

 いや、夢というものは、場所との関わりというよりも、
自分の中にあるか、どうかだろう。 

 3年前だが、すばらしい取組があった。



 変化の激しいこれからの社会で、どんな若者を育てていけばいいのだろうか?
もちろん、そんなことを私みたいな者が考えなくても、若者たちは自然に育っていくのだろうが。

「ふるさとを生き生きと語れる若者」に育ってほしいと思っている。

 昔も都会へのあこがれはあっただろうが、情報が密に飛びかう今日、
さらに都会へのあこがれが強まっているような気がする。

 地方の街を車で走っていると、あることに気づく。
それは、プチ東京をめざすがごとく、似たようなチェーン店が道路の両側に連なっている。
日本のどこを走っても似たようなもの。
大洲をみてもそう。
 その土地ならではの特徴ある店や町並みはどんどん消えているような感じがする。
地方のプチ東京化とでも言えるだろうか。


 地方の基幹産業は、がんばっているのだが、なかなかきびしい。
佐田岬の柑橘農業、漁業も例外ではない。
 親や大人は、本心ではないだろうが、
「仕事がないので、地元に残ってもしかたない。都会で就職するしかない。」
と言って若者たちを送り出す。

 そんな言葉を聞いた若者たちも
「親や大人がそういうのだから、そうなのかな。都会は便利で、刺激的で、夢があるかも。」
と思ってふるさとから出て行く。

 このような先には、どんな暮らしがあるのだろう。
ふるさとの田舎では。都会では。



 しかし、それとは正反対の様子も見られる。

 先月1月22日(水)、三崎中学校に7人の若者たちが訪れ、
中学生や保護者のみなさんに熱く語ってくれた。
聞いていて、心が熱くなるのを感じた。

 その様子は…   (次につづく)


                 岬人(はなんちゅう)
 
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メロディーラインの河津桜

2017-02-20 | 佐田岬の風景
 1週間前の2月11日。
二名津では春祭りだった。

 夕方、仕事帰りにメロディーライン沿道に咲く河津桜がとてもきれいだった。
まだ雪が残っており、雪と桜の不思議な風景。



 昭和30年に発見された河津桜。
オオシマザクラとヒカンザクラの自然交配と言われている。
この原木から今の河津側沿いの桜並木ができあがった。

 ヒカンザクラの仲間なので濃いピンク。



花期も長い。
春のお花見のソメイヨシノは見頃は1週間ほど。
開花から2週間くらいで葉桜になってしまう。

 でも河津桜は、それぞれの木の満開が2週間ほど続く。
少し葉っぱが出て来てもきれいで開花から1か月は咲いている。



 岬の夕陽に照らされて、ピンクとオレンジが混ざり合う。
向こうに見えるは、宇和海と名取。



 ふるさとの花のある風景。

 未来に残したいふるさとの風景。

                岬人(はなんちゅう)


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佐田岬の梅の花

2017-02-17 | 佐田岬の風景
 先週2月11日。
大雪により、雪がまだ残っているところが多かった。

 仕事帰りに、瀬戸内側を通って帰った。
名付けて、瀬戸内岬海道(はなかいどう)。

 梅は寒い中、いち早く春の訪れを知らせる花。



 小島を過ぎた辺りだった。
道路横に梅の花が咲いていた。
 小さくて、可憐な花。



 これからいろいろな花が佐田岬に咲き始める。
ふるさとの花のある風景。

 未来に残したいふるさとの風景。



           岬人(はなんちゅう)

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心の中にあるおじいちゃんの家

2017-02-16 | 感動
わたしの家は、ふたつある。


ひとつは自分の家。

もうひとつは、おじいちゃんの家。


お母さんとケンカした時、

わがまま言いたい時、

何もかも嫌になった時、

わたしは、もうひとつの家に行った。


おじいちゃんは、好き勝手に

突然やってくる孫娘を

いつでも笑顔で迎えてくれた。


わたし、おじいちゃんの笑顔に

何度も救われていたんだよ。



もうお別れだけど、

これからも心の中にある

おじいちゃん家に会いに行くからね。



愛されていた日々が、

守られていた日々が、

これからもわたしを

支えてくれる。




     「大きなのっぽの古時計」

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おじさんを偲び、カミュ・ナポレオンを飲む

2017-02-16 | 感動
 昨年、平成28年2月16日のブログをのぞいてみた。

「2月14日の日曜日、姉の義父に久しぶりに会った。
2年前、お伊勢参りの帰りに松山の家におじゃまして以来。

 大好きなおじさんだ。
鹿児島県枕崎出身の船乗り。
長い間、貨物船の船長として働いた。

 骨太の体格で、鍛えられた体は元気そのもの。
船乗りだが荒っぽいところは全くなく、物静かで笑った時の笑顔がとてもやさしい。
 時おり口から出る鹿児島なまりが、大学時代の親友を思い出させてくれるようで、
そんなところも大好きなところ。

 80歳を越えて、少し元気はなくなったものの、
おじさんの良さは変わらずにじみ出ていた。

 1時間ほどして帰るときに、
「よかったらこれ飲んで。
同じ船乗りで外国航路専門の弟から、40年前にお土産にもらったもの。
うちは誰も飲まないからどうぞ。」


 そんな貴重なお酒を私に。
とまどったが、ありがたくいただくことにした。

 豪華な箱を開けて感動。
ビンではなく、ブック型の陶器にナポレオンのデザイン。
しかも遊び心で、栓がナポレオンの帽子になっている。



 早速、家に帰り一杯。
んー。口あたりがやわらかく、まろやか。
これが長い時間が作り出す熟成の味だろうか。



 おじさんの気持ちも含め、
心もお腹も幸せで満たされた。

 毎晩の楽しみが増えた。
日々の暮らしの小さな幸せ。

 案外、幸せってとびっきりのことよりも
こんなものなのかもしれない。」

 
 このナポレオンはあまりに貴重な物だったので、まだ飲み切っておらず残しておいた。

 おじさんは、今年平成29年1月9日、静かに息を引き取られた。
 
 その2週間ほど前の年末12月23日にお見舞いに行ったときは十分話もできた。
 孫たちの成長や奥様との旅行話、ふるさと枕崎のことを
うれしそうに話されていた。

 10日に通夜。
そして11日が告別式。
 納棺のため、私の父と朝早く家を出た。
天気がとてもいい朝だった。



 葬儀場の入り口を入ると大きな柱時計がかかっている。
まるで亡くなった方の人生を刻んできたかのような、大きなのっぽの古時計。
おじいさんの時計だ。



 受付のそばには、おじさんが好んで着ていた深緑のダウンジャケットがかけられていた。
 奥様と仲良く撮った写真。
半世紀以上をつれそったご夫婦。


 
 午後1時から厳かに告別式が営まれ、
夕方、荼毘にふされ、天に昇って行かれた。
 船長だったおじさんは、舵をとり、天国へ船出した。


 今夜、おじさんの孫娘もも(私からすると姪)が、我が家に泊まることになっている。
おじさんを偲び、おじさんからいただいたあのナポレオンを一緒に飲みたいと思う。
 
                 岬人(はなんちゅう)
 
 
         
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石手寺・伊佐爾波神社 と 道後ややのランチ

2017-02-15 | 感動
3年前の平成26年(2014年)のふり返り。

2月14日(金)。
世の中は、バレンタインデーということでうきうきしている日。
松山で愛媛県内から集まった150人の前で、プレゼンをすることになっていた。

 道中、長浜・双海あたりでは北西の風がきびしく、護岸に打ちつけられた波しぶきがあがっていた。
そして見上げれば、山の上のあたりはうっすら雪化粧。





 プレゼン内容を巻き返しくり返し、シュミレーションし準備した。
何とも重いバレンタインデー。
 でもその甲斐あってか、本番ではあまり緊張することなく、
かえって熱くなるような場面さえあった。
 こうして何とか務めを終えることができ、肩の荷もおりた。

 その夜は、関係者といっしょに松山の夜を満喫した。
昼間の延長のような熱い時間だった。
 そのせいか、いつものように酔うことなくベッドに。
そして疲れのせいか、ぐっすり。

 翌朝15日は、さわやかな目ざめだった。
天気も落ち着き、プチ旅行気分を味わいに道後を散策することにした。
まず向かったのは、一度行ってみたかった「石手寺」。
 四国八十八カ所51番札所で、境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されている壮観さ。
それに寺宝を常時展示している宝物館を備えており、四国霊場では随一ともいえる文化財の寺院。

 それらに見とれていると、ひとりのおばあちゃんに声をかけられた。
「お接待、いただきませんか。」
地元のお大師さん信者のみなさんが、白装束に身をつつみ、お接待をしていた。
何とこの日は、お釈迦様の命日ということだった。
 
 せっかくなので、お接待のあられをいただき、お参りをした。
信者のみなさんは、それからもお参りに来られた多くの人に声をかけ、お接待。




 お堂の中から鉦の音色といっしょにご詠歌が聞こえてくる。
それに心ひかれたのか、一人の女性が見入っていた。
その女性におばあちゃんが何やら話しをされている。
背中には「南無大師遍照金剛」の尊い文字。
おばあちゃんの話しにうなづきながら耳を傾ける女性。
 ふたりの女性の美しい光景だった。


 そんな温かい思いで、寺の隅々、回廊にいたるまで歩いた。
次に向かったのは、伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)。



 下から見上げる美しい階段。
国の重要文化財に指定されている社殿は、全国に3例しかない八幡造。
 その後、昨年の夏の火災でなくなってはいたが、一遍上人が生まれた宝厳寺にも足をのばした。

 かなり歩きお腹も減ったところで、これまた一度行ってみたかった「道後やや」のお昼をいただくことにした。



 全てを愛媛県内の地産地消にこだわりつくしたもの。
ビュッフェ形式を取り入れているのだが、デザートの柑橘だけでも
みかん、伊予柑、デコポン、はるみ、清見…など8種類ほどあった。
器は、砥部焼。

 少しずつ取って食べてもお腹いっぱい。

 心もお腹も満たされた道後散策。
前日のプレゼンのごほうびのようだった。

 私のふるさとも、このような温かい、こだわりのあるふるさとにしていきたい。 


                       岬人(はなんちゅう)

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すてきなバレンタインデーを思い出す ~ふるさとの少女の心配り~

2017-02-14 | 感動
 2年前のすてきなバレンタインデーを思い出す。
ふるさとの少女のすてきな気配り。


2月14日は、バレンタインデー。
もうチョコレートをわくわくしながら待つという歳でもない。

 息子が同級生から手作りのケーキをもらって帰った。
あわせて、
「家族のみなさんにも食べてもらってください。」
と言って、5人分。

 この心遣いには、ビックリ。



 しかもこのくるみケーキが絶品。

こんな少女がふるさとで育っていることが、とてもうれしい。

          岬人(はなんちゅう)
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バレンタインデー 人生はチョコレートの箱のようなもの ~Life is like a box of chocolates.~

2017-02-14 | 感動
 3年前の平成26年(2014年)のバレンタインデーをふり返る。


2月14日、バレンタインデー。
歳を重ねるごとに、その日のわくわく、どきどき感が薄らいでいくような感じがする。

 それなのにプレゼントされると、とてもあたたかい気持ちになる。
今年は、いつもの年になくプレゼントをいただいた。



 毎年の妻と娘たちからのもの。
ホテルフロントの方からのもの。
中学生からのもの。
日赤の前田さんからのもの。
知り合いからのもの。

 わざわざ準備をしてプレゼントしていただいた気持ちがとてもうれしい。
そう思うと食べるのがもったいなく思える。
すてきなラッピングやデコレーションも目を楽しませてくれる。
そのうちゆっくりと味わっていただこうと、いまだにある。

 チョコレートと言えば、昔観た映画「フォレストガンプ」を思い出す。
とってもすばらしかった。
調べて、ふり返ってみた。




『人生はチョコレートの箱

 チョコレートはその甘さと食感ゆえに映画の中では人生を豊かに彩る菓子として描かれることが多い。
「フォレスト・ガンプ/一期一会」 (1994)はそんな作品の代表格である。

 守護天使の落し物と思しき白い羽根が上空から風に乗って主人公フォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)
の足元に舞い降りるまでをワンカットで捉えたシーンで始まる。
 彼がバスを待つベンチで居合わせた人々にこれまでの半生を語り聞かせる回想形式で進行する。
その最初の一人である黒人女性にチョコレートを薦めていうのが次のセリフである。


“Life is like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.”

(人生はチョコレートの箱のようなもの、開けてみるまで中身はわからない)


 フォレストは生まれつき知能指数が低く、背骨が歪んでいるため脚装具を付けないとまともに歩けなかったが、
母はそんな彼を特別扱いせずに女手ひとつで育て上げた。
チョコレートのセリフは、その母の息子への励ましの言葉の一つである。

 アメリカではミルク、ナッツ、ヌガーなどいろいろな味のチョコレートのランダムな詰め合わせが売られていることが多い。
ここで言うチョコレートの箱とはそれのことで、
開けて食べてみないと中身がわからないことを先読みのできない人生のたとえとして、
ハンディキャップを背負ったフォレストにも希望があることを教えていた。

 彼の人生はこのセリフに象徴される波乱万丈の軌跡をたどる。

 母の愛情を受けて天真爛漫に育ったフォレストは、ある日いじめっ子に追いかけられていると、
突然脚装具が外れて信じられないスピードで疾走し始める。
 走りながら脚装具が外れていく様子をスローモーションでとらえた映像は、
彼を拘束し束縛していたものから解放されて眼前に拡がる自由な世界に跳躍して行くかのように見える。

 彼はその俊足を生かして大学ではフットボール選手として活躍し、
従軍したベトナム戦争では銃弾飛び交う戦場を駆け抜けて命拾いし、
復員後にビジネスで成功した後はアメリカ大陸を走って何往復も横断して一躍時の人となるのである。



 そんな彼とは対照的な人生を送るのが彼の幼馴染で運命の人であるジェニーである。
 フォレストと小学校のスクールバスで出会った彼女は、母以外に彼をバカにしなかった唯一の味方として、
フォレスト曰く「豆とニンジンのようにいつも一緒」の関係になる。
これはアメリカの家庭料理ではシチューなどを煮込む時に豆とニンジンは必ず入る定番の食材であることから、
切っても切れない関係を示す諺である。

 しかし彼女は幼児期に父親に性的虐待を受けた事件がトラウマとなり、
「鳥になってここではないどこかへ逃げ出したい」と願うようになる。
「PLAYBOY」のモデルになって女子大を退学になった後は、ストリップ小屋の歌手やヒッピー暮らしと転々とし、
ブラックパンサー党(Black Panther)の反戦闘争に関わった後に麻薬に手を染める。

 実は冒頭のシーンでフォレストはジェニーに久しぶりに会うためにバスを待っていて、
黒人女性に薦めたチョコレートは彼女へのプレゼントなのである。
それをつまみ食いしてしまうあたりが天真爛漫なフォレストらしいのだが、
 彼は大学時代にも彼女にチョコレートを贈っており、
それは人生に苦悩する彼女にも母の教えをわかって欲しいという彼なりの愛情表現なのだろう。』



 この映画は、一歩踏み出す勇気を教えてくれる。
人生って歩いてみないとわからない。

 そうチョコレートとは、喜びと希望の食べ物。
どんなものが入っているか、チョコレート箱を開けて、食べてみないとわからない。

 自分の未来、ふるさとの未来と重なる。

 

 いただいたチョコレート箱をいつ開けて食べようか。
その時を楽しみにしたい。

                  岬人(はなんちゅう)

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雪の佐田岬、瀬戸内岬海道をドライブ2  小島・田部・神崎・高茂

2017-02-12 | 佐田岬の風景
 2月11日、岬には雪が積もった。
仕事が終わり、久しぶりに瀬戸内側の県道(鳥井・喜木津線)を通って帰った。
 名付けて、瀬戸内岬(はな)海道。

 いつもはまっすぐなメローディーラインを快適にドライブしながらだが、
この道はそうはいかない。

 ぐねぐねした道、連なる鼻と湾。
でもそれぞれに少しづつ違った文化と暮らしが営まれている。
実におもしろい。

 小島の宮の森。
この森は鎮守の森で、希少な動植物の宝庫。


 小島の港


 森の中の小屋


 緑のトンネル


 きれいに切りそろえられた暴風垣


 田部を望む.
昔はこの集落にも小学校があった。


 田部のミニお四国参り



 田部のアーチ型の橋
水源は高茂だろうか。


 山王神社(高茂神社)


 春を待つ養蜂箱


 メロディーラインを走っていては絶対に感じられないものばかり。
便利さ、速さだけを追い求めては、豊かなものを見失うことも多い。
 
 もっと足元をみよう。
そこには、先人たちが暮らした跡やそのつながりが感じられる。

                   岬人(はなんちゅう)
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