喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

喜久家国際ワークキャンプ 交流会

2017-03-26 | 喜久家ボランティア
 喜久家国際ワークキャンプが始まって1週間。
3月4日(土)、恒例の交流会を我が家で開いた。

 途中、入ったり、出たりと。
今年も総勢40人を超す大交流会。
平礒の人口が40人少しなので、この夜は、人口が倍増。


 エストニア出身のマリスとクリスタは、魚を使った郷土料理を作ってくれた。
漁師の木嶋さんも大喜び。


 伊予市から初めて来られた
片岡さんや伊藤さん。
OGのじゅんぺいのことをとても感心されていた。


 娘や高校生の友達も初参加。
わくわくしていたようだ。


 料理の鉄人、まりーな亭の圭も、料理を作って来てくれた。


 あちらこちらで、さまざまな話で盛り上がっている。
この雰囲気の何とすばらしいことか。
新たなつながりを作り、絆を深める。
そんな場所であり、そんな時間だった。


 初参加、伊予市地域おこし協力隊の渡部さん(赤い服)も大いに盛り上げてくれた。


 早めに終わるつもりが、終わるはずもなし。
夕方6時頃から、集まり始めた交流会も12時前に終了。

 ずっと裏方をしてくれた妻に増田さんから感謝の言葉。
こうして、おもてなしいっぱいの温かく、楽しい交流会は幕を閉じた。
 ふるさとの未来に残したい風景だ。

                   岬人(はなんちゅう)

 
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喜久家国際ワークキャンプ 2017

2017-03-26 | 喜久家ボランティア
 2月26日(日)、3月15日までの18日間にわたる喜久家ワークキャンプが始まった。
この期間中、毎年恒例のOB、OGたちが何人か帰って来る。
たっちゃん、じゅんぺい、なっちゃん、みなみ、ゆいこ、オウちゃん、きみちゃん、キュー、関西ナイス職員のんちゃん、いとこの慶悟、息子の武蔵。
すごい盛り上がり。

 リーダーの伊藤君。
さまざまな経験をもつ。


 ベトナムのハノイからKhue(フエー)


 香港からローレンス


 東京の遥ちゃん


 今回初めて名古屋から瑛美ちゃん


 横浜の真央ちゃん


 今回初マカオからソー


 この他、愛知一宮から美沙稀ちゃん、大阪から美希ちゃん、埼玉から志保ちゃん。
エストニアからMarisとKrista

 そしておなじみのOG、夏ちゃん


 受け入れの貴光


 受け入れの齋藤くん


 日本語と英語が交じり合う。


 違いは、豊かさ。
人口40人過ぎの平礒に、楽しい時間が始まった。


          岬人(はなんちゅう) 
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カラフルでヘルシーなふるさと佐田岬

2017-03-18 | 農業
 2月12日(日)。
 久しぶりの柑橘収穫の手伝い。


 カンクボに続いて、ヒラバヤに。
風は強かったが、空と海の青さがさわやかだった。


 母と二人で。
久しぶりに間近で見ると、やはり歳をとったかな。


 それでも手さばきはよく、全くついていけない。
どんどんコンテナがいっぱいになっていく。


 一つデコポンを食べてみた。
採れたてなので、少し酸っぱいが、瑞々しさがたまらなくいい。
ここでしか味わえないものだ。


 ヘルシーでカラフルなふるさと佐田岬だ。

         岬人(はなんちゅう)

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幸せな柑橘の風景

2017-03-18 | 農業
 2月12日(日)。
久しぶりに柑橘収穫の手伝いをした。

 場所は、カンクボ。
母と二人で。


 モノラックで上って行く。


 瑞々しい清見タンゴール。
この風景を見ていると、幸せな気分になる。


未来に残したいふるさとの風景だ。


            岬人(はなんちゅう)

 
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2017喜久家交流会で平礒の人口が倍増

2017-03-05 | 喜久家の情報
 3月4日、土曜日。
毎年恒例の喜久家交流会が開かれた。

 今年も新たな参加者があり、つながりが広がった。

 平礒の人口42名。
交流会参加者45名。
この夜は、郷の人口が倍増。


 楽しく、熱い夜だった。



 ふるさとの未来に残していきたい風景だ。

           岬人(はなんちゅう)
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なごり雪舞う、愛媛県立三崎高等学校 卒業式 校長式辞

2017-03-02 | 感動
 昨年の感動的シーンをふり返る。


 平成28年3月1日。
息子が愛媛県立三崎高等学校を卒業した。
校長式辞が感動。



 「桜の木々の芽も、日ごとにふくらみ、春の訪れを覚える今日の佳き日に、
えひめ国体推進局国体競技力向上対策課 主幹 松野 勝利 様
伊方町長 山下 和彦 様 をはじめ、多数の御来賓の皆様の御臨席を賜り、
ここに、第65回卒業証書授与式を盛大に挙行できますことは、
卒業生・在校生はもとより、私たち教職員にとりましても、大きな喜びであり、厚く御礼申し上げます。

 また、保護者の皆様、本日は、お子様の御卒業、誠におめでとうございます。
たくましく成長されたお子様の姿に、お喜びも、ひとしおかと存じます。
心より、お祝い申し上げますとともに、これまでの本校への、温かい御支援・御協力に、感謝申し上げます。

 ただ今、卒業証書を授与いたしました、38名の皆さん、
皆さんは、入学以来の、たゆまぬ努力が実を結び、ここにめでたく、卒業の栄誉を得られました。
心から皆さんの御卒業を祝福したいと思います。



 さて、ここで、本校の校歌にも歌われている 宇都宮誠集翁 について、お話しします。
皆さんは、郷土の偉人として、よく御存じだと思いますが、
今年度にふさわしい、卒業のはなむけにしたいと思います。

 誠集翁は、伊方町の松に生まれ、明治4年、16歳の時に、勉学のため、大阪に出ました。
2年後に故郷に帰ってからは、独学で法律を勉強する傍ら、
村に寺子屋を開いて、若者達を指導しました。

 そして、小学校ができれば小学校教員、郵便局が開設されるや、
全国最年尐の若さの郵便局長になるなど、常に前向きに地域の発展に貢献しました。

 誠集翁は、佐田岬半島に初めて夏柑栽培を導入しましたが、
これは、単なる思いつきではありませんでした。
 大阪での交流や、宇和島等への出張を通して、夏柑を知り、
夏柑以外にも、たくさんの種類の柑橘の苗を取り寄せ、試行錯誤して、
夏柑が、この地域での栽培に適していることを確信して、本格的に導入したのです。

 しかし、当時、夏柑の苗木は大変値段が高く、
また、あまり冒険はしたくないという地域の雰囲気もあり、なかなか夏柑栽培は広がりませんでした。
 しかし、誠集翁は、自分で高価な苗木を購入したり、
地域の若者たちに、熱心に夏柑栽培を勧めて回ったりして、困難を乗り越え、夏柑栽培を半島全域に広めました。

 その後、半島の夏柑栽培は、大いに発展し、大阪や東京へも出荷され、
この半島に大きな富をもたらしました。

 そして、この大きな富が、今から65年前の昭和26年、
この地に、愛媛県立三崎高等学校が創立されたことにつながったのです。




 本校では、今年度、地域課題解決学習「三崎おこし」を始めました。
テレビ・新聞などで取り上げられた「みっちゃん大福」の商品開発や、
サイクリングロードの開拓、裂織の研究など、大きな成果が上がったと思っています。

 しかしながら、この「三崎おこし」は、この佐田岬半島という地域を愛し、三崎高校を愛し、
地域を発展させようという気概を持った方々の御支援・御協力があったからこそできたのです。
 たくさんの現代の「宇都宮誠集翁」がいたからこそできた取組なのです。

 卒業生の皆さんは、今日まで勉学、部活動、学校行事に、
そして「三崎おこし」に、精一杯努力し、立派な成果を上げてきました。
 皆さんの若さあふれる活躍が、地域や学校に、元気と勇気を与えてくれました。

 卒業生の皆さん、本校の卒業生であることに自信と誇りを持ち、
新しく行く先々で、「三崎高校を大切に」と頑張った日々を思い出しながら、
一生懸命、努力を積み重ねていってください。

 皆さんが、それぞれの場所で、それぞれの「宇都宮誠集翁」となられることを期待します。
そして、直接に、また、間接に、ふるさと「佐田岬半島」や母校「三崎高校」の発展に貢献していただければ幸いです。


 皆さんが、新しい生活を送る町にも、やがて、温かい春がやってきます。
また、ここ佐田岬半島の山々の桜も満開となって美しい風景を見せてくれることでしょう。

 巣立ち行く皆さんの限りない可能性と今後の御活躍を祈念すると共に、
御多用の中、御臨席を賜りました御来賓の皆様、保護者の皆様に重ねてお礼を申し上げ、式辞とします。

            平成28年3月1日
                愛媛県立三崎高等学校長 近藤 実 」

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なごり雪が降るなか、三崎高等学校を息子が卒業

2017-03-02 | 家族
 昨年の感動のシーンをふり返る。


「3月1日朝。
昨日から降り続いている雪は、今朝も止まず、辺りはうっすらと雪化粧。
今日は、息子の高校卒業式。

 

 息子は、最後の日をいつも通った自転車で行くかどうか、迷っていた。



 結果、大事をとって車で送って行ってもらうことにしたようだ。

 高校生活最後の登校。
30年前、私と同じ時間を息子が再び過ごしている。
何かその年月に不思議な感じがする。

 

 「行って来ます。」
いつもの元気な声で、私と父が見送るなか出て行った。

 雪の卒業式。
それもまた思い出深い。

 春3月。
なごり雪も降る時を知っている。」

         岬人(はなんちゅう)
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2017 喜久家国際ワークキャンプ始まる

2017-02-26 | 喜久家の情報
 今日2月26日からいよいよ喜久家国際ワークキャンプが始まる。

 国内外から12名の若者ボランティアが集まり、平礒や二名津地域の地域づくりに力を貸してくれる。

 毎年、筋書きのないすばらしいドラマがある。

 今年も思い出に残るドラマが生まれることだろう。



 こんな小さなひとかけらが積もって、歴史となる。
新しい歴史の創造の先端に生きている。

 今夜は、受け入れ側の人たちも集い、歓迎会。
静かな田舎のにぎやかな夜となる。



       岬人(はなんちゅう)

 
 
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幸せをもたらすひな人形

2017-02-26 | 家族
 昨日飾られたひな人形。
ひな人形を見ると幸せな気分になる。

 双子の娘たちが飾ったひな人形には、どんな由来や意味があるのだろうか。
豆知識PRESSには、次のように書かれていた。

 「ひな祭りの起源は、季節の節目や変わり目に災難や厄から身を守り、
よりよい幕開けを願うための節句が始まりとされています。

 また、ひな祭りに欠かせないひな人形も、昔は飾るのではなく川に流されていたと聞いたら、
驚くのではないでしょうか?




 ひな祭りの由来を知るには、2つの話を説明する必要があります。
 まず1つ目の話は、「上巳の節句」についてです。
上巳の節句とは中国から伝わった五節句の一つで、三月上旬の巳の日に、
草や藁で作った人形(ひとがた)で自分の体を撫でて穢れを移し、
それを川に流すことで厄払いや邪気祓いを行う風習がありました。

 また一方、貴族階級の女の子の間では、紙の人形を使った遊び、
今で言うところの「おままごと」が流行っていました。
これを「ひいな遊び」と言うのですが、このひいな遊びと川に流す人形(ひとがた)が結びついて
「流し雛」が誕生しました。

 さらに江戸時代になると、人形作りの技術が向上したことで、
川に流すのではなく家で飾るように変化していきました。
 これが、ひな祭りの由来と言われています。


 ひな祭りの元となっている上巳の節句では、特に女の子のための日という概念はなく、
男女共通の行事として厄払いや邪気祓いが行われていました。

 しかし江戸幕府は、それまで日付が変動していた上巳の節句を三月三日と定め、
さらにひな人形を飾ることから、この日を女の子の日と決めたのです。

 こうしたことから、ひな祭りとは単なるお祭りではなく、
女の子の健やかな成長や幸せを願う日と変化していき、今のひな祭りとなっていったのです。




 ひな祭りに雛人形を飾るのは、昔の人形(ひとがた)や流し雛の風習の通り、
お雛様に女の子の穢れを移して厄災を身代わりに引き受けてもらうためです。

 また、厄払いの意味があるので一夜飾り(3月2日から1日だけ飾ること)は避けるべきとされ、
遅くとも2月の中旬くらいまでには飾らないといけないと言われているのです。

 また、桃の花には元々「魔除け」や「長寿」のパワーがあるとされていました。
中国では上巳の節句には、桃の花を愛で、桃の花を漬けたお酒を飲み、
桃の葉が入ったお風呂に入って邪気祓いを行っており、
また旧暦の3月3日はちょうど桃の花が咲くころだったことから、
ひな祭りに桃の花が飾られるようになったそうです。

 ひな祭りを別に「桃の節句」と呼ぶのも、こうした背景があるからです。




 節句とは、暦の上で節目になる日のことです。
年間で5回あり、1月7日(人日の節句)、3月3日(上巳の節句)、5月5日(端午の節句)、
7月7日(七夕の節句)、9月9日(重陽または菊の節句)です。

 節句は縁起が良く、お祝い事に向いている日だと考えられています。
また、奇数が重なる日は、邪気をはらうことができるとも伝わっています。
 子どもの誕生を祝い、邪気をはらって健やかな成長を願うために節句を祝います。
男の子の初節句は、端午の節句(5月5日)に祝います。」




 何ともおもしろい由来や意味。
そんな話も娘たちにしてあげながら、飾られたひな人形。

 幸せをもたらすひな人形。

 飾りつけもまた幸せなひと時だった。

 

        岬人(はなんちゅう) 
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娘たちの成長とともに歩んだひな人形

2017-02-26 | 家族
 昨日、16回目のひな人形が飾られた。

 双子の娘たちが生まれた時に、妻の実家から贈られたもの。

 初めの頃は、私と妻が飾っていたが、娘たちが大きくなってきたら、
一緒に飾りつけをしてきた。
 そして今は、娘たちだけで飾れるようになった。



 娘たちは高校の期末テストの時期で、勉強もあったようだが、
城川のおじいちゃん、おばあちゃんから贈られたひな飾りの方が優先だ。

 誕生の時の話やおじいちゃん、おばあちゃんの昔話もしてあげながら、
楽しそうに飾っていた。



 娘たちの成長とともに歩んだひな人形。

 ちなみに、ひな人形とは女性の人形だけではなく、
男性の人形も全てあわせてひな人形という。

 未来に残したいふるさとの風景だ。


                    岬人(はなんちゅう)

 
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