喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

愛媛のこころ

2017-06-18 | 地域づくり
 6月17日(土)、大阪に行く娘を送って松山空港へ。
いつもの歩キ目デスになる。

 空港は、その県やまちの玄関。
様々な紹介、宣伝をしている。

 目にとまったものが、
愛媛を代表する夏ミカンのステンドグラスとその紹介文。


 
 青い海と
 緑なす山なみ
 歴史と伝統の
 香り高い文化の里
 子規、漱石ゆかりの地
 伊予路へ
 ようこそお越しを
 いただきました

   村上三島




 村上三島は1912年(大正元年)8月25日 - 2005年(平成17年)11月20日)は、日本の書家。
勲三等旭日中綬章受章者。文化勲章受章者
現代書道の巨匠」と呼ばれている。

 愛媛県越智郡上浦町(大三島、現在の今治市)出身。
大三島で生まれ育った後、大阪府三島郡(後に高槻市となる)に移る。
 雅号「三島」は大三島と三島郡に由来する。


 中学時代から書に親しんでいたが、大阪市立泉尾工業学校在学中に股関節カリエスに罹り足が不自由になったことから、
15歳で好きな書道の道に入る。
 
 自ら書道団体の長興会を設立して後進の育成にも努めた。
書道の革新にも意を用い、1994年(平成6年)話し言葉を作品化する「読める書」を提唱。
 
 晩年になっても創作意欲は衰えず、パソコンやワープロの普及に対して、手書き文字の良さを意欲的に追求していた。

 日中間の書道の交流にも尽力し、しばしば訪中した。
1993年(平成5年)には中国人以外では初となる上海美術館(上海博物館)の特別顧問・特別研究員に就任している。
                                     (ウィキペディアより)


 ふるさと・愛媛の魅力は、歴史や伝統にもたくさん埋まっている。
それを見つけていきたい。

          岬人(はなんちゅう)
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ようこそ かんきつ王国 愛媛へ

2017-06-17 | 地域づくり
 梅雨に入っているのに、さわやかな天気が続いている。
梅雨がない地域って、こんなにいい気候なのだろうか。

 ジュン・ブライドというのもうなづける。

 今日、松山空港に娘を送って行った。
ただでは帰られないと思い、おもしろそうなものを散策。

 空港の中にもあった。
愛媛が誇る、蛇口をひねるとミカンジュースが出てくる。


 ようこそ かんきつ王国 愛媛へ


 どうだ、このシャンパングラスならぬオレンジジュースグラス。


 さあ、今夜は帰って、わが家の清見ジュースを飲もう。


            岬人(はなんちゅう)
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ストロベリームーンよりもイチゴに見えた夕日

2017-06-10 | 佐田岬の風景
 昨夜の満月は、ストロベリームーン。

以下、調べてみた。
 
「ストロベリームーンとは、アメリカ先住民の呼び名で6月に見える満月のことを指します。
日本でもだんだんと浸透しているようですね。

 これは満月がストロベリー色に染まるから……ではなく、この季節にイチゴの収穫期を迎えるからです。

 別名「恋を叶えてくれる月」と言われていて、
見ると幸せになれる、好きな人と結ばれる(結婚できる)なんてロマンチックな月です。

 このような満月の呼び方は地域によって違い、
たとえば同じくネイティブアメリカンのチェロキー族はこの満月を「グリーンコーン・ムーン」と呼びます。
これは、青トウモロコシがよく育つ時期だからです。」


 月が出る少し前、家に帰る途中、釜木から夕日が見えた。
平礒の「亀の首」を通して沈んでいった。



 こちらの方は、ストロベリーに見えた。



 ふるさとの夕日の見える景色。

     岬人(はなんちゅう)
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歩き目デス ~卯之町をぶらり~

2017-06-10 | 喜久家の情報
歩き目デス ~卯之町をぶらり~



 この落ち着いた雰囲気がとってもいい。
それでいて、かつての歴史的な様子が想像もできる。
 すばらしい所だ。






 それなのに、人通りが少ないのはなぜだろう。
内子と比べても、魅力はそろっていると思うのだが。

 全体的なコーディネートか、ストーリー性か、コマーシャルか。

 寂しくなっている商店街とからめても、すごく魅力的だと感じる。


            岬人(はなんちゅう)
 

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カフェ・ふーちゃん

2017-06-09 | 地域づくり
 昨日、おもしろい会議が、おもしろい場所で行われた。

 会議は、伊方町の良さを再発見するための取組について。



 場所は、最近注目を集めている塩成(中網代)にあるカフェ・ふーちゃん。
古民家を改修した我が家感覚のカフェ。
コーヒー・紅茶、そしてオーナー手作りのクッキーなどをいただいた。



 会議をするときはリラックスした雰囲気が大切。

 外にはきれいな夕方の宇和海が広がっている。



 まさにふるさと再発見。


           岬人(はなんちゅう)
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父と息子のジャガイモ掘り ~20歳の誕生日~

2017-06-06 | 家族
 20歳の誕生日を迎えた息子。
4日(日)は、父と息子のジャガイモ掘り。




 ふるさとの田舎の誕生日。
こんな誕生日もいいものだ。



        岬人(はなんちゅう)
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今川商店、今までありがとう

2017-06-05 | 感動
 平成29年5月28日(日)。
いつもの日曜なら閉まっている二名津の今川商店。

 ついに店をたたむ日がきてしまった。


 半世紀以上にわたり、二名津の人たちの暮らしを支えてきた店だ。


 店じまいのため、感謝の気持ちで多くの人が訪れ、最後の買い物をしたと聞いた。
棚の商品はほとんどなくなっていた。




 先代の時から今までお世話になった今川商店。
かつ兄ちゃんやかなさんにゆっくりとお礼が言いたくて、最後の日を選んだ。
 妻と娘も一緒に訪ねた。




 かつ兄ちゃんの子どもたちからもお礼の花が贈られていた。


 長い間、お世話になりました。
ずっと今川商店を忘れません。

             岬人(はなんちゅう)
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母の日のカーネーション

2017-06-05 | 家族
 妻が母の日に贈ったカーネーションが長い間、きれいに生けられていた。



 母の日にカーネーションを贈るきっかけを作ったのは、アメリカ人の少女アンナ・ジャービス。
亡き母のために白いカーネーションを配ったことから、母の日にカーネーションを贈る習慣ができた。

 少女の母親が亡くなったのは、1905年5月9日のこと。
その3年後の1908年5月10日、アンナ・ジャービスはフィラデルフィアの教会で、
亡き母を追悼するために白いカーネーションを祭壇に飾り、出席者にも配った。
 白いカーネーションは、彼女の母が好きな花だったのだ。


 この出来事をきっかけに1914年、5月の第2日曜日が母の日に制定された。
当初は母親が健在な人は赤いカーネーションを、
母親が故人である人は白いカーネーションを自分の胸に飾っていた。
 それが、やがて母親本人にカーネーションを贈る習慣へと変化していったのだ。



 元々カーネーションは、十字架に架けられたキリストに聖母マリアが落とした涙から咲いた花だといわれている。
そして白いカーネーションは十字架にかけられる前のキリストとマリアを表し、
赤いカーネーションはキリストの体から散った血の色と言われている。
 白と赤では同じカーネーションでも、意味合いが違っているのだ。



 小さな田舎の心温まる出来事だ。
花のある暮らし。
いいものだ。


             岬人(はなんちゅう)
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商業観光ではなく、交流観光を

2017-06-04 | 地域づくり
 引き続き山下氏の記事を読んでみる。

商業観光ではなく、交流観光を

「ならば地方はこれ以上観光開発はするな、というべきだろうか。
私はそうは思わない。こんどはこう問い直してみよう。

 そもそも観光とは何か。
何のための観光振興なのか。
 今回の地方創生ではやたらと「稼ぐ」が強調されている。

 だがそもそも観光は「稼ぐ」ためのものだろうか。


 
 私は思う。
 観光は楽しむものだ。
旅行者が楽しみ、また受け入れる側も楽しむことが基本だ。
 なぜなら観光は、産業である前に交流だからである。

 交流は楽しくなければならない。
 楽しんだ結果、経済もまた潤うことになるかもしれないが、 
基本はあくまで楽しむことにある。


 そうした観光本来の姿を忘れ、お金を落とす相手としてだけ事業者が観光客をとらえはじめたら、
そのとたんにその観光地は衰退するだろう。
 誰もそんなところには行きたくはないからである。

 もちろん周到に実利を企んで観光を企画することは可能だし、
そうした成功事例もあるにはある。
 だが地方創生でやるべきは、そうした商業観光ではないはずだ。



 やらなければならないのは、地方と中央の、農村と都市の関係をより良い状態へと戻すことだ。
 大都市へと、首都東京へとひと・かね・しごとが流れ込みすぎていびつな関係になってしまった両者の関係の改善をこそ、
観光交流を通じて目指さなくてはならない。

 必要なのは商業観光ではなく交流観光だ。

 いや、それでも観光でその地域に着実にお金が落ちるのならまだ良いのだ。
今見たように、お金が欲しくて人を呼んでも、そのお金は地方にはほとんど落ちない構造になっている。

 呼び込む努力の割には、観光客が落とすお金の大半は途中で吸い取られてしまう。
これでは地方・農山漁村を搾取するために、観光開発をしろといっているようなものである。



 だがそうはいっても、先の事例は決して悪いものではない。
 料理を提供するお母さんたちが遠くからお客さんが来てくれたことで喜び、
またそのお客さんが高いお金を払ってもそれで幸せな思いをえられたのであれば。
 そしてこの経験から、両者の間で、遠く離れていても自分たちは支え合ってこの国で生きているのだと実感できたのならば。

 それゆえ、お金の面はともかくとしても、それでもなお観光が大切だとしたら、
それは観光による楽しみ、喜び、人々のつながりが、
日本にとって、あるいは地方や地域にとってとても大事なものだからだ。

 訪れてみたい場所がある。
それが都会の人々の生きがいにつながっていく。
 逆に、この地域は訪れる価値のある場所だ。
 そういうことが、その地域に生きる人々にとっての誇りになり、生き甲斐になり、活力につながっていく。
そういうことがあるからだ。




 そして今の日本の状態が問題なのは、日本が今、楽しい国ではないことにある。
地域が誇りを持って住んでいる場所ではなくなってきている。
市の暮らしが非常に強い閉塞感のうちにある。

 私たちが取り戻さなくてはならないのは暮らしを楽しむこと、
地域に誇りを持つこと、日本を多くの人々で一緒に支えていること、そうしたことへの実感だ。
 その意味で観光振興は必要だし、進めていかねばならない。」


              岬人(はなんちゅう)
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観光振興で「稼ぐ力」をつけよというが…

2017-06-04 | 地域づくり
おもしろい記事を見つけた。

 山下祐介(首都大学東京准教授 社会学)の記事だ。


「観光振興をすればどこでも地方は救われる、そういうことがいえるのだろうか。

 観光コンテンツづくりは儲からない

たしかに観光客が一人でも増えれば、そのぶん地方に落ちるお金が増え、経済は少しばかり潤う。


 しかし、たとえば次のような具体的なケースを考えたとき、
観光振興で稼ぐことがあらゆる地域で率先して取り組むべきものなのかは疑問だ。

 ある地域でお母さんたちのグループが埋もれていた郷土料理に付加価値を付け、
絶品のメニューを開発したとしよう。
それが地域で評判になり、全国放送で紹介された。
それを見て、次の休暇の家族旅行先に悩んでいた東京のサラリーマンA氏が、行き先をそこに決めたとする。



 たしかにA氏の家族がそこに旅行し、その料理を味わったことで、家族4人、1食750円として計3000円がその地域に落ちた。
 お母さんたちはお客さんが来てくれたことを喜び、お客さんも思った以上の料理とおもてなしに感激、
「来年もまた来る」と次の販路が開拓されて人々の交流が始まったとすれば、たしかにここに悪いものは見当たらない。
 だが、筆者にはどうも次のことが引っかかる。

 このお母さんたちの稼ぎ3000円に対し、A氏一家が東京からこの地に来るまでの交通費、
その日の宿泊代、さらにはその間の、例えば朝、新幹線に乗るときに駅で購入した飲み物代や弁当代、
帰りの駅の土産物屋で購入した土産の品々の代金などを考えると、
このお母さんたちの努力がきっかけとなってA氏らはこれらのお金を落としたのにもかかわらず、
お母さんたちに入った金額は微々たるものだ。



 報道したメディアも一見、観光客を善意でつないだように見えるが、それはそれでスポンサーから制作費をもらっている。
むしろこのお母さんたちのおかげで番組ができたとさえいえる。
要するに言いたいことはこういうことだ。

 観光開発はたしかに経済を潤す。

 だがそこで生じた利益の多くは、必ずしもコンテンツを開発した人や地方にではなく、
観光の基盤をなす、交通会社や旅行会社、要するに観光インフラ事業者に落ちる仕組みになっている。

 そしてそうした観光インフラ事業者の多くは東京をはじめ大都市に本拠を置く。
観光振興の儲けのほとんどはそうした業者に落ちる仕組みだ。

 観光コンテンツづくりは基本的には儲からない。
儲かってもたいていの地方においてはそんなに大きな金にはならない。
 むしろ頑張って生まれた利益は、そのほとんどを中央に持っていかれてしまう。」



 
 実は、ふるさとで観光を交えた取組をしたいと考えている。
その理由は「儲け」だけではないのだ。
 それよりもふるさとで暮らす私たちが、訪れてくれた人たちとの交流によって、
楽しさや喜びを感じることができたら、幸せだなと思っている。

 それは、10年間続いている喜久家プロジェクトで十分感じていることなのだ。


                  岬人(はなんちゅう)
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