喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

梅雨時の佐田岬の夕焼け

2016-06-25 | 佐田岬の風景
 夕方7:30頃。
いつもに比べてカーテンの外が明るい。

 カーテンを閉めようとした娘から
「お父さん、お父さん。見て。見て。外が紫色。」
という意味不明な言葉。

 見てみると、
「わーーーーー、きれい。」



 カメラを取り出し、急いで見晴らしのいい3階のベランダに上がる。
やっと雨があがった空からのプレゼントのようだった。


 残念ながら、カメラでは明るく撮れすぎて表現しきれない。
娘たちも上がってきて、撮っている。
 一人は、
「私、この風景、見たことある。」
と言って、本棚から絵本を取り出してきた。


 大雨が上がった佐田岬の夕暮れのすてきな時間だった。

           岬人(はなんちゅう)
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宇和海の島々 ~伊方町中之浜からの眺め~

2016-06-24 | 佐田岬の風景
 こんなに大雨が続くとは。
19日(日)の夜から降り始めた大雨。
この日は、家を揺らすような雷も夜中鳴り響いた。
 
 翌朝から愛媛県南予地方には警報が出た。
学校は臨時休業。

 それから21日(火)の午前中も大雨警報。
23日(木)の午前中も大雨警報。

 今日24日は、晴れ間も見えたが、明日はまた雨の予報。
予定されていた三崎高校の運動会が26日(日)に延期された。

 こんな天気は、はじめてだ。

 そんな中、22日(水)はいい天気だった。
勤務先の伊方を見て回った。
河内の山づたいに隣の仁田之浜や中之浜に足をのばしてみた。
 
 いつも海岸沿いを通っている仁田之浜も上から見下ろすとずいぶん違って見える。
 

 そしてもうひと山まわり中之浜にはいると、一気に視界がひらけた。


 こんなすばらしい景色が見えるのだ。
室鼻、その沖に黒島。


 左の手前が烏島、その沖に横長の佐島。
そのさらに沖に大島。
  

 宇和海の感動的な風景。
海から山のてっぺんまでみかん山が続いている。

 何かまちおこしができそうだ。

 大雨の合間のさわやかなひと時だった。

           岬人(はなんちゅう) 

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佐田岬を襲った豪雨のつめ跡

2016-06-21 | 自然環境
 6月19日未明から降り続いた豪雨と落雷。
昨日昼間は小降りになったものの、夜から再び降り始めた。

 昨夜、帰宅しながら道路やミカン畑に荒れたつめ跡が残っていたので、今朝の様子が気になっていた。

 今朝も大雨警報は出ているものの、伊方町は雨も降っておらず落ち着いた様子。
よく降ったなー、といった景色。


 釜木の舟瀬川は、滝のようになっている。


 普段はあまり流れのない奥山への川もかなりの水量。


 中には、土砂が川をせき止め、道路に湧き出しているところもあった。


 最も大きな被害は、釜木の人家外れの倉庫の地盤が陥没して、崩れかけている。


 
 今朝出勤するとき、平礒の選果場前に続々と人が集まっていた。
恒例の道路の草刈り作業だ。
大雨で道路に散乱した木々や石も整理されると思う。
 我が家からは父が作業に出てもらう。

 田舎では、自分たちで郷を守ろうとする自治意識が強く残っている。

 ふるさとの田舎では、今回の豪雨の復旧が早くも始まっている。



                     岬人(はなんちゅう)
  
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6月19・20日の集中豪雨

2016-06-20 | 地域づくり
 6月19・20日の集中豪雨



 昨夜19日夜中から雷のものすごい轟音と雨。
大雨は、今朝になっても降りやまず、大雨警報が出た。
 土砂災害の危険も心配される。

 今朝、出勤しながらいつもと違う光景に驚いた。

 平礒では、いつもは道だが川のようになている。




 釜木湾も山からの土砂で土色に濁っている。


 二名津へ向かうウジナでは、路肩が崩れていた。


 ミカン畑から水が噴き出て、川のようになている。






 二名津の旧中学校裏の町営住宅では、駐車場が水没。


 合羽を着た消防団員が復旧と警戒にあたっていた。
自分たちの地域は、自分たちで守る。
頼りになる消防団だ。


 町内の学校は、とりあえず11時まで自宅待機。
おさまればいいのだが。

                 岬人(はなんちゅう)

 
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思い出に残る小藪温泉

2016-06-19 | 地域づくり
 女将さんからの
「いらっしゃいませ。おつかれさまでした。」
のお出迎えをうけ、宿に足を踏み入れる。

「この宿には、20数年前惣川に勤めていたときに、泊まったことがあるんですよ。」
すると女将さんから驚く返事が。
「はい、確かに惣川の方々が泊まりにみえられたことがあります。覚えています。」
女将さんのその言葉に感動。

 そして仲間が待つ下の部屋に案内され向かう。



 摘んで来られた季節の花が廊下に飾られ、おもてなしを感じる。




 湯上がりに涼んでいる仲間がいた。
「久しぶりー。今日は楽しみにしちょったで。」
と言うと
「まー、温泉に入っておいでや。」

 部屋に通され、
「遅くなりました。」
と言うと
「ゆっくり温泉に入って。先やりよるけん。」

 あっさりとしたこんなつきあいがいい。

 では、有名な美肌の湯に入ることにする。
明らかに潤いあるぬるっとした湯が分かる。
「あー、いいお湯だ。」
窓を開け、川のせせらぎとカエルの声を聞きながら、昼間の疲れを癒やす。

 温泉を堪能し、仲間が待つ囲炉裏の間へ。
浴衣姿の同じ齢の男3人がすでに盛り上がっていた。
 腰を下ろすと、山の幸の小料理、そして囲炉裏にはヤマメが串刺しで焼かれていた。
自在鉤には、具がたっぷりの汁がかけられている。






「それでは、かんぱーい。」 
 駆けつけ一杯の冷えたビールをくいっと。うまい。
そうこうするうちに、串刺しの魚が焼けたようだ。


 こんがり焼けた魚にかぶりつく。
うまい。塩加減がちょうどいい。
4人が口をそろえて言う。

 おいしい魚、料理、お酒を味わいながら、
様々な話に花が咲く。
なつかしい話、今の悩み、これからの夢のある話等々。
気兼ねしないメンバーだ。

 飲むほどに、酔うほどに、話は盛り上がり、
山里の夜は更けていく。
「俺、もう休むけん。」
「わかった、お休みー。」
一人抜け、二人抜け、時計は2時をさしていた。
「もう、寝るかな。」
 山里の熱い夜は、こうして終わりとなった。

 すごいいびきが隣の壁を越えて聞こえてくる。
酔いで気にならず、あっという間に深い眠りに落ちていった。

 思ったことがある。
 生活がどんなに忙しくなろうとも、こんな時間は大切にしたいということ。
世の中がどんなに便利なデジタルな生活になろうとも、
こんなアナログなつきあいは大切にしたいということ。


 そしてこんな大切な場と時間を残してくれているのが、
このような小藪温泉の宿。 
 変わらない、変えてはいけない良さ。
 地域づくりの幹となるものだ。

 女将さんが言っていた。
「最近は、韓国や台湾のお客も多いんです。」
日本の田舎の良さが、世界にも広がっていく。
 変わることの良さだ。

               岬人(はなんちゅう)

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なつかしい山里の小藪温泉

2016-06-19 | 地域づくり
 6月17日、金曜日。
梅雨とともに、あわただしい毎日もひと休み。

 同じ歳の男が集まり、一杯やろうと言うことになった。
その場所として決まったのが、松山でも八幡浜・大洲でもなく、
肱川町の山里にある「小藪温泉」。



 小藪温泉と言えば、20数年前に野村町惣川に勤めていたときに、
時々入りに来て、泊まったときもあるなつかしい場所。

 勤務時間が終わり、いつもより早く
「おつかれさまでしたー」
と言って職場を出る。

 伊方から車を走らせること、1時間少々。
肱川の鹿野川ダム手前の赤い大鳥居をくぐり、山道を上って行く。
5分ぐらい走ると集落が見えてきた。
川の畔にひときわ大きくたたずんでいるのが小藪温泉の宿。
 
 午後7時を回っていたので、辺りは薄暗くなっていた。
それがまた山里の雰囲気をかもしだしていた。





 20数年ぶり。あの頃と変わらないたたずまい。
そこに自分のあの頃を重ね合わせる。
 変わらない良さっていいものだ。


 玄関先に、女将さんがお出迎えしてくれた。
「いらっしゃいませ。おつかれさまでした。」

 そして足を踏み入れる。

                岬人(はなんちゅう)

 
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未来に残ってほしい山里の小藪温泉

2016-06-19 | 地域づくり
 未来に残ってほしい山里の小藪温泉



 小薮温泉(おやぶおんせん)は、愛媛県大洲市肱川町(旧国伊予国)にある温泉。
肱川中流にある鹿野川ダムわずかに下流で左岸に流れ込む小藪川をさかのぼったところにある。

 6月17日、誘いを受けて同じ歳の男4人で泊まる。

 未来に残ってほしい山里の温泉宿だ。


          岬人(はなんちゅう)
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梅雨の合間

2016-06-15 | 佐田岬の風景
 梅雨の合間


 梅雨に入り、緑がまぶしい。
これはすごい。

 そして、我が家の犬(ガロ)もまぶしそう。

            岬人(はなんちゅう)

 
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ふるさとの歴史 ~旅する巨人 宮本常一から学ぶ~

2016-06-07 | ふるさと
 宮本常一が書いた「ふるさとの生活」という本を読んだ。
初版が25年前の1986年。

 民俗学者柳田国男は、常一のことを
「永いあいだ、もっとも広く日本をの隅々の、だれも行かないような土地ばかりを、
歩きまわっていた旅人」と言っています。

 常一は、ふるさと山口県大島郡の村を学びの場としました。
大島も瀬戸内海に浮かぶ1つの島。
私のふるさと伊方町平礒も日本一細長い佐田岬半島の陸の孤島のようなところ。
 はたして、そこから何を学ぶのでしょうか?

 本にはこう書かれています。

 ふるさとには、学ぶべき大切なものが日常生活の中にいくらでもあり、
何気なく見たり、聞いたり、あるいは使ったりしているものの中に、
私たちの先祖の歩んできた歴史が刻まれている。


 第1章の「ほろびた村」の最後に
「歴史は書かれている書物の中だけにあるのではなく、
このような、ほろびた村のあとにも、また私たちの暮らしの中にもひそんでいます。
そして、そういうものがあきらかになってこそ、日本人は本当にどんな生き方をしてきたかが、
あきらかになると思います。」

と結んでいます。

 そしてこの本の最後には、
「村を、今日までのようにするためにかたむけた先祖の努力は大へんなものであったと思います。
その努力の中にこそ、のこる歴史があったのでした。
 私たちは、いつでもその人たちの前進しつづけた足音が聴けるような耳と、
その姿の見えるような眼を持ちたいものです。」

と書かれています。
 この考え方は、常一自身の生涯の座右の銘でもあったようです。

 なるほど、「見方」、「聞き方」がとても重要ということです。
こう考えると、自分のふるさとに対して実に大ざっぱにしか見ていない、聞いていないことばかり。
 ふるさとの今は、すべて先祖の努力のたすきリレー。
それをもっとよく知ることは、自分を知ること。
さらに自分の生き方を示していくような気がします。


 すばらしいです。
「ふるさとの生活」って。
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嗚呼 釜木小学校 ~終わりは、新たな始まり~

2016-06-07 | 教育
 2011.3.15 ブログより


 三崎町立釜木小学校の閉校に際して
                 校長  松坂 末広

 続き

 思えば、明治12年5月15日に釜木小学校が設立されてから
昭和52年3月現在に至るまで、隆々発展した本校は、卒業生1272名を数えます。

 国民教育のたしかな基礎を修めた本校卒業生は、郷土の文化・産業の発展に貢献し、
あるいは都市に進出して、政治・経済・文化等各会における成功者も多く輩出しています。

 本校は地域生活文化の中心として機能し、同窓生にとりましては、
心のふるさととして親しまれてきたのであります。

 世の移り変わりはどうすることもできず、ここに閉校の日を迎えました。
心さみしい限りであり、本校97年の歴史を偲び、学校閉鎖の現実に寂寥の感を禁じ得ません。
       
 しかしながら、私たちは閉校の感傷をのりこえて、あしたへの希望に目を転じ、
教育の進展と子どもたちのしあわせを願わなければなりません。

 近代化された二名津小学校の広い運動場、完備された教室での学習を思うとき、
ほのぼのとした展望がひらけています。

 21世紀に生きる子どもたちに、どうか思う存分自己を伸ばしてほしいと願ってやみません。』


 
 松坂校長先生のあたたかい思いがしのばれます。

「明日への希望に目を向ける」ことが私たちにはとても大切なことです。

 母校釜木小学校の校舎はもうありませんが、
校庭の片隅に二宮金次郎の像が残っています。
 今度の休みに、久しぶりに行ってみようと思います。
金次郎さんに会いに。

                  岬人
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