喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

岡山シーガルズ 伊方町に来る

2012-08-31 | ブログ
岡山シーガルズ 伊方町に来る

     

 先週の8月24・25日。
毎年恒例の岡山シーガルズバレーボール教室in伊方町。
3年目になった。
河本監督をはじめ、オールキャストでの来町。
 2017年、愛媛国体で伊方町は、成年女子バレーボール会場となる。
そのために受け入れムードを高めている。


     「岡野キャプテン」

 1日目は、中学生を中心としたバレーボール教室。
選手から直接指導してもらったり、ボールを打ってもらったり。
 夜は、懇親会。 
 2日目は、紅白戦。 
中学生や高校生も交代で参加させてもらえる。
最後は、サイン会。


     「全日本候補、福田選手」

 一流の技をこれほど身近で感じることができる。
テレビや雑誌で見たことがある選手から直接声をかけてもらえる。
 伊方町の子どもたちにとっては、大きな夢と希望を手にすることができる。
すばらしいイベント。


     「全日本候補、栗原恵選手」

 私にとっても、河本監督やコーチ、選手たちと直接話ができることは
大きな刺激となり、感動をもらえる。 
 雲の上のような存在の人ばかりだが、とても話しやすく親しみが持てる。

 出会いのすばらしさ。
出会いが人を変える。

 
     「オリンピック銅メダリスト、山口選手」

「物より、心の豊かさ」の時代を生きる

2012-08-27 | ブログ
 お盆に帰省した京都の同級生から聞いた内容について、
東温市で「おかけや」を経営する知り合いからコメントをもらった。



『お友だちの言葉。
ふるさとへの想い。
食べ物への想い。
子どもへの想い。
人の営みへの想い。
 たくさんの気持ちが詰まっています。

 過日の地域教育の集まりで何度も耳にしたふるさとと言う言葉。
喜久家(きくや)プロジェクトのブログやメールを拝見していると、
ふるさととのつながりかたの、限りない可能性を感じます。』

 
 おかけやさんは、地域をとっても大切にされ、
地に足のついた活動をされている。



 昨日の新聞記事に、内閣府の「国民生活に関する世論調査」結果が出ていた。
今後の生活で「心の豊かさに重きを置きたい」
と考えている人は64%に上った。
物の豊かさを重視する人が、30%だったので、
その差が2倍以上。

 「人と人との絆や家族との関係を重視する傾向が、東日本大震災以降さらに強まっている。」
ようだ。

 今まさに「物よりも、心の豊かさ」の時代を生きている。

                             岬人(はなんちゅう)

ふるさとの暮らしの良さや贅沢

2012-08-27 | ブログ
 お盆に帰省していた同級生から聞いた
「ふるさとのすばらしさ」について、
松山に住む親友から次のような意見をもらった。



『京都といえば、京野菜。
決して野菜がおいしくない所ではないはず。
でも、ふるさとの新鮮な野菜にはかなわないのですね。

 私は、近所の方が畑を借りて野菜を作られていて、
朝、野菜を届けてくれることがあります。
だから、ちょっとだけ、新鮮な野菜のおいしさ、わかります。

 ふるさとの暮らしの良さや贅沢はそこですよね。
都会にいる人たちが、美味しい食材や癒しを求めて植物を購入したりするけど、
そんな体や心にいいものが全てそろっているのだと思います。』


 ふるさとの暮らしの良さや贅沢を感じていなかったり、
ついつい忘れてしまいがちになる。
 尊敬する双海町の若松進一さんがいつも言ってくれる言葉がある。
「これからの時代は、田舎を自慢する時代。田舎を自慢して暮らそうで。」

 田舎暮らしは、都会と比べて不便だが、
見方によれば、これほどすばらしい環境はない。
 そんな田舎暮らしの良さを、どんどん見つけていきたい。

                    岬人

ふるさとで過ごした夏休み

2012-08-26 | ブログ


我が家の隣にある野菜畑で育っている白ゴーヤとトマト。
食卓に出され、幸せを感じることができる。

 京都に住む同級生が、「ふるさとの野菜はおいしい。」と
言ったことに対して、松山に住む別の同級生もコメントしてくれた。

『確かに食べ物は全然違います。
とうもろこし、ゴーヤ、さつまいも、スイカ、キュウリ、
いろいろ収穫して食べました。

 魚も全く違うのよ。
私は、魚が苦手なんだけど、新鮮なのはおいしいね。

 三崎は、海と山があるからいいよね。

 それからうちの下の子の大好きな虫がいるのよ。
串の実家にカブトムシが飛んできたり、トカゲなんて大喜びです。
 私も慣れました。

 来年の夏は何をするかと今から楽しみです。』

 普段、便利さのため食べている都会の食材。
たまにふるさとの田舎のものを食べると、それほどまでにちがうみたい。
 おいしくて、安全で、心のこもった食べ物。
そのことに改めて気づかせてもらったような同級生の言葉。

 さて、今日の食卓にはどんなものが並ぶのだろうか。


佐田岬のおいしい野菜  ~ 岬(はな)野菜 ~

2012-08-23 | ブログ
 お盆8月14日。
三崎高校の同窓会を行った。
毎回、4年に1度のオリンピックの年に行っている。
楽しみにしていながらも、出席できない友だちも多い。
 そんななか、あるひとりの同級生からのメールに感激。
彼女は、故郷に帰っていたものの、子どもがまだ1歳半だったため、
出席をひかえたようだった。



 私からの質問、「ふるさと佐田岬の田舎の良さを感じることはある?」
京都に住んでいる彼女は次のようにこたえてくれた。

『とにかく野菜がおいしかったんよ。
こっちでも産直の物とか食べているはずなのに、おいしさがちがう。
 母が無農薬の野菜を朝早く穫ってきて、その日のうちに食べてたんやけど、
ピーマンは包丁を入れた瞬間に切った感じがちがうし、ナスもオクラもトマトもおいしいー。

 母曰く、野菜は朝早く収穫するのと昼収穫するのとでは味が変わるらしい。
できあがった野菜なのに、なかみの糖度とかが時間でそんなに変わるん?
と不思議でたまらんかったんだけど、それだけ食材ってデリケートなんやなーと思ったよ。



 京都ではよく作ったものを冷凍してたけど、
実家のごはん10日間も食べてるととても食べられたものじゃないな。

 息子がごはんあんまり食べてくれなかったんだけど、
実家ではいろいろ食べてくれたんよね。
 作りたてはやっぱりおいしいかったんやなー。
 食べ物は、とても重要。
これからの生活をどうやって改善していこうか思案中です。



 話変わるけど、実家ではミンミン蝉おらんのよ。
以前は、いた気がする。
少しずつ何か変わっていってるんかな?』

 これには驚いた。
彼女の感性の敏感さに驚くと同時に、
田舎生活のかけがえのなさに感激した。

 彼女からのメールの後すぐに、わが家の野菜畑の野菜をかじってみた。
味は食べ慣れたものだったが、心が満たされた感じがした。

 そうだ佐田岬の野菜に呼び名をつけよう。
「岬(はな)野菜」
 何のひねりもなく単純だが、味はいい。



                       岬人(はなんちゅう)

わが家の横の野菜畑

2012-08-23 | ブログ


平礒のわが家への上り路。
ちょっとした野菜園がある。
この夏、母が、スイカ、ナス、トマト、ゴーヤなどを作っていた。

 帰宅途中、出勤途中でおいしそうなトマトをつまみぐい。
みずみずしい味が口いっぱいに広がる。
幸せを感じるひととき。

 自分の家で育てた作物は、やはりちがう。
たぶん買った方が安あがりで、おいしいものも多いかもしれない。

 でも、やはりちがう。
幸福度が高い。
効率とは対極の世界で生きている。
そんな場所もあっていい。

 持続可能な世界。

             岬人
 


佐田岬の夏

2012-08-22 | ブログ
「暑さ寒さも彼岸まで」とよく耳にする。
今年の夏は猛烈な大雨の後、猛暑が訪れた感じ。
雨もなく、雨が恋しい。

 そんな暑さもお盆が終わると、少しずつ和らいできた感じがする。
特に昨日は日差しこそきついが、
湿度が低く、日陰に入ると涼しい風が心地よかった。

 写真は、愛媛県佐田岬半島にあるふるさと平礒。
山の緑、空と海の青がとても鮮やか。




 昨日の夕方、三崎港から佐田岬半島の先端、九州を望んだ。
夕日に照らされた雲が、心をクールダウンしてくれた。



 きれいな岬の風景。 

船山ドライブインの豪華ランチ

2012-08-20 | ブログ
 旧国道197号線は、峠にあたる名取の入口で二名津へと進路を変える。
今は、トンネルができたので、そこを通る人は名取の住民だけといった感じ。

 船山ドライブインは、そんな場所にある。


 30年ほど前は、ガソリンスタンドもしていたが、
今は、お母さん一人で食堂をしている。
 以前からその健康的で、田舎の味がする食事のことは、
知る人ぞ知るものだった。

 というわけで、今日のランチは、同僚4人と船山食堂で。
このボリューム。


 一つひとつが、地域の幸を使ったもの。
しめサバ。


 ブリの肉厚のさしみ。


 そしてめずらしいブリのはらわた。
なかなかどこまりの店では、食べられないもの。


 この他、カボチャの煮物、キューリの酢漬け、から揚げ、サラダ、カワハギの焼き物、
カワハギのお吸い物、そして食後のアイスコーヒー。
 これだけあって、800円。

 そしてうれしいのは、料理だけではない。
お母さんの素朴さとやさしさあふれる応対。

「いくらでもゆっくりとしていってください。」
田舎の宝物がここにもあった。


福島県、那須甲子に向けて

2012-08-17 | ブログ
 父と子のみちのく旅を少しずつまとめておこうと思う。

 平成24年8月6日夜9時。
僕たちの旅は始まった。
1日目目ざすのは、福島県那須甲子。

 1100㎞を超すロングドライブとなった。

福島県、那須甲子に向けて

被災地南三陸町の空と海

2012-08-15 | ブログ
みちのく親子旅の途中、多くの人からメッセージをもらった。
そんな中、尊敬する若松進一さんのものが胸にジーンときた。



「~ 南三陸町にも海と空がある ~
子どもたちにいい夏休みのプレゼントをされていますね。
東京ディズニーランドもいいけど、やっぱり気の効いた親のやることは違いますね。

 私たちが気づくのは、福島にも南三陸にも、愛媛と延々続いている同じ海と空があるということです。
海と空によって深い絆で結ばれているのですから、これからも助け合って生きてゆかなければなりません。

 そのキーワードはやはり人を思いやる温かい心でしょう。
勉強ができることも大事ですが、温かい心をもった子どもに育てることはもっと大事です。

 帰ったら子どもさんと色々話してみたいものです。

                    人間牧場主 若松進一 」



 私たちは無関心になってはいけないと感じた。
まさにマザーテレサが言っていた
「愛の反対は、無関心です。」

 あの大震災から1年半が経とうとしているが、
意識から薄れてきていた時期に東北被災地を訪れたことは、
私にとっても我が子にとっても、大切なことを得た気がする。

 私たちは、つながっているのだ。

 この旅で出会った東北の人々。
その人たちの顔が、声が、自分にとって東北に思いを寄せる目に見えるカタチとなった。

 きっと我が子もそう感じたことだろう。


田舎のお盆

2012-08-13 | ブログ
田舎にとってお盆は先祖供養の意味合いがつよい。 13日午後、実家のお精霊棚を建て、迎える準備。 父の指示を受けながら、中学3年の息子も一緒に。 このように伝統やしきたりは、受け継いでいかれる。 終わると次は妻の実家城川へ。父が亡くなり、新盆を迎える準備がある。 こういったことを通して、命のつながりを改めて感じなおすことができる。 田舎には護まもっていかなければならないものや護もっていきたいものが多い。

みちのく3000㎞の親子旅

2012-08-13 | ブログ
 昨夜一時に無事家に着いた。ふりかえってみる。みちのく親子旅、最後の朝。


 国立能登青少年交流の家を出発。
職員のさわやかな応対が旅をより思い出深いものにしてくれる。
愛媛からは遠く、なかなか来られる所ではないが、ぜひまた家族そろって能登半島めぐりをしてみたい。

 ふるさと愛媛、佐田岬までは、750km。 今回の旅の走行距離は、約3000kmにもおよぶ。
つまり日本列島の長さと同じ。
改めてすごい旅だったと感じる。

 いろんな風景を見て、たくさんの人に出会った。
日本って、本当にすばらしい国だと思う

南三陸町、石巻市の被災現場

2012-08-13 | ブログ
友人の浦山君、小3の息子さんといっしょに被災地南三陸町、石巻市をまわりました。
南三陸町の防災センターで津波避難放送をし続け、津波にのまれてしまった若い女性職員。
胸がつまりました。



 石巻市の大川小学校では、七割の子どもたちが北上川の堤防を越えた津波に流されました。
小学校から避難場所を変えて移動していたときのことでした。



 現在あたりには、たくさんのひまわりが植えられていました。
まるで亡くなった子どもたちのようにも思えました 実際に被災現場に立ってみて、感じることがたくさんありました。​



 静かに合掌し、ご冥福をお祈りしました

被災地、気仙沼

2012-08-09 | ブログ
みちのくの親子旅。 今回の旅の目的は、被災地の様子を感じたいということ。 朝9時、国立花山青少年自然の家を出発し、気仙沼へ向かう。 気仙沼といえば、甚大な被災地として、多くの映像を目にした。 襲いくる津波により、流される巨大な船やタンク、自動車。 10mもある建物が次々と飲み込まれていった。 そして、流されたものに火がつき、湾が火の海となった。 車を走らせること2時間。 気仙沼市内に入った。 南の大谷中学校をめざす。 市街地の外を通ったため、被害の様子がわからない。 小高い丘を海に下りはじめ、風景は一変。 海沿いには、ほとんど家がない。 かつてそこに建っていただろう家の基礎コンクリートだけがたくさん残っていた。 または、震災以降に建てられたであろう新しい建物。 海岸にそって走っていた鉄道は、線路がさらわれてない。トンネルだけが、線路があったことを示していた。 日本の渚百選になっていた大谷海岸も遊泳禁止の看板。海岸の整備には、まだまだ時間がかかるようだ。 三階に展望
台がある道の駅もあっけなく飲みこまれ、ガラスやドアが壊れたまま、立ち入り禁止となっていた。 さらに、驚いたのは帰りに市街地を通ったときだった。