喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

台風一過、潤い、輝くふるさと佐田岬

2018-07-30 | ふるさと
 昨日29日(日)のへそ曲がり台風は、東からやってきた。

 西日本豪雨災害があったばかりだったので、
追い打ちをかけられないか心配していた。

 被災地やこちら佐田岬でも、大したことはなく心をなでおろした。

 台風が過ぎ去った後は、空気や海、川がきれいだ。
そして山までも潤い輝いている。


 お気に入りのヘアピンカーブ。
今朝7時から平礒が請け負っている中山間事業として道路の草刈りをした後。


 ウジナから明神や伽藍山、松の見舞崎を望む。


 西日に照らされ、二名津湾の海面が銀板のようにまぶしく輝いている。
海の向こうは大分県大分市、別府あたり。


 峠のウジナ。
大きく成長した木々が道を覆い、緑の涼しいトンネルを作っている。


 平礒のカンクボから釜木を望む。
手前のフクロイセの海が澄んでいるのがわかる。
 台風によって、海もかき混ぜられたのだろう。


 記念碑から見た平礒の集落とミカン畑。
緑が潤い、青々として見える。

 暑い夏の日。
ふるさとの風景は、潤い、輝いていた。
耳には、蝉の大合唱がわんわんと聞こえてくる。
 ふるさと佐田岬の夏。
いいものだ。


          岬人(はなんちゅう)



平成30年度八幡浜支部中学軟式野球支部選手権大会 ~伊方中野球部の風~

2018-07-30 | 感動
 平成30年7月28日(土)。
 6月に八幡浜・西宇和総体を惜敗で終えた伊方中学校にとって、
3年生を含めた最後の大会となった。

 対戦校は、先日愛媛県大会の軟式野球の部で、広見中学校と決勝戦を戦い、
準優勝した西予市立三瓶中学校。
すばらしい相手。

 気おくれすることなく、自分たちがやってきたことを、やりきることをめざした。
結果は後からついてくる。

 8:30分から5分間ずつのシートノックが始まり、
いよいよ9時にプレーボール。

 1回表、チームバッティングに徹し、塁をため、進めていく。
1点が入り盛り上がった。
そして、2点、3点、そして何と4点を先行。

 
 その裏に2点を返され、2回にエラーがらみで4点を入れられた。
3回には、1点を追加され、4対7。
 
 流れは、三瓶中学校に傾いたかと思われた。
4回表、塁をため絶好のチャンス。
1点を入れたものの、ヒットエンドランが失敗しチェンジ。

 ピッチャーもあきらめず、ねばりのピッチングが続く。
4回、5回は追加点を許さず。


 100分の時間制だったため、6回が最終回。
5回終了時点で、5対7で負けていた。
 いよいよ最終回。
打順は器用な9番。サインは、セーフティーバント。
不意を突かれた相手。そしていいところにボールが飛び、先頭打者が出た。
その後も転がすバッティングで塁をため、点が入っていった。
1点、2点が入り同点に追いついた。
3点目が入り逆転、そして4点目。
 表が終了した時点で、9対7で2点のリード。
 
 三瓶中の打順は、7番からの下位打線。
裏を守り抜くことを誓い、声かけあった。
 先頭打者はフライを上げて、アウト。
いい流れ。
 次の8番打者は、しっかりとボールを見られフォアボール。
9番打者にレフトオーバーのヒットを打たれ、1点を返された。
 
 打順は1番。強烈な長打を打たれ、ランナーが返った。
この時点で9対9の同点。
 伊方中学校のピッチャーは、一人でねばりのピッチングを続ける。
 2番打者は、フライに打ち取り、2アウト。あと一人。

 そして打順は、今日最もあたっている3番。
 きびしいコースをついて、フォアボールでもよかったが、
あまいコースをレフトオーバーに打たれ、サヨナラ負けとなった。
 さすが、三瓶中学校というしかない。
決してあきらめない強さがあった。

 本当に悔しい負けであったが、生徒はどこか晴れ晴れとしたやりきった顔をしていた。
今の青春時期は特に、「結果よりも過程を大切に」していってほしい。
自分がどれくらいやりきったか。
自分との対話。
最大の敵は、自分。


 

 台風前に吹いた中学生たちの爽やかな風だった。

〈試合結果〉
     1回 2回 3回 4回 5回 6回   計
 伊方中  4  0  0  1  0  4   9
 三瓶中  2  4  1  0  0  3  10


                 岬人(はなんちゅう)

 

 

 

西日本豪雨災害 ~被災地野村のたくましさと優しさ~

2018-07-24 | 感動
7月21日(日)、再び被災地野村へ向かった。
今度は、進学を目指す高校3年の娘たちはおらず、妻と2人。

 社会人をスタートした思い出の野村。
ここには、たくさんの知り合いがいる。

 そんな中でも特にお世話になった土居さん。
奥さんと2人で牛を飼っていた。
そのバイタリティーさと、エネルギッシュなところに魅せられた。
 ことあるごとに、呑みに連れて行ってもらった。
時には家に呼ばれて未来を語った。

 今回の豪雨水害では、川からかなり高いところに家があったので被災していないだろうと安心していた。
ところが、先週のボランティア活動の時に、被災したことを話で聞いた。

 20日(土)に電話をし、明日は何かの手伝いをさせてくださいと申し出た。
「いやいや、気の毒なけんど、まあこの状況を見ておくのも勉強よ。
手伝いはかまわんけど、来なはいや。」

いつもと変わらない元気な語りだった。

 他の人たちもそうだが、野村の人たちの逆境に対する前向きさをすごく感じる。
命あるかぎり、やり直しはきく。
やり直せばいいんだ。

 そして他を思いやる気持ち。

 私は、あの頃からずっと「野村の心」に魅せられていた。


 向かう途中、最も被害が大きかった三島地区を通った。
胸が痛んだ。


 そしてついに到着。
久しぶりの再会に感動。


     岬人(はなんちゅう)



伊方にかかる虹の架け橋

2018-07-21 | 佐田岬の風景
 7月20日(金)。
猛暑が続く佐田岬半島、伊方。

 昼過ぎから、にわか雨が降った。
降っては、晴れ。
降っては、晴れ。

 仕事を終え、夕方6時過ぎに職場を出た。
すると目の前に大きな虹がかかっていた。



 久しぶりに見る虹だ。
しかも二重の虹。

 見とれていると、こちらにも小雨が降ってきた。
でも気にならない。
小雨に打たれながら、自然が作り出す感動にひたっていた。



 夏、真っ盛り。
いいことが起こりそうだ。


             岬人(はなんちゅう)

被災地、野村での自衛隊員に感動

2018-07-20 | 感動
 15日(日)、被災地である西予市野村にボランティア活動に行った。
猛暑日で、みなさん冷たいものを求めていた。

 そんなところへ、グッドタイミングで、軽トラを利用した給水車が回ってきた。
よく見ると知り合いの青木さん。
夫婦でボランティア活動をされていた。
 その思いにふれ、とてもうれしくなった。



 「冷たい飲み物はいかがですか?」
その言葉に誘われ、地元の人もボランティアも集まってくる。


 「冷たい」
 「おいしい」
 「生まれ変わるー」

などありがたい言葉が、自然と出てくる。

 そんな時、私の横を一人の迷彩色の服を着られた自衛隊員が通りかかった。
思わず、冷たい飲み物を軽トラから取り上げ、自衛隊員さんに駆け寄った。
「自衛隊員さん、お疲れさまです。
冷たい飲み物をどうぞ。」

 するとその自衛隊員さんが言われた言葉に感激。
「いえ、私はかまいません。
みなさんでいただいてください。」

 私はすかさず
「いえいえ、みなさん取られましたから、どうぞ。」


 そして自衛隊員さんから返ってきた言葉は、
「私は戻ったらあります。お気遣いありがとうございます。」


 この対応に胸が熱くなった。
そうして、何事もなかったように任務を続けられ、去って行った。
その後ろ姿に涙が出そうだった。


 みんな、がんばっている。
みんな応援している。

 私にもまだまだできることがある気がした。


            岬人(はなんちゅう)
 

 

 

西日本豪雨災害 ~野村の被害~

2018-07-17 | 地域づくり
 テレビや新聞では感じられない被害の様子。
かつてここに住んでいただけに、そのすごさがわかる。
そして悲しくなる。


 15日(日)に見た野村の被害の様子

氾濫した川岸のなぎ倒された木々。


 2階まで浸水した中心部、宇和島バス乗り場付近。


 ダム側大田団地付近から見る野村の街なか。


 破壊されたビニールハウス


 曲がった電柱


 下流にある大和田へ向かう国道にも氾濫した川のゴミが引っかかっている


 今は、おだやかになった川
爪跡が残る




 大和田保育所も浸水したのでは
橋の欄干が曲がっている



 こんな状態でも、立ちあがろうとする野村の人たちの姿があった。
次は、それを伝えたい。

                岬人(はなんちゅう)


がんばろう野村 ~西日本豪雨からの復旧~

2018-07-15 | 地域づくり


 今日、妻と高3の娘2人と野村へ復旧の手伝いに行った。

 
 愛する野村の厳しい現実を目の当たりにすると辛かった。

 そんな中、たくましく、お互い助け合っている野村の人たち。
そして多くのボランティアのみなさんの汗を見ていると、勇気をもらった。

 がんばろう野村。



            岬人(はなんちゅう)

平礒の太陽

2018-07-08 | ふるさと
 「黒部の太陽」ならぬ「平礒の太陽」から一夜明けた7月8日。
昨日午後から、またいつでも出動できるように自宅待機をしていた。
夜から朝にかけて、少しずつだが雨も降り、土砂崩れが拡大していないか心配していた。

 妻と息子は、被害が大きかった大洲に住む姉夫婦の家に後処理の応援に行った。
家の基礎を他よりも上げていたらしいが、床上30㎝ほどまで水につかったという。

 こちら平礒は、先ほど午後3時過ぎにようやく太陽が顔をのぞかせた。
何か久しぶりのような気がする。
 昨日は土砂で濁っていた釜木湾も青さを取り戻した。


 みかん山の緑も鮮やか。


 神社の楠や椋の木も大きく枝を伸ばしているようだ。


 昨日は、道路に吹き出していた鉄砲水も治まり、安心して歩ける。


 そして土砂崩れ現場は、


 建設業者が来て、警告灯やロープを張ってくれていた。




 昨日と比べ、ほとんど変わりない状態で、ひと安心。


 
 県内外、たくさんの知り合いからこちらを気遣う連絡をいただいた。
本当にありがたいことだ。
 この場を借りて、落ち着いたふるさとの様子をお知らせしたい。

 しかし、まだ愛媛県内の南では大雨警報が出ている。
被災された方も多数。
 1日も早く、生活が落ち着くことを祈りたい。

          岬人(はなんちゅう)

七夕の土砂崩れ ~ふるさとを守った15名の男たち~

2018-07-07 | 地域づくり
 朝、7時前。
上道路の入り口、タカヒラにて土砂崩れ。
わが家のみかん畑も流されている。
 これほどの土砂崩れは、40年ぶりくらいだろう。



 息子を起こし、雨具を身に付け、スコップを持って現場に向かう。
すでに10人ほどの人が集まっていた。
 体調があまりよくない恒あんちゃんまで駆けつけて、復旧の段取りを考えていた。

 崩れ落ちた土砂が上道路をふさいでいた。
 ヒロは、この場所にいつも車を駐めている。
土砂は1メートルの近さまで押し寄せ、止まっていた。
被害なし。


 人海戦術で、道路の土砂をスコップで取り除く作業が始まった。
 陣頭指揮をとるのは、2歳年下の区長を務める正吾くん。
息子も消防団のヘルメットをかぶり、泥だらけ。


 そこへ、金あんちゃんが、フォークリフトを運転して帰って来た。
自分の倉庫で使っているまだ新しいフォークリフトを持ってきてくれたのだ。
土砂をすくい上げ、何十往復も繰り返してくれた。


 土嚢の代わりに、柑橘を入れるコンテナに土砂を入れ、積み上げた。
泥だらけになり、人海戦術だ。


 同級生コンビのタカとヒロが、コンテナ土嚢の積み上げに力を合わせる。



 少しずつ、少しずつ土砂がなくなっていく。




 そして3時間半後の10時半、ついに終了。

 平礒の人口の3分の1にあたる、総勢15名の男たち。
一人のケガもなく、ふるさとを守った。



 いざ自然災害が起こると、救助や救援はあまり期待できない。
やはり一番たよりになるのは、地域力。
今回、改めてそう思った。

 こうやって、先人たちもふるさとを守ってきたのだろう。
先人たちの声が聞こえてくるようだった。


 さあ、まだ雨が降り続くようだ。
気が抜けない時間が続く。
 とりあえず、自宅待機だ。

                 岬人(はなんちゅう)



 

七夕の記録的な大雨

2018-07-07 | ふるさと
 先日から降り続く大雨。
昨日は大雨警報が出て、伊方町内の全小中学校は午後から下校。

 帰りが気になり、いつもより早く仕事を終え、帰路についた。
釜木を通って帰るのだが、今まで見たこともないような水。
川なきところからも水が噴き出していた。



 そして最も緊張が走ったのが、舟瀬川。
まるで滝のようだ。
細い道路が飲み込まれてしまうような。



 夜になっても雨足は激しく、到る所から鉄砲水が吹き出していた。

 
 そして今朝、窓を開けて釜木湾を見て驚いた。
茶色く濁っていた。



 こんな時は、山が崩れて土砂が流れ出たと考えられる。
災害の様子はどうなっているのかと考えていた矢先。

 とんでもないことが起こっていた。
上道路の入り口、タカヒラが土砂崩れ。



 遠くから見たところ、幅20メートル、長さ40メートルくらいに渡り土砂崩れ。
現場へ向かう。


                   岬人(はなんちゅう)