稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№102(昭和62年11月15日)

2020年03月31日 | 長井長正範士の遺文


以上、前項の隋と、この機(隋機)は絶想から自然に生ずるので、そこに到達する秘訣は、日夜組太刀の稽古に励み、不撓不屈の精神で、各技の勝機を見出し、理に順って打込む修行を積み重ねることに「あります。かくして真鋭無比な剣の道に叶い、順理の徳を得て、あたかも池中の蛟竜が風雲を得て、蒼穹に昇るように、聖賢が世紀の大転機に乗って現れ出るように、われも亦、神機を得て、永恒純一の一刀流の功用を顕現することになるのである。と教えられています。

尚又、一刀流では〇心機一元ということを力説されています。それは、太刀技というものは、心、気、理、機、術の五格の上に立っている。これを説明すると、先ず人を司どるのは心であります。(※この心については№61、62、№94、95に述べていますが更に一刀流でじは)心と気とは本来一元である。心は実であって静である。気は用であって動である。心は動きの潜勢力であり、気は能動力である。心を水にたとえると、気は液であると表現しています。

この気なくしては機をとらえる事は出来ません。尚、気理一合と言って、気の雄渾な大勢がよく理に合してこそ大勝を得ると言ってあり、理機一閃機術一致の大切さを述べてあります。更に申し上げますと、一刀流では、真剣勝負には、先ず心を清明にして、敵状を知悉し、真情実意を一つにし、気を満たし、豪快雄渾な気合をもって理を捉え、深遠微妙な理の中に機を掴み、一瞬に現滅する神機に投じて精妙の術を施し、以って必勝の功をあげるのである。と教えられています。

以上、機について笹森順造先生のお説を申し上げましたが、私自身まだまだ未熟で守、破、離の守りの域を脱せず、又解説も舌足らずで一刀流修行中の皆さんに満足して頂くまでに至りませんが、おいおいお互いに研修して先祖様の霊に報いるべく努めて行きましょう。この項これで終わります。

さて心は水にたとえられたついでに申し上げておきます。

一刀流では、〇一刀湛水と言いまして大事なことを述べてありますので、次に申し上げておきます。
水は方円の器に湛え、深淵に湛え、大洋に湛えて、自らの形に居付くことが無い。無形無相である。この水が一度緑にあえば、緑玉よりも緑に、紅葉にあえば紅玉よりも紅く輝く、一滴のしずくが玉となって、丸く万酙の大海が淼々(びょうびょう=水の広く満ちたさまをいう)として又、丸い。これは水の性が満ちたら、わいて欠ける所がないからである。無心に湛えた桶の水が桶の針ほどの隙があると忽ち奔り出る。これは湛水の性である。

一刀を無形無相と教えるのは、敵に従って転化し、八方に進出して浸透し、円満具足して円相を象(かたどら)らせるためである。欠ける所なく、満ち足る性を本然とするから、敵に針ほどの隙があると、そこをのがさず忽ち切込み、決して許すことが無い。又わが内心の欠陥を補い補いして、円満に具足するために精進する。自らを補い補いして円相に達し、主心を発露して欠ける所がなくなり、初めて転変流露し、無碍自在となり常勝の士となる。ここが一刀湛水の極地である。と教えています。

以上で一刀流の心と水のお話を終わりますが、話のついでに財団法人船舶振興会の会長でもあり、財団法人日本顕彰会の会長でもある笹川良一氏(他に多数の会長をされて世界中に活躍貢献されている偉人)がこの水について述べられており、私共剣道を志す者にとって大変教えられ、笹川良一氏の高潔な人格の一端を伺うことが出来ますので次に申し上げておきます。

笹川良一氏の〇水六訓と題して(№103へ)
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武漢ウイルス(新型コロナ)に思う事。

2020年03月30日 | 剣道・剣術
少人数ながらも稽古を続けていることについて、
かなり感情的に非難されたのでここに考えを書いておく。

イタリアのように高齢社会で、
衛生観念(マスクや手洗い)が日本ほどでは無く、
日常生活で握手や抱擁を頻繁に行い、
帰宅しても靴を脱がない生活習慣では、
驚くほどの死者数(本日で1万人越え)を出してしまっているのが現実である。
6,000万人の人口からすれば死者数は0.017%で決して無視出来ない数値になりつつある。

しかしながら日本は死者は54人。
人口が1憶2,595万人だから、0.000043%で、1万人のうちの0.43人、
言い方を変えれば2万3,000人いたら1人が死ぬという確率でしか無いのである。

これははっきり言うが大きい数値とは言えない。

感染して死ぬのは80才以上が中心で、次に70才以上。
高齢者は注意して生活すべきだと思うが、ほとんどの社会人は関係ないレベルなのだ。
(もちろん、感染者数と死者数が爆発的に増えたらこうは言ってられないが)




(令和2年3月17日、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部の資料から)

現在のところ、日常生活に注意して、
外出時には人混みを避け、電車やバスの吊り革や手すりを極力触らす、
マスクを着用して、家に帰ったらウガイと手洗いをしっかりしていればかなり防げる。

何か持病をかかえていないのなら、
若い人は(注意しつつも)日常生活を続けるべきであり、
決して武漢ウイルス(新型コロナ)におびえて萎縮することが無いよう願っている。

普通の風邪と一緒と考え、体調が悪かったら栄養を摂って休養すること。
それでほとんどの人は治ってしまうのが今回のウイルスだと思う。

問題は風邪の症状が出た人が、慌てふためいて病院に行くことだ。
今回の武漢ウイルス(新型コロナ)は感染力が高いのは事実だ。
かかってしまった人は、他の患者にうつしてしまうことになるし、
かかっていなかった人は弱った身体に武漢ウイルス(新型コロナ)をもらってしまう。

調子が悪いと思ったら、病院には行かず、自宅に帰って栄養つけてよく寝ること。
それで充分なような気がする。というか、そのほうが良いと思う。

それから一般の社会人は身内であっても老人には近寄らないこと。
誰もがどこかでウイルスを付着させる可能性を持っている。
それをそのまま老人の近くに持ち込むことは避けるべきなのである。

慌てふためいて検査などするからマスコミは騒ぎ、
感染者を抱えた企業は大きな痛手をこうむっているのが現実である。
これはマスコミによる魔女狩りのような気もしてしまう。
今回の騒動を見る限りマスコミなど害の方が大きい。

感染しても「大したことは無い」と思うことこそ正しい。

昨日初めて知ったが、どこかの剣道団体さんが、
「うちに稽古に来ませんか?」とPRして非難をあびていた。
場所を見たら、私の職場のすぐ近くである。

これには反対する。
見知らぬ者が大勢集まるような稽古会はやり過ぎだろう。


(一刀流の木刀と鬼籠手)

私は剣道稽古も一刀流稽古も続けているが、
少ない人数で細々と自己責任の範囲で行っているのだ。
呑気に考えているのでは無い。
健全なる危機感を持って適正に行動しているのだ。

それを、過剰反応して、感情的に非難してもらっても困るわけである。

武道家たるもの、今こそ「平常心」で過ごすべきでは無いか?
慌てふためいて、驚き、騒ぎ、悲しみ、怒り、感情的に行動することなどあってはならない。
今こそ、どう判断し、どう行動すべきなのか、冷静になってよくよく考えて欲しいものである。


追伸

武漢ウイルス(新型コロナ)で入院していた志村けんが肺炎で亡くなった。
好きな芸能人だったのでこれは少なからずショックである。
謹んでご冥福をお祈りしたい。本当に残念である。
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往馬玄武会と一刀流の稽古(2020年3月28日)

2020年03月29日 | 剣道・剣術
生駒市武道館、往馬玄武会にて稽古。
(往馬玄武会は複数の剣友会の有志が集まる稽古会)

【緊急連絡】
現在、往馬玄武会では、会員以外の方の出稽古はお断りしています。
出稽古の方の入場、稽古は出来ませんのでご了承願います。



(生駒市武道館の前で)


(出稽古禁止の張り紙がしてあった)


(私を入れて4人だけの稽古だった)


(玄武会のあとは生駒一振会の稽古が始まる)

人数は少ないが思いっきり声を出し身体を動かす。気持ちが良い。
週に一度の稽古(来週の4月4日はお休みだが)だが稽古出来るのは嬉しい。
出稽古が禁止で少し人数が少ないのは寂しいが時節柄仕方が無い。

急ぎの出荷を片付けて本町まで仕入れに行ってから中野中学に向かう。
17時からは長正館、小野派一刀流の稽古。
参加者は8名+井上館長、それに休館中のS田さん。

人数が少ないので、休憩を入れないで大太刀60本を続けて打った。
発(ほつ)で仕方1名が肉離れをやってしまった。後半は刃引。


(私の愛用の修理を重ね使い古した鬼籠手)


(休憩時間に田村鍼灸師による井上館長の鍼灸治療)

鍼灸 潤氣堂(じゅんきどう) TEL.06-7500-9598 大阪府門真市栄町9-16
http://jyunkido.com/medical/


(稽古のあとでS田さんとのツーショット)


【感想・反省点】

武漢ウイルス(新型コロナ)への対策について意見の相違があったが押し通した。
(イタリアの死者は異常だが)現状では国内での武漢ウイルスは恐れるに足らない。
館員へのラインには以下のように通達しておいた。

--------------------------------
今後の稽古についての連絡です。
当面の間は自主稽古として稽古を継続します。
稽古は換気のため窓やドアを開放し、各自マスク着用を奨励します。
自主稽古なので館費は免除します。
社会においての立場上感染するわけにはいかない方、健康に自信が無い方は来ないでください。
中野中に来る経路でも感染する恐れがあります。
無理をして稽古に参加する必要はありません。
稽古はリスクを承知で自己責任として参加してください。
なお、社会情勢が悪化すれば自主稽古自体も中止する可能性があります。
以上ご了解のほどお願いします。
--------------------------------

個人的には、武漢ウイルス(新型コロナ)は通常の風邪と同じだと考えている。
普通の風邪でも特効薬は無い。かかったら栄養を摂って身体を休めれば治る。
現に日本で死んでいるのは70才以上の高齢者で何かしらの疾患があった者なのだ。
怖がり過ぎて活動を自粛するなど今のところは必要が無いと考えている。
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デリカスターワゴンのエアコン故障

2020年03月28日 | バイク・クルマ


元々エアコンはあまり効かない車なので、
冬の雨の時に窓が曇り気味になるのもあまり気にはしなかった。
それにしても除湿が効かないなあ・・と思っていたら、
どうやらエアコンそのものが動いていないことに気がした。
エアコンのコンプレッサーに起動がかかった様子(音)が無いのだ。

エアコンのヒューズを探したが見つからない。
車の取扱説明書を見たがそれらしい事は書いていない。

エアコンが効かないまま夏を迎える気はしなかったので、
さっそくいつもの車屋(辰巳自動車)に持っていった。
もしかしたら、先日、ホーンを交換した時に何かしてしまったのかも知れない。
いずれにしろ大したことは無いと思っていた。
ヒューズの交換程度で済むと思ったのだ。

午前中に持っていったがその日に直らず夜に電話があった。
なにやらタイマーコントローラーの基盤に問題があるらしい。
とっくにディラーに部品は無い。中古品を探しているが出ていない・・・とか。
幸いなことにコンプレッサーには問題は無いらしい。


(この奥にタイマーコントローラーがある)



2日待ったが部品は出てこなかった。
仕方がなくスイッチとコンプレッサーを直結してもらうことにした。
こうすると、エアコンはオンとオフしか出来ない。
出来ないと連続運転で霜が付き凍り付いて故障することもあるそうだ。



背に腹は変えられない。
このまま夏を乗り切ろうと思う。


(応急修理完了)


(問題のタイマーコントローラー、TIMERCONTROLLER CAD501A001)

夏場の運転中、手動でエアコンのオンとオフを繰り返すのはつらい。
気長にヤフオクで中古の部品を探してみるつもりだ。

【続きの記事】
三菱スターワゴン、エアコン不調で長期入院中(2020年7月14日)
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200714/
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№101(昭和62年11月14日)

2020年03月27日 | 長井長正範士の遺文


〇機について
日本剣道形、太刀七本目の形で、打太刀は機を見て打つと教えてありますが、この機をただ漠然と機をはかってとか、機を見てと簡単に解釈して自分の勝手なタイミングで行っていっては形が泣きます。そこで先ずこの機とは一体どんな意味を有しているのか、国語的の解釈をしますと、機とは矢を発するところを言い、つるのバネ、ひとたび動く時は、直ちに発射するところから物ごとについて、ハズミ、カナメ、シオドキの意味に用いられている。そこで機を見るとは、きざしを知る、機会をさとると解釈出来ます。ですから剣道では上に立つ者も、下からかかる者も、勝つべき機を見つけることが大切であります。まして形の打太刀も仕太刀もそうでなければなりません。

さてこの機について一刀流では次のように言われています。機は時間と空間の変る急所のつぼであり、、永遠の、過去、現在、未来につながる時の上に一閃して現滅し、一つの機は、まばたく間に走り去る。この機が現れるのは永恒の時の上にある。只今である。いつでも好機は只今だと悟って厘豪の油断もなく、用意するのが機を逸しない心がけであります。機を捉えるのには神速、速妙に前方から迎えて好機に投ずるべきであって、後から追いかけるべきではないのです。一つの機は一度過ぎ去ると永久に戻ってこないが、又別の新しい機がくるからその機会をのがさずに捉えることを習わなければなりません。そのために組太刀の稽古で一本、一本ごとに勝つべき機を迎えて捉えることを学ぶのであります。

その機は相手の太刀筋の起り頭、堕勢、未勢、反動、居付など、その盛衰の変り目、呼吸の変り目などに、虚実転換の勝機として出てくる。その勝機は調子と拍子の中に旋律的に点滅する。それを打方と仕方の技の稽古で、ここぞと学びとるのです。切落の勝機、向い突きの勝機、鍔割の勝機、即意付の勝機を捉え、なるほどこれだと理解し、体得すべきであると教えられています。

次に形は稽古の如く、稽古は形の如くということは既に何回も述べてきましたが、私はいつもこれを念頭におきまして打太刀をやる場合は一刀流の教えに従って次の三つを心得て形を打っております。即ち
第一に、初心の仕太刀に対して打つときには、さあゆくぞと起りがしらをオーバーにして、きわどい所まで打つようにゼスチュアを示して打つようにして実は打たず、わずかな所ではずしてやり、お前の勝つべきところはここなんだと勝つ機を与えて打たします。
第二に、仕太刀が相当上達し、打ち間も判ってくれば、さあゆくぞと打つようにしてして本当に打ってゆきます。
第三に、同格ぐらいに熟達してくれば、打つそぶりを少しも見せず、サッと打って出ます。

このように打太刀(稽古に於ける元立ち)は仕太刀(稽古で下からかかってゆく者)の技能の度合いに応じて打ってゆき、それぞれ仕太刀(かかる者)の勝ちどころの機を与えるのであります。これが機を見て打ってゆく打太刀(元立ち)の心得でありまして、ただ仕太刀(下からかかる者)の技能の程度に関係なく打太刀(元立ち)が、いちように自分の調子で打ってゆくのは、機を見て打つという奥深い真意を解してないと言えるでしょう。このようなやり方では剣を交えて互いに人格を練るにはほど遠いと言わねばなりません。そして又この機は機に通ずという事を忘れてはなりません。

打太刀は常に自ら心気を振いおこして九歩の距離から既に発動し(ここから既に真剣勝負が始まっている)三歩前へ攻め進む、このわずかな間に仕太刀に対し打太刀に応ずる心気をいよいよ育てて打ち間に入るや気一杯の旺盛な打突の技を出して、これに応じて打ち勝つ機会を見い出させ、理に叶うほどよい塩合いで打たせ、勝つところはここぞと仕太刀に覚えさすのであります。(続く)
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おい!四条畷警察署の寺川交番のバイク警官お二人よぉ~!

2020年03月26日 | バイク・クルマ

(googleマップの寺川交番)

一般人なら許せるが相手が法を守る番人であるがゆえに一言言わせていただく。

その日(3月22日)はバイクに乗りたくて、夕方から雨だとの予報にもかかわらず、
昼過ぎから愛車のスズキバンバン200に乗って職場まで行ったのだ。そう、暖かかったしね。

いつもは旧阪奈道路を使うが、この日は気分転換もあり、生駒から国道163号線を使い、
トンネルを超えて坂を下り、四条畷の東中野交差点から左折して、
片側一車線の旧170号線(東高野街道)を南下した。

四条畷駅付近の信号で、前方を走る警察官が乗るバイク2台に追いつく。
私の後ろには急いでいる感じの125ccのスクーターが1台いた。

男性警察官が乗るバイク2台は、いつも見かける寺川交番のバイク。
「ああ、交番に戻るところなんだなあ」と思いながら後ろをついていた。

しばらくしてキリン堂野崎店にさしかかる。
この店前には横断歩道があり横断する歩行者が多い。
30才前後の男性がキリン堂側(左側)から横断歩道を渡ろうとしていた。

私は減速した。当然、目の前の交番バイク2台は停まると思っていた。

交番バイク2台は前後で並列して走行している。
先行する1台目のバイクは歩行者を完全に無視して通過した。
右側の2台目のバイクは歩行者を確認したのか少し減速したように見えた。
見えたが、1台目が通過したので、そのまま加速して走り去った。

私は減速して横断歩道の前で停車。
歩行者は私が止まったので渡り始めようとしかけた。
その私のバイクを右側から追い越していったのは後ろからきた125ccスクーター。
横断しかけた歩行者はその場に立ちすくんだ。少し驚いたようす。


(翌日に撮影した同じ場所の横断歩道)

走りはじめ、しばらくして交番バイク2台に追いつく。
もう1台、女性警官のバイクが合流して3台になっていた。
3台の交番バイクは寺川の交差点前で右折し交番に入っていった。
私は寺川の交差点から西に右折して職場まで。

バイクにはドラレコが付いていないので画像は無し。
翌日、車で同じ道を走ると同じ交番バイクが前から来たので撮影した。


(翌日に撮影した交番バイク、信号機の奥に見える交差点が寺川交差点)

あのねえ。
交通機動隊でなくても警官なら道路交通法は守らなくっちゃ。
逆の立場でこちらが白バイだったら3台とも検挙してるところだ。

旧170号線(東高野街道)は生活道路なので横断歩道が多い。
時間帯に関わらず歩行者や自転車やバイクが多く事故もそれなりに多い地域だ。
(剣友がバイクで車に衝突され大けがしたのもこのすぐ近くである)

ここでのボヤキが警官まで届くとは思わないが、
地域の安全と安心を守るべき警察官は自意識を持って活動して欲しい。


(我が愛車、スズキバンバン200)
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転記「回想と皆さんへのエール(稽古の出来ない今だからこそ)」

2020年03月25日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
本日は師匠からのメッセージを紹介します。
言い訳ばかりしている自分が恥ずかしく同時に元気が出てきました。
稽古が出来ない毎日が続きますが出来ることを確実にやろうと思います。

-----------------------------------------



回想と皆さんへのエール(稽古の出来ない今だからこそ)

「その時はやってきた」

誰もが人生の様々な理由で剣道ができない時期があります。

私にもありました。

34歳で7段合格後35歳から45歳まで稽古が出来なくなったのです。

とりわけ40歳までは稽古どころか竹刀さえ握る事が出来ませんでした。

剣道家にとって「最も大事な時期である」と言われる35歳から45歳までの期間です。

かねてから35歳で自らの事業を起こそうと計画していましたので分かりきった事ではありましたが・・・。

起業したのは飲食業、それも焼き鳥居酒屋。
まるっきり剣道が出来なくなりました。

朝9時に起床、10時から買い出し 、昼食後から夕方まで串打ちなどの仕込み作業、17時に開店し25時まで営業、26時頃まで掃除、後始末、朝3時頃就寝、9時起床。そんな日が毎日!

それに加えて36歳で家業の武道具店を引き取ることとなり、二足のわらじを履き
仕事三昧の日々を送りました。

開店から3年間は休み無しの365日営業!
人生の中で一番仕事した時期でもあります。

6年目から週に一度の定休日を設ける事でやっと徐々に稽古が出来る様になりました。

八段受審そして合格は自分にとって夢とかじゃなく果たすべき目標って言う感じでしたね〜。
だから稽古が出来ない事に落胆ばかりはしてられませんでした。「この生活のなかから絶対に合格してやる!」なんていつも思っていました。

剣道人生の中で誰もが順風満帆に稽古の出来る環境に有るかといえば、ほとんどの人がそうではない。

自分は、幸いに34歳で七段に合格する事が出来ましたので、稽古が出来なくなったのもの46歳の八段審査まで12年の期間がありました。

では、その間になにをどうすればいいのかを真剣に考えました。

「新しい自分自身の創造をしよう、剣道が出来ない事で良い事もあるはずだ、まずは自分自身を真っ白なキャンパスに変え、そこにデッサンし、色を乗せ八段合格と言う絵画を描こう」と、ある種の開き直りがありました。

後輩や同輩にこんな話をすると「大風呂敷野郎」みたいに蔑まれるようなこともありましたけどね。

しかし、本人は真剣そのもの!

絵を描くためには、被写体を細かく見る事が何より大事です。

八段合格ってどう言うことなのか?
どうすればそうなれるのかを知る必要がありました。

①八段審査会に行き、第一会場の午前中の立会いを全て録画編集し、一次審査の合格者ばかりの動画、二次審査合格者ばかりの動画を自分が受審する前の年まで撮り溜めました。

②その動画を毎日毎晩、暇さえあれば鑑賞する。時には合格者、不合格者混在した動画、時には一次審査合格者ばかりの動画を見る、時には二次審査合格者ばかりの動画を見るといった具合にです。

③始めの頃は動画を見ていても、何故こちらが合格しこちらが合格しないのかその差がまったくわかりませんでした。

④しかし、毎日毎晩見続けると同じ動画なのに毎回発見があるのです。

始めは気づき、「あれ?」って、それらを繰り返し見ていると「ハッ‼︎」とひらめき、また繰り返し見る事で、「なるほど!」と、何故こちらが合格しこちらが合格しないのかが確信として理解と説明が出来る様になりました。

⑤もちろん動画をただ見てるだけでなく、剣道専門誌の昇段審査を特集した記事やそれらをまとめた本など、活字で学ぶ事も平行して行いました。

⑥それは、それは、来る日も来る日も、毎日毎日です。

⑦それらを繰り返した結果、どの様にすれば審査合格に至るのかを信念化する事が出来きたと確信しています。

41歳になり週一度のペースで稽古が出来る様になりました。

⑧後は自分の確信で得たイメージを自分の動作に乗せるだけですが、なかなか上手くはいきません。
そこで最初は合格者のものまねから始めました。

礼の仕方、蹲踞、立ち上がり、発声、間合いの取り方、攻め、溜め、打突、残心の取り方など、合格されたいろんな先生のものまねです。

⑨このものまねが自分の合格のイメージを作る事に非常に役立ちました。

「学ぶことは真似る事」とは、よく言ったものです。

45歳で10年続けた飲食業をやめて、36歳で引き取った家業の武道具店に専念するかたわら稽古三昧の日々を送るようになります。

46歳で受けだした八段審査に48歳6回目の平成21年11月に合格!
目標を果たす事ができました。

私の座右の銘は「一心不乱」
これぞと決めたら実現するまで!

そんな自分の性格?、意識?が、立てた目標を果たす結果となったと確信しています。

やれば、出来る!

皆様も自分自身を信じて目標に立ち向かってください!

私のすべてをかけて皆様を応援しています!
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武漢熱(新型コロナウイルス)など大したことは無い!

2020年03月24日 | つれづれ
剣道稽古が出来ないからじゃ無いが・・・

毎日報道で大騒ぎしているけど、
今回の武漢熱(新型コロナウイルス)は大したことは無いと思う。

なぜなら下の図を見て欲しい。



国内で、感染者数が、1,089人、死者が41人!

え!?、たった41人!!!というのが正直な感想である。

で、毎年のようにニュースになる普通のインフルエンザを調べてみた。



最近のみ大きくしてみると、



なんと2019年は3,325人も亡くなっている。

2017年からの月別を見てみると、



昨年(2019年)の1月は、1,685人も亡くなっている。
1日平均にすると54人である。

これを見たら、今回の武漢熱(新型コロナウイルス)なんか屁のようなもんだ。
おそらく今回も、普通の風邪をこじらせて死ぬ人のほうが多いんじゃないか?

新しい感染症だから慎重に対策をするのは良いが、
何もかも自粛して社会全体が委縮してしまうのは過剰反応のような気もする。
国外の死者数が、12,741人だから多いような気もしてしまうが、
総人口からすれば大した数字では無い。

あくまで素人の個人的な感想だが、
おそらく武漢熱(新型コロナウイルス)は、
昨年の10月や11月ぐらいから徐々に日本に入ってきてたのでは無いか?
少しずつ入ってきていて、少しずつ拡散してきたのでは無いか?

多くの人が知らない間に感染していて、知らない間に免疫が出来ていて、
それでいま、死者が(たった)41人に抑えられているのでは無いか?

報道は、武漢熱(新型コロナウイルス)にだけ焦点をあてるから、
なにかこの病気だけが特殊なように考えられ脅威のように思われがちだが、
同じように焦点を当てるなら、普通の風邪や、
いや交通事故のほうがよほど脅威なのでは無いだろうか?

本当に今回の武漢熱(新型コロナウイルス)が脅威なのかどうか、
今いちど、専門家はデータを元として説明して欲しいものだ。
このままでは日本の国そのものが根本からおかしくなりそうな気がする。

過剰に反応するのはやめて、
武漢熱(新型コロナウイルス)も他のインフルエンザと大差は無く、
大騒ぎせず、手洗いやマスクなど個人レベルで気をつけて、
毎年の風やインフル対策のように普通に対処するようにと広報すべきである。
治療薬が無いから大騒ぎになるだけでそんなに脅威とは思えない。
言ってるうちにワクチンも出来上がるだろう。
普通の健康な人が怖がる必要など無いのだ。

それから余談だが、新型コロナウイルスという名称はわかりずらい。
新しい、別の新型が出てきたら何というのだろう?と疑問も残る。

今回の騒動は中国の武漢市が発端なので、素直に「武漢熱」と言って欲しい。
あるいは、武漢ウイルス、中国熱、中国ウイルス・・・
というような名前に統一して使って欲しいと願っている。

個人的には「武漢熱」がわかりやすいと思う。

ーーーーーーーー

ともかく体調の悪い時は無理をせず、
外出した時には手すりや吊り革には手を触れず、
帰宅したら念入りに手洗いとウガイを行うようにしようと思う。
それで感染して死ぬようなことがあったとしても仕方ないと思っている。
思いながらも「かかるわけがない」とタカをくくっている。
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映画「星屑の町」を観に行った。(2020年3月22日)

2020年03月23日 | つれづれ
3月8日に観るはずだった映画をやっと観に行けた。
きょうはその紹介。

映画「星屑の町」公式サイト。
https://hoshikuzu-movie.jp/




■25年愛され続けた舞台が映画化!
劇作家・演出家の水谷龍二とラサール石井、小宮孝泰が、「笑ってホロリとする作品」を作ることを目指し結成したユニット「星屑の会」によって1994年に第1作「星屑の町・山田修とハローナイツ物語」を上演。その後25年に亘って愛され続けた舞台「星屑の町」シリーズ(全7作)が、ハローナイツのメンバー変わらず、ヒロインにのんを迎えて遂に映画化!

■時代を超えて復活!昭和歌謡の名曲たち♪
「恋の季節」「宗右衛門町ブルース」「ほんきかしら」「新宿の女」「中の島ブルース」など、聴けば誰もが耳にしたことのある昭和歌謡が続々と登場!!歌から生きる元気・勇気をもらった昭和という時代。その時代を彩った名曲が、令和に蘇る。さらに、「山田修とハローナイツ」として96年に発売した「MISS YOU」、オリジナル楽曲「シャボン玉」にも注目。新しい時代を迎えても、いつだって歌で元気をもらう?

■のんが銀幕に復活!!さらに熱唱披露で七変化!
豪華ベテランキャスト陣×ヒロイン・のん 
意外にして絶妙な組み合わせ

25年間を共にした仲間として息ぴったりのハローナイツのキャスト陣 。円熟味溢れる演技と阿吽の掛け合いが妙なリアリティを生み出し、たっぷりの笑いと、時には涙を誘いだす。さらに、本作のキーパーソンともいえるのが、6年ぶりの実写劇場映画出演となるヒロイン・のん。『マイ・フェア・レディ』のイライザの如く、田舎娘がやがて大輪の花を咲かせるまでの変身を見事に演じ、吹替えナシの透き通る歌声で、妖艶さと軽快さを見事に歌い分ける。60年代を意識した衣装の七変化も見逃せない。長年培われた熟練の芝居に、のんの透明感あふれる演技が加わることで、意外性がありつつも、またとない最高のメンバーで、観る人すべてを魅了する!

■出会いによって輝き始める人生とその後
鳴かず飛ばずの売れないおじさんコーラスグルーブが、歌手を夢見るヒロインと出会うことで人生が大きく変わり、新たな人生を歩むことになる。そして、成功の中で気づかされる“大切なこととは?”終わった後、誰もが名曲を口ずさみたくなる、笑って、ホロリとする温かい映画が誕生しました。





いやはや・・・

懐かしい曲もあって初老の爺さんはけっこう楽しんでしまった。
東北、特に岩手は最初に勤務した土地だし、東北なまりも懐かしい。
久々に、ほっとするあと味の良い映画を見させてもらった。

劇中歌の「MISS YOU」には胸が熱くなってしまった。
青春から青年、中壮年、そして老年期・・・
今まで、ずっとずっと走り続けてきた思い出や思いが駆け巡る。

さて映画館は、武漢ウィルス(新型コロナウィルス)のせいでガラガラだった。
いつもは入場に列を作っているのに人影もまばら。









星屑の町も観客は10人も居なかった。
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往馬玄武会で稽古(2020年3月21日)

2020年03月22日 | 剣道・剣術
生駒市武道館、往馬玄武会にて稽古。
(往馬玄武会は複数の剣友会の有志が集まる稽古会)

【緊急連絡・2020/03/25追記】
現在、会員以外の方の出稽古はお断りしています。
出稽古の方の入場、稽古は出来ませんのでご了承願います。


新型コロナウィルス禍中での貴重な剣道稽古だ。
いつもどおり自宅で急ぎの仕事を片付けてから参加。
行ってみたら、夜の稽古(宝剣会)で一緒のN村五段、
長正館のK芦五段、養正会のM六段が来ていた。最終的に計8人。













【感想・反省点】

一週間ぶりの稽古。切り返しから始める。
調子が戻るまでしばらく時間がかかってしまった。
2分間の回り稽古を2回。打っても足が止まってしまう。

最後に六段審査のN村五段とK芦五段の立会い稽古を1回だけやった。
N村五段は姿勢を崩して打つクセがあるが意識していたようだ。
K芦五段は構えて触刃から安易に交刃に入っていくので注意した。

打ったあとは鍔迫り合いの間合ではなく、お互いに離れるように。
審査は試合や稽古とも違う。「審査員に見ていただく」ことを意識するように。





11時過ぎからは生駒一振館の稽古が始まった。
自己責任で稽古は続けているという。それで良いと思う。

夕方からは難波の剣武道具店で、なんば養正会の理事会。
今後の稽古をどうするかというのが主な議題である。
取り合えず3月いっぱいは稽古を自粛し、4月からについては
3月末でまた理事会で話し合って決めようということになった。
何とも先が見えないがやむをえない。


(難波までは中央線で本町のりかえ、いつもより人が少ない)
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【備忘録】外付けハードディスクを認識しなくなった。

2020年03月21日 | つれづれ
ずっと使っていなかった古い160GBのハードディスクが出てきた。
工房のパソコンに繋いでみたら妙なことに160GBを3分割にしてあった。

初めて購入したハードディスクは20GBだったと記憶している。
今では屁のような容量だが当時はとても大きいと思っていた。

いつの間にやら使うファイルが大きくなって20GBでは間に合わなくなり、
高かったが思い切って買ったのがこの160GBのハードディスクだったと記憶している。
160GBなんて夢のような世界だったので、だから用途別に分割して使ったのだろう。

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さて、いま使うのに3分割は必要が無い。3分割を1つに統合しようと考えた。

現在はwindows10で、左下のスタートボタンを右クリックすると「ディスクの管理」がある。
ディスクの管理でハードディスクをフォーマットし、次にボリュームを削除していった。
するとどういうわけか、このハードディスクを認識しなくなったのだ。

パソコンを再起動してもダメで、接続するとピコッと音はするが、まったく認識しない。
もしかしたら、どこかで操作を間違ったのかも知れない。

ネットで検索したら、対策が書いてあったので、備忘録として書き写しておく。

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「ディスクの管理」では認識しない。
コマンドプロンプトで操作を試みる。
コマンドプロンプトはスタートメニューから開くことができる。
スタートメニューの右クリック検索で「cmd.exe」と入力する。(以下に続く)

1)コマンドプロンプトを開き「diskpart」と入力しenter。別の真っ黒な窓が開く。
2)「list disk」と入力しenter。認識しなかったHDDが「ディスク3」として表示されている。
3)「select disk3」と入力しenter。
4)続いて「detail disk」と入力しenter。詳細情報を確認。ボリュームがありませんと表示される。
5)「clean all」と入力しenter。これはフルフォーマットみたいなものなので数時間かかる。
 (おそらく容量によって時間は変わるはずである)



6)再度「detail disk」と入力しenter。詳細情報を確認。
7)「create partition primary」と入力しenter。これは仮のボリュームの作成作業。

コマンドプロンプトでの操作はここまで。
(下の画像は上の続き・・1行目の「DISKPART> clean all」は重複表示)



8)「ディスクの管理」には表示されるが、「マイコンピュータ」上では認識されない。
  (エクスプローラーでは認識されない)
9)「ディスクの管理」上でこのHDDを選択し、右クリックで「ボリュームの削除を選択」し実行。
10)「未割り当て」になったところを右クリックで「フォーマット」を選び実行。

これで認識できるようになり完了。



他にもっと良い方法があるのかも知れないが、
成功したので取り合えずここに成功事例として備忘録とする。

以上
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工房での独り酒

2020年03月20日 | 食べ物の話など
昨日の続き。

工房で飲むのはウィスキー系が多い。
実は味音痴で、安い酒でも飲み慣れたら平気なのだ。
一度試しにブラックニッカをずっと飲んでたら慣れてしまったほど。

本当においしい食べ物がおいしいと感じる方が良いのか、
そこそこの食べ物だったら何でもおいしいと感じる方が良いのか。

長い目で見たら後者のほうがしあわせなような気もする。

ネットサーフィンという言葉を今も使うのかどうかわからないが、
Windows3.1の時代からネットの世界に入り込んでいる。
何よりどんな事でも検索して簡単に調べられるのが嬉しい。
昔は人に聞くか百科事典でしか調べる術は無かったのだ。

夜は食後に工房に入るのが常である。
Youtubeでジャズを聴きながら酒を飲むことは昨夜書いた。

ウィスキーにはジャズが似合う。
スピーカーはちょっと良い音のものを購入して接続している。
若い頃に100万円以上もかけて揃えたオーディオ装置は今はホコリをかぶってしまった。
今は安価にそこそこ良い物や環境が手に入る時代なのが嬉しい。

照明を暗くして音楽を流すと工房は酒場に変身する。
ジャズバーだと気に入らない曲でも我慢して聴かなければならないが、
ここでは気に入らなければどんどん曲を変えられるのだ。

音楽を聴きながらのネットサーフィン。
酒場の画像、焚火の動画、流れるのはスローテンポのジャズ。


(工作台の上はテーブル代わりになる)


(これは昨日の記事の「大きなきのこの山)


(画面いっぱいに酒場の風景を出すと雰囲気抜群)


(ロックのおかわり、氷が無くなるとそのままストレート飲み)


(最近はまっているのが焚火の動画)

最近は稽古が無いので工房にこもることも多くなった。
コロナ禍が続くと、このまま爺さんの引き籠りになるかも知れない。
少し以前より酒の量が増えたような気がする。
コメント (1)
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きのこの山の食べくらべ

2020年03月19日 | 食べ物の話など


甘いものは嫌いでは無いがそんなに食べる機会はない。
元々は大福などは結構好きだが太るのであまり食べなくなった。
還暦を過ぎた頃から体重が落ちない。困ったものである。

普段はビールと日本酒を飲む。たまに焼酎。
肴は何でも良い。ピーナッツや漬物でも満足している。

夕食後は工房にでバーボンかスコッチをロックで飲むことが多い。
原則アテは不要だが甘いものがあれば嬉しい。

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スーパーに行ったらレジの横に「きのこの山」が置いてあった。
いつもとパッケージが違うなと思った。
バーボンのアテに1個買ってみた。

偶然にも家に普通の「きのこの山」があったので食べくらべ。





1)大粒きのこの山トリュフアイスカカオ&バニラ味
トリュフの味を知らないのでどんな味かと思ったらバニラの香り。
バニラ系の香りの強いホワイトチョコという感じかな?
粒も大きいので大変おいしくいただいた。

2)普通の、きのこの山
まあ、昔からある味。ミルクチョコレート&カカオ味。
それなりにおいしい。大粒を食べたあとでは小さく感じる。
圧倒的に大粒きのこの山トリュフアイスカカオ&バニラ味がおいしい。



夕食後は、きのこの山とウィスキーの瓶を持って工房に入った。
Youtubeでジャズを聴きながらJack Daniel'sをロックで飲む。
誰にも(猫にも)邪魔されない、自分だけの空間で時間が過ぎていく。
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№100(昭和62年10月31日)

2020年03月18日 | 長井長正範士の遺文


真剣勝負をしています。これが本当でしょう。又少し横道にそれましたが大事なことなので敢えて申し上げました。

次に日本剣道形の四本目、後の先で勝つ技ですが、八相、脇構から相打ちの瞬間、本能的に両剣がピタッと合ってしまうところ、これを一刀流の見地から申し上げますと、両者半身の八相、脇構から大きく振りかぶって面を打ってゆくのでありますが、この時は自然の勢いで両方の刃は真下でなく稍々左下になり、ハッとした瞬間、本能的に互いの左鎬で持ち合う漆膠の付となります。

これではどうにもならず両者鎬を削るような手の内で相手の意に即し(即意付で)乍ら、ずーっと正眼になり、云々・・・(以下省略)となっており、この理合を深く考えず、ただ漠然と大きく振りかぶり互いに正面を真向から刃を真すぐ下にして打ってゆき、互いに自分の調子で両者の頭の線上で止めており、そのまま中段のところまで下げている方をよく見かけますが、若し両者真すぐ刃を下にして打ち合いしたら、どちらもズバッと頭を本当に斬られています。だから自分の意志でとめているので、これでは形の理合に当てはまりません。このような斬り結んだ瞬間「カチッ」と鳴るところ、どんな古流の形でも皆同じく理合整然とした技になっておりますので、以上説明いたしましたところよくよく吟味体得して頂きたいのであります。

尚、蛇足ですが小野派一刀流の正眼の説明(一刀流極意の558頁にあり)で正眼を中段ともいう。と書かれていますが、これは上段、中段、下段と、はっきり区別したために正眼を中段に今は統一されていますが、厳密に言いますと一寸違うのであります。即ち構えた時の足は右足前、左足あと、従って右肩は自然に稍々前、左肩も自然に稍々後ろになっておりますので、自分の中心の「へそ」も少し左の方により、竹刀を握った左拳もそれに従って、稍々左の方になり、その状態で剣先を相手の左眼に向って構える。これを正眼と言っております。

この正眼で構えますと相手から一番近く斬られる右手を自然にカバーしている事になります。これ又人間の己れを守る本能から出た構えでありましょう。我々の竹刀剣道の構えもこの正眼でなければなりません。中段は日本剣道形の二本目の構えで剣先を真すぐ相手の咽喉元につけての構えでありますから、打太刀は真すぐ上から下で刃を下にして仕太刀の小手を打つことが出来るわけで、若し正眼なら打太刀は、かつぎ技のような格好で、斜め左の方から小手を打ってゆかねばなりません。(一刀流の裏切りの形は仕太刀が正眼でありますから打太刀はこのような打ち方をするのです)

もう少し説明しますと、両者中段でそのまま突き進むと互いにグサッと突きさされます。そうした中段の構えから二本目の形が構成されています。これからあと七本目までの剣道形は晴眼となっております。なぜみな中段と書いてないかお判りになりますように正眼(日本剣道形は晴眼、各流派によって、おなじ「せいがん」でも清眼、精眼、晴眼、青眼、星眼、等々書き表わし、夫々その構えの精神を言っている)で互いに突き進むと剣と剣がクロスしてグサッと突きさされません。これが前述のように人間の本能からくる自然体の構えであると思います。

又七本目の相晴眼で進んで打ち間に入った時の打太刀の胸部の突き方が仕太刀の剣を己れの左鎬で押え乍らグッと摺り込んでゆかなければ仕太刀の胸を突くことが出来ない理合がここに成立いたします。即ち打・仕共に晴眼で攻め進んでゆくところに意義があるのです。そして双方の剣先が稍々上がったところから相晴眼になるまでの漆膠の付の所大変大切なことは前述の項でよく味って下さい。以上で隋(ずい)を説明するため即意付、浮木をご説明申し上げ、これを通じて日本剣道形の要所を述べ一応これで終りたいと思います。次は№101から「機」ということについて申し上げたいと思っています。以上
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№99(昭和62年10月31日)

2020年03月17日 | 長井長正範士の遺文


〇浮木の補註
前回、相手が竹刀を叩いた時、右手の親指と人さし指の二つが主役で竹刀を握り、くるりと反動で廻すと述べましたが、この時、竹刀の廻る動きにつれて右手首を出来るだけ軟らかくして宅蹴るようにすることと、左手首は右手首より一層軟らかくして、これに従うのです。

尚、左手は己れを守る大事な手であるから、絶対中心から離れてはいけないから浮木の場合、ぐるぐる廻るということは良くないのじゃないかと疑問が生じますが、左手は竹刀の先がくるっと廻る円の大きさよりも遥かに小さく、へそ下を中心に廻るので、左右に極端に動くのではないですからかまいません。自分の中心を小さく、くるっと廻り、すぐ、ぐっと中心にして手を締めるのですから何等差支えありません。以上補足して申し上げました。

〇なお、漆膠の付、即意付は日本剣道形の中に含まれていること。
1)先ず初めに互いに抜き合わして蹲踞した時、打、仕共、剣先をピタッと着けなければなりません。これにはお互いに両手首を軟らかく、剣先をお互いに左へ軽く押さえます。くすることによって、剣先を通じ(※印を参考に)お互いの手の内を感じとり、ピタッと呼吸を合わせるところから形を始めなければなりません。

即ち打太刀が蹲踞から立ち上がるのを、ひっついた剣先を通じ仕太刀が感じとり打太刀に応じて立ち上がるのです。勿論指導の師の位の打太刀は仕太刀に呼吸を合わせる気も大切であります。これに対し、仕太刀も打太刀の呼吸を合わせて貰う、その心を感じとり乍ら打太刀に呼吸を合わせて立つのです。

それから構えを解いて後へさがるまでが、昔、真剣勝負をする前の儀式であります。生死を決する勝負であっても、お互いに礼をして前に進み、蹲踞或いは片ひざをつき(槍や薙刀のような)互いに会釈し、「いざいざ」と言うが早いか、お互いにサーッとさがった距離は地形、場所の広さ等の関係上一定しませんが、形はこの距離を九歩と決めて作ったもので、決斗は既に九歩から始っているわけで、竹刀剣道も稽古前に儀式としてお互いに礼をして前に進み蹲踞して立ち上がり(この時は竹刀の先が互いに触れない程度に)構えて稽古を始めるのでありますが、ここで考え違いしないように念のため申し上げておきます。

蹲踞から立ち上がるなりお互いに前に出て、竹刀と竹刀を交叉し、ひどいのになると中結革の辺までの近か間で攻め合いし、どこを打とうとか、こういけば、ひょっとして打たれやせんかとか迷い乍らポンポンとやっているのをよく見かけますが、これは剣道ではなく、しない競技であります。

なぜなら剣道には大切な間合があります。即ち攻めの間合から生死の間合に入るまでの攻め合いが剣道であり、それを生死の間合で攻め合って叩き合いするのは全くしない競技であります(しない競技なら間合がいらない、当てるポイントを稼げばよいのです)ですから本当を言うなら立ち上がるなり、サッと一歩ぐらいお互いに後へ引き、そこからジリジリと攻めると真剣身味が出て来、形の九歩とまではゆきませんが本物の剣道に入ることが出来ると思うのであります。

幸い今は蹲踞の時から剣先が触れない程度から始めるようになっており、誠に結構なことと思っております。近頃の時代劇の立ち回りを見ると、理に叶った剣法で我々は逆に教えられるのであります。新吾一番勝負で、いざ!と言ってスッと後へ引いてから(続く)

※戦前の軍歌に「とった手綱に血が通う」という名句がありますが、人馬一体の愛情の呼吸が手綱を通じて感じとるように。

番外)

〇真剣勝負の時、いざといってサッとあちへ引くのは人間の本能であります。恐いから下がるわけでもなく、自然に思わず身を守る本能が体全体を動かして無心で思わずさがりそこから勝負に出るものであります。

註)中結革が切れるのは本物の剣道ではないと言われている。
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