稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

長正館定例剣道稽古(2019年2月27日)

2019年02月28日 | 剣道・剣術
大阪市東住吉区の矢田中学校の体育館で毎週水曜日19時半から。
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【長正館練習生募集中】
初心者、元経験者、有段者を問わず募集中。
レベルに応じて個別指導を行います。
詳しくは長正館ホームページまで。
http://www.doujyo.net/choseikan/
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仕事や風邪などで欠席が多く、最終7名。
終るのも少し早くて20時50分まで。


(基本稽古は4人から始まった)


(K芦五段と井上館長)


(F六段とK部五段)


(K部五段とK芦五段)


(稽古終了)


【感想・反省点】

最近は、こちらの戦法を読まれていて正攻法では打たせてくれない。
起こりを見せる打ち、見せない打ち。
無理やり打ちに出ると出小手を狙われる。
もう少し自分にスピードが欲しい。

上の写真(上から3枚目)を見てもわかるように、
K芦五段は面を打つ時の右足が蹴り足になっていることを指摘。
左足と左腰で押し出し、右足は床を滑らすように前に出すように指導する。
繰り返しやっていると、ほんの少しだけ改善が見られた。
あとは継続して修正すれば良いのだが・・・まあ無理かも・・・

あと、右手で中心を取り過ぎるクセもある。
中心の取り合いと見せかけて外すと右小手がガラ空きになってしまう。
中心は左手で取るものである。これを忘れると小手の餌食になる。
力任せの剣道、これはかつての私である。

クセはすぐには直らない。
でも意識を持って地道に努力すれば必ず直る。
まずは認識出来ているかどうか、直そうと意識するかどうかである。
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コールマン ガソリンストーブ 533

2019年02月27日 | つれづれ
自宅の押入れの奥からガソリンストーブを見つけ出した。
コールマン ガソリンストーブ 533 (Coleman Dual Fuel 533)
緊急時にはレギュラーガソリン(車用の無鉛ガソリン)が使えるタイプ。
通常は無添加のホワイトガソリンを使う。

千葉に住んでいた頃は毎年何回か家族でキャンプに行ったものだ。
いくつものストーブを持っていたのに何故かこれが欲しくなっのだろう。
買ったものの、奈良に引越しして、使う機会も無いまま忘れられていた。

すでに3つのストーブがあるのでこれは使う予定も無い。
バーナー部を分解し、点検整備の上でオークションに出品した。
縁の無かったヤツだが仕方が無い。


(キャンプ用だけでなく災害などの非常時にも役に立つ)


(点検整備して試験燃焼させてみた・・・問題なし)

3000円で出品したが、現在3500円の値がついている。ウォッチリストは42件。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j552818172

オークションの説明文
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1994年製のコールマン533です。
Coleman Dual Fuel 533

年数は経っていますが使用回数は少なくキレイだと思います。
レギュラーガソリンも使えるタイプです。

ホワイトガソリンしか入れた記憶がありません。
(25年も前の記憶なので間違えていたらすみません)

出品前に通常の分解整備をしました。
レギュレーターのワイヤーも抜いて点検しましたが、
詰まりも汚れもありません。

試験点火しましたが問題は見受けられません。
程度は画像で判断してください。

サイズは60サイズを予定しています。
佐川急便で、送料は本州四国九州均一 800円、北海道 1000円です。
沖縄や離島は、ゆうパックで発送します。
(この場合、ゆうパックの60サイズの標準料金となります)
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(すでにある愛用の3台のストーブ)

誰かが大切に使っていただけたらありがたい。
少しでも高く売れたらいいなあ。
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No.44 (昭和62年1月23日・続きの続きの続き)

2019年02月26日 | 長井長正範士の遺文


吉田先生は、こうした意味で剣道界の国士であり、達道の人である。

この吉田先生が高野茂義先生の死を聞くや、その晩は殆ど一睡もせず、
現代剣道の在り方と、その動向について考えたり自己の今後の剣人としての行き方を考えたり、
剣人としての茂義先生の生き方を考え、今後、十年間に、どのくらい剣の道を達成し得るか、
その限度と方法を如何にすべきや、と考えたりしているうちに、夜も白々と明けわたり、
山上の樹木もさわやかに、朝の挨拶うぃかわす頃、卒然として閃いてくるものがあったという。

如何なる名人、上手と雖も人は電光朝露(でんこうちょうろ)の如く、
泡の如く、虹の如く、無常なるものである。

今日までの自己の行跡を案ずるに、一体剣道界に何を残し得たであろうか。
自分の剣道を自己の人間性を本当に知っていてくれた、
お歌所の千葉胤明先生と八代将軍、剣道の育ての親とでも申すべき南天老師等は既になく、
自分が今日までに営々として開拓してきたこの剣道を何に托して後世に残そうか、
という問題に想到したときに、天来の声として霊示があった。
それが竹刀作製の事であったという。

如何なるものと雖も、現象的な、ありとあらゆるものは無常なものではあるが、
若し損傷されずして残れば二代、三代と伝わるだろう。

今日までに達し得た剣道の境地を竹刀に托してみよう。
二代、三代後の剣人がこの一刀を手にしたとき、ああ竹刀とはかくなるものか、
剣人にしてかくの如き竹刀を作り得た吉田誠宏なるものの剣道は
如何なる境地を開拓したものであろうかと、考えてくれる者が一人でもあるならば、
高野茂義先輩の死を意義あらしめる事であると悟ったと申されております。

誠に高野先生の竹の名刀の由来を知れば知るほど、今日名刀の得難い時に吉田先生が、
その名刀作製に乗り出して下さった事は私達にとって誠によろこばしい事である。
先ず手初め渡米記念にと思い、井上監督や、森寅雄君にあげるんだと
言って造られたものを拝見したのであるが、是れまさしく名刀である。

四、真の名刀
だれしも、これが名刀であると言われて、それを手にして見るとき、
成程そのよさがわかるのであるが、さてその名刀一本を数百本の凡刀の中に入れて、
ここに名刀一本あるからより出してみなさいと言われた時、
果して名刀はこれだと発見し得るだろうか。

茂義先生は七十年間中ご自分で買求めたものに一本も名刀はなかったと述懐しておられる。
これに反して、尊師高野佐三郎先生は竹刀で名刀というものは、こうしたものですと言い乍ら
三本ほど持出していろいろと名刀についてのお話をして下さった事がある。
ここに尊師の剣道と茂義先生の剣道にひらきがあった。へだたりがあったと見受けられる。

大海原のほとりに立って仰いで蒼々たる天空を視れば、
片々たる雲の瓢々として遊行するを眺め、俯しては茫々たる大海原を望めば
朗々波々ひねもすのたりのたりとうねっている実に寂静そのもの平和そのものである。
頭をめぐらして目を転ずれば妖岩躊石の肌合に和して、
松風の瓢々として一曲をかなでているを聴く。

こうした大景観の中に書かざる経文を読みとり、
そこに剣理を発見して宇宙の大生命に直接ふれてゆくことの出来る人!
それは剣人としての吉田誠宏先生その人である。

こうした人であってこそ、京都の尚武号で知られている高橋定康氏が
竹刀の材料としてもっている荒割りの三万本の中から仕上げれば
名刀となりそうな素材を五百本選び出し、それを更に仕上げてみて、
吉田誠宏作と銘を打てるものは、三百本出来ればよいとの事であるが、
玉石三万本の中から名刀(以下続く)
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引越しのお手伝い(2019年2月24日)

2019年02月25日 | つれづれ
車(デリカ)を貸してくれと昔の同僚から連絡があった。
何事かと聞くと次女の引越しに使うのだという。
別に構わんが、いつも何に乗っているのか?と聞くと、
ほとんどペーパードライバーで、たまに軽のレンタカーを借りる程度だと言う。

そんな者に大きなデリカの運転は無理だと
「午前中だけやで」と言って運転手をかってでた。

朝早くに奈良から大阪市内まで行き、
親子を乗っけて兵庫県明石市の長女の新宅へ行く。

そこで古いベッドと冷蔵庫と移動式ワゴンなど車いっぱい積み込む。
引き返して大阪市内を通り越して大阪狭山市のアパートまで行く。
荷物を降ろし、今度は出発点の大阪市内の元同僚の自宅まで行く。

元同僚の自宅から、本棚兼食器棚、衣料ダンス、
その他諸々数多くを車一杯に詰め込んで再び大阪狭山市まで行く。

お昼になったので食事。
いつもなら牛丼屋かラーメン屋に行くところを、
おしゃれなハンバーグレストランに入ってしまった。

あらためて話を聞く。次女は22才。
大阪狭山市の会社に就職が決まり会社近くのアパートを借りた。
予定していた来てもらうはずのトラックが急に駄目になり途方に暮れていたらしい。
美人のお嬢さんが私には眩しくて何やら気恥ずかしい食事だった。
息子ばかりなので娘さんには慣れていないのだ。
食事のあとでベッドの組み立てだけ手伝って退去した。
走行距離は全部で250キロだった。

帰り道に、就職して岩手県は盛岡で一人暮らしを始めた頃を思い出していた。
もう40年も前である。Uターン就職で関西に戻ったと思ったら岩手県勤務だった。

線路沿いのボロアパート。裸電球の下に実家から送られてきた1組の布団があるだけ。
不安で一杯だったが、新しい生活への期待でわくわくドキドキしていた。
何も無くても元気だけはあったなあ。

娘さん、新しい仕事、新しい生活、ぜひ精一杯頑張って欲しい。


(食いなれないオシャレなランチを頼んでしまった)
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打てずとも良し打たれても良し。(2019年2月23日)

2019年02月24日 | 剣道・剣術
朝の稽古は休んだ。
踵の割れが痛い。テニス肘(上腕骨外側上顆炎)が痛い。
無理をすると長期にわたり稽古出来ない。
いまある元気度の配分が必要となってくるわけだ。

17時から大阪市東住吉区中野中学校格技場で小野派一刀流(長正館)の稽古。
指導をしながら時々仕方に入る。これぐらいの稽古量がちょうど良い。
先週は打方で鬼甲手を着けるとテニス肘(上腕骨外側上顆炎)が痛んだ。
重い鬼甲手はけっこう負担になるものだ。

テニス肘は二刀をしていた頃にも痛めた。
二刀の稽古ではけっこう無理をしていた記憶がある。
いま痛む原因はわからないが複合的なものかと思う。
しかし、右より左の肘が痛むのも不思議である。

4月の石清水八幡宮の演武、5月の京都大会の演武、6月の伊勢神宮での演武の下打合せ。
仕事も一番忙しい時期なので、本音を言うと遠慮したい気持ちが大きい。

事務所に戻って残務を片付け、夜は生駒の宝剣会。
七段3名、五段2名の少人数だが内容的には短くも激しい内容である。


(小野派一刀流の稽古風景)


(同じく)


(生駒の宝剣会)


【感想・反省点】

宝剣会はいつも通り遅れて参加した。
ここでは私が一番若く若者扱いにされる。

少し基本打ちをしたあとN村五段と地稽古。
N村五段が打ち込んだ途端に(N村五段が)しゃがみこむ。
驚いた。急に激しく動いたので肉離れを起こしたようだ。
手持ちのエアーサロンパスを噴霧して様子をみる。
無理は禁物である。安静にして冷やすのが良い。

肉離れは若い頃に2回やったので今でも恐怖心はある。
最初からいきなり飛び込むような稽古はしない。
この年になると病気やケガが一番つまらない。

石丸師範には近間でボコボコに打たれまくった。
まあいいか。ほどほどに頑張るのもこれまた稽古である。

打てずとも良し打たれても良し。
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No.43 (昭和62年1月23日・続きの続き)

2019年02月23日 | 長井長正範士の遺文


この境地まで導いてくれた愛刀をとって、なで、さすり、ほほずりして、
三拝九拝している名人の姿が目に見えるように髣髴(ほうふつ)たるものがある。

一切が名刀のお力、名刀の導き、名刀のおかげで、
自分の力でこの境地が開けたのではないと、まことに謙虚な気持で涙を流してよろこび、
名刀と苦楽を共にして来た生涯をふりかえって楽しんでいる様を想像してみるとき、
私はこの所を涙なくしては書き得なかった。

斯様(かよう)に先生は極めて謙虚な気持ちで、名刀の力を得なかったならば
「剱の心」を証得することは出来なかったであろうと申しているのである。
誠に名刀こそ剱人の本心を直指して、本心の殿堂にご案内して下さって、
剣道至極の好境に入らしむる案内者である。

三、名刀製作の動機
法華経に「唯仏と仏とのみ能く究尽す」とあるように、
名人はよく名人を覚知し、名作は名人の手によって打成される。
曲木も名人の手になればたちまちその真価を発揮する。
吉田誠宏先生を今名人ということは尚早かも知れないが、
少なくとも名人位の境地とはこうしたものであるという事だけは既に三十代にして知り、
その境地を開拓しようと、あらゆる角度から研究に研究を重ね、或は一代の禅僧、
南天老に師事し、剣禅一如の妙所如何にと捨身の修行に徹する等、
或は京都武徳会本部の大会に於ける玉座問題では
剣道第一義諦(だいいちぎたい)のものを打成して、
剣道界に新生命の楔を打込み、飄然として剣を捨て、
拓生の道に入り、医師に見離されたる多くの肺病患者を癒やし、
活人剣の妙境を実際生活に於いて自得現成した。

或は又、一億玉砕のあの大戦の大詰となるや、全国の武道家に激をとばして、
中村半之助将軍を隊長として振武隊を組織し、橿原神宮の大広間に於いて
「我々日本の武道家は身命を大君に捧げ奉り護国の鬼と化することを
大神様の御魂にお誓い申す」と武徳の本領を発揮し、
以って護国の鬼たらん事を期して国難に当るなど・・・・・

或は又、敗戦直後のあの米穀の遅配欠配が続き将に餓死寸前の際に、
日下村農業倉庫に在った麦百二十五俵を非農家二千六百四人に対して
先生が身をもって配給し、村民の急場を救ったため、食糧統制違反によって告発せられ、
二年有余に渡って法廷で戦い、全く自己を捨てきって非農家を救う等、
事にのぞんで変に応じて道を行ずる剣の妙所を如実に生きぬいた人と言うべきであろう。

或は又、敗戦に逢い、国民騒然として国家を忘れ、民族を忘れ、
ただ自己一身の利害と安泰をはかる世情を見ては坐視するあたわずして
日本再建の道は剣道を復興せしめるにあり、
国民の生活の中に武道が入ってこなければ我が民族は亡ぶより外、仕方がない、
日本をして日本本来の日本に再興せしめるために私財を投げ出して武徳会の再興を企図し、
ほとんど成就するかに見えたが、時期尚早のためか、一部不明の人達の反対にあい、
まことに天、組みせず、雄国空しく失敗に終ったのである。

かくの如く先生の今日までの生涯は剣道第一義諦に、
こと志と違い成就し得なかったのである。

失敗に終ったとは言え、常人のよく企図しえざる事を企図し、
凡人のなし不得ところをなしきたったところのものはなんであろうか。
これは地位も、名誉も、財産も何もかもいらん。
ただ国家の安泰と民族の繁栄とを希求し、全自己をあげて、
一切を剣道のために打込んで、剣道の第一義諦より湧出せる透徹(とうてつ)した
心境と大義に生き抜かんとする情熱である。(以下続く)
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基本と応用と1分稽古(木曜会、2019年2月21日)

2019年02月22日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
20時から21時30分まで。今年7回目。

---基本の稽古---

面を着けずにまずは素振りから。
振り下ろした時に右手を左手まで付ける素振り方法。
大きく上下と正面打ち。そのあと早めの摺りかぶり。

面を着けたら3人組(私の組は2人組だった)となる。
大きくの切返し。小牛田農林高校、乳井義博伝の水平切返し。呼吸法の切返し。

近い間合いで「ゆっくり」の正面打ち。
近い間合いで右足出して準備完了して正面打ち。
右足出して準備が出来たら素早く正面打ち。

---実戦に通用する稽古---

○出頭の正面打ち。
打つべき機会は、こちらが準備完了して「相手が出よう」とした瞬間。
遠間→触刃→交刃の間で準備完了させて相手の目を見て判断する。
しっかり準備して、相手をよく見ることが大切。あわてて打たないこと。
自分が打つ準備が完了していて、
相手が打とうとしたところを打つことが出来れば、
怖いと思うようなことは無くなる。

○攻め返しの正面打ち。
相手が入ってきて体制を整える前に自分が先に入って準備完了する。
入るときに中心を取る。乗り返す、攻め返す、動じない心と態度。

○足を使って実戦的な攻め返しの正面打ち。
相面、出小手、相小手面、返し胴、面胴交互。
相小手面は打ったあとで纏めること。面で終ってはいけない。
返し胴は返そうとして入っては駄目。自分から入る。待っていては駄目。

○面に対する先々の技。小手に対する先々の技。

気後れした時は小手を打ってくる場合が多い。
そこを返して打つ。相手を使う剣道。遠間触刃から表現する。
傍から見て緊張感のある剣道。審査員がなるほどと思う剣道。

○1分稽古、5回。(六段以上と以下に分かれて)

○切り返し

対峙した時、相手に迂闊に打ってこさせないためには気迫と気勢しかない。


(稽古前の風景)


【感想・反省点】

最後の1分稽古。思わず日頃の剣風が出てしまう場面多し。
自分から入るよう意識するが、そこから打ち急いでいる感じがする。
相小手面のスピードに問題ありで、小手は同時でも面に乗られる。
打てた打てなかったよりも技前の作り方を意識すべきと注意を受ける。
空振りに終っても残心を取るよう注意を受ける。
すでに足パンパン。

「易(やす)きに流れる」自分がいる。
よほど意識して稽古に取り組まねばならない。
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長正館定例剣道稽古(2019年2月20日)

2019年02月21日 | 剣道・剣術
大阪市東住吉区の矢田中学校の体育館で毎週水曜日19時半から。
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【長正館練習生募集中】
初心者、元経験者、有段者を問わず募集中。
レベルに応じて個別指導を行います。
詳しくは長正館ホームページまで。
http://www.doujyo.net/choseikan/
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時間前にH尾二段とS口二段の剣道形稽古。
最終参加は13名、うち六段2名、七段4名。
終了は21時を少し回って内容の濃い良い稽古だった。

終了後にK川五段が来たので体育館の前の暗闇で五段の証書伝達式を簡単に行った。


(準備運動と素振りから始まる)


(I口初段とS伯七段)


(同じく)


(H尾二段とH井七段)


(F六段とK芦五段)


(K野三段とH井七段)


(同じく)


(F六段とS伯七段)


(同じく)


(C六段とS伯七段)


(同じく)


(稽古終了、その1)


(稽古終了、その2)


(稽古終了、その3)


(帰り際にプールサイドで月を撮ってみた)


【感想・反省点】

K君、来るには来たが地稽古には参加しない。
どこかが具合が悪かったからとは言うが、それはいつもの言い訳である。

躊躇したが思い切って本人とお母さんに少し説教した。
「少し頑張ってみる事を積み重ねて行かないと駄目になっていきますよ」

これは何も剣道だけのことでは無い。
これからの人生すべてに対しての取り組み方である。

少し楽をする事を積み重ねていくと人間はますます駄目になる。
出来ない言い訳を自分自身に、そして回りに言い始める。
剣道をやるから強く立派な人間になるのではなく、
言い訳など通用しない剣道稽古の中で少し頑張っていく姿勢が人間を育てるのである。

無理かな?と思う一線を少し越えることの連続で人は逞しく育つ。
少しの無理こそ成長の種なのだ。

K君、今年から六年生。これからの5年間は一生を決める人間形成の重要期である。
自他、甘えることなく真剣に自分自身に向き合ってどうあるべきか考えて欲しい。

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さて稽古。

高段者が多いと実に稽古が楽しい。
左腕のテニス肘が後半痛んだが、痛みも忘れて頑張ってしまった。

C六段には相面で負けた。彼の相面は実に速い。
相面で勝つのは無理なのか。何か方法はあるのか悩みは深まる。

H井七段には乱戦の中で出小手を打たれた。
打たれたことより、近間の激しい攻防で姿勢が崩れるのが気に掛かる。
近間になる前に何とかしないといけないのだろう。

どうも中心の取り方、中心の攻め方に問題があるように思う。
打たれたくないという意識が邪魔をするのかも知れない。
課題は多いが楽しくもある。少しの無理を楽しみ頑張ろう。
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No.42 (昭和62年1月23日・続き)

2019年02月20日 | 長井長正範士の遺文


名刀らしいものが一本もなく、後藤先生から頂いた一刀こそが
多年求めに求めた名刀であったことのよろこびを又、次の例話で表現している。
「この私のよろこびというものは、音楽家が名器を手に入れた時のよろこびなどと同様であろう」と。

更に「この名刀は試合専門として、天覧試合にもこの愛刀一本で臨み、
その他数々の勝負を重ね、大連引上げの際も、これだけは、ソ連兵が何と言をうと
身から離さず持ち帰った」とある。

先生は全く命にかえてもと、この愛刀を護りきった事がよくわかる。
これ一本では誠に破損した時に心もとなく、備えとして、これに代わるべき一本をと、
その後、随分苦心して求めてはいたが、遂に手に入らなかった。
と、現代竹の名刀の殆んどないことをなげいていられるのである。

先生はこの一本の名刀が手に入ったために、現代剣道によって、
はしなくも剱の心を悟り、剱の妙境に遂に達し得た事を申述べているが、
如何に名刀ならでは剱道至極のところを、ずばりと悟ることが困難であるかを
述壊しておられるのである。

二、名刀によって剣の心を悟る
「愛用の名刀であると、試合でも、稽古の際に於いても、
身剱一如の境地に入り易い」と申されている。

これは名刀がよく、自己に生れ乍らにしてというよりも、
生れる以前から即ち父母未生以前(ぶもみしょういぜん)から
内在具有しているところの潜在する真の力量(剱の心)を
引き出す力があることを教えておられるものと解したい。
そして次の一文こそ、先生がこの名刀によって
剱道の悟境に達し得られたよろこびを書き綴ったものであろうと思う。

「勿論勝とうとか、秀でた技を見せようとか思う気持ちが動いたら立派な剱は使えない。
こうした想念が全く無くなって了(しま)い、思念や肉体が気にならなくなると、
真に剱と一体となった試合を行えるもので、無我の境地に入る。宗教で言う空の境地であろう。
この境地になると技を邪魔する色々の想いが消え去り
(心を観ずる心になく!迷う心などは本来なしと悟ってみれば)肉体まで消え去って
(色即是空を感じ、物質本来なし、肉体なし)本心(即ち「剱の心」言うなれば「不生の心」)
そのものになってくる。

剱と自分が無になると、相手の心の中に自分が溶け込んで了(しま)う。

(本来彼我共に宇宙の大生命を生きているのであるから、生命に於いて一つなのであるという
一体観に立ってみると・・・・・)

すると、相手と自分とは同じもので、相手の思うこと、なすことが自分にピンと感じられ、
無理なく、剱理にかなって相手を打込めるものなのである。

(無敵流の流祖が、この境地を悟ってからは、剱法と言わないで「平法」と名ずけている。
何故平法と申したかというと、我と彼とは本来平等一体であるという自覚を剱に生かしたもので
あるからである。彼我本来一体である。そこから平法が生れてくる。斗う(たたかう)のではない、
和解平和の法である。一切に和解して無敵なるが故にである。ここのところは、あたかも
信心銘の劈頭語、至道無難唯嫌揀択(しどうぶなんゆいけんけんじゃく=好ききらい)を嫌う、
ただ憎愛なければ洞然として明白なりの境地と一つのところである)

と先生ご自身の絶対不敗の大悟境を披歴しているが、
これは全く、名人上泉伊勢守信綱の歌ったものと同じ悟境である。

“よしあしと思ふ心を打ちすてて、何事もなき身となってみよ”
そして最後に、何と言われたかと申しますと、
「この境地まで導いてくれた愛刀を時折、竹刀袋より取り出して眺めるのが何より楽しい」とあるが、
これは先生の人柄を遺憾なく発揮した不朽の名文であり金言である。(以下続く)
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No.41 吉田誠宏作、竹刀の名刀について(昭和62年1月23日)

2019年02月19日 | 長井長正範士の遺文


○吉田誠宏作、竹刀の名刀について。
という題の貴重なパンフレットを吉田先生が生前私に下さったが、
その当時はちらっと一回だけ拝読して軽く浅く名刀とはそんなものかと思い乍ら、
そのまま他の書類と共に書棚にしまっておいて、もう二十年になろうか。

今そのお書きになった文章をじっくり拝読させて頂き、
これは大変に貴重な文献として如何に吉田先生は奥の深い名人であり
剣の奥義を自らあみ出し剣の道を極められたが今頃になってハッとして
その偉大なるものを後進に残されたか思い知らされ、ただただ感激無量である。

これを私することなく広く皆様にご披露申し上げ、以って吉田先生の霊に捧げたい。
但し残念ながら途中からの紙片が切れ紛失したので肝心なところが無いので
如何にも惜しいのが初めからの文章の流れから賢明な皆様のお察しにおまかせしたい。
以下、忠実に拝写致します。

(この文を書かれた方はゆえあってよみびとしらずとしておきます)

一、高野茂義先生と竹の名刀
名人高野茂義先生。先生は現代剣道によって物質本来なし、肉体本来なし、
心を観ずるに心もなし、ただ実在するものは「本心」即ち「剣の心」のみを徹見し、
隻手(せきしゅ)の声を聞き、剣の心を極めた人であるが故に、
先生は名人位に達したものと信じているものの一人であるから名人なる悟りを冠する。

先生の悟境(ごきょう)に関する消息は昭和三十一年七月号の文春四十二頁に
竹の名刀と題して現代剣道によって拓かれた悟境の一端を申し述べられているが、
これは誠にもってわれわれ剣人にとっては孫末代まで語り草とすべきお話であると思う。

悟境に関しては後程、竹の名刀に関連して出てまいりますが、
先に竹の名刀について私見を入れながらご紹介致します。

「私が七十年間に手入れした竹刀で、これこそ真に名刀であると気に入ったのは、
たった一本なのである。竹刀は刀剱と違い簡単に入手出来るものであるから、
竹刀の名刀なら何本でもありそうなものであるのに案外なことである。」

と申し、更に語をついで

「十代の少年時代から今日八十才になるまで何百本ともなく使用したが
自分で買い求めた中には一本も名刀が無かった。然るに大正初年、
京都の演武大会に出場したとき、柳河藩の後藤一先生から頂いた一刀は
誠にその相(スガタ)と言い、調子と言い、重量までが総べて私の好みに、
ぴったりと合い非常に気に入った。大連の家にこれを後生大事に持ち帰って、
早速自分の好みに最後の仕上げをして、中段、上段に構えて調子を見ると、
実に予期以上の名刀に仕上がった。思わず掛け声もかかり、独り稽古を始めてしまった」

とある。全く名刀と言うものは、そうしたものであると思う。

私たちは竹刀を使うということに専念して「竹刀につかわれること」を知らない。
名刀の動きにつれて体が自然と動く・・・・
これは名刀によって自己に内在している潜在力が導き出されてくる結果、そうなるのであるが、
茂義先生も独り稽古を始めたとある。ここに名刀の価値が有ると思う。

斯様(かよう)に剱人としての先生が、
これこそと思う名刀を手にした時のよろこびを余すことなく表現して
眼前に髣髴(ほうふつ)たらしめるものがあるのではないか。

弘法は筆を選ばずと言われているが、茂義先生をも竹刀を選ばずで、
どのような竹刀でも使いこなす人であったから、
竹刀のよしあし等に関して気にもかけなかっただろうと、はた目に見えたのであるが、
この述懐を見ると、先生程名刀を求めに求めた人は少ないような感じを受けるのである。
ご自分で買い求めた中には(続く)
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長正館、月例稽古(2019年2月17日)

2019年02月18日 | 剣道・剣術
長正館の月2回の日曜稽古。通称「月例稽古」。
出稽古大歓迎の自由な稽古の日である。
東住吉区湯里小学校の体育館。
17時から一刀流稽古。18時半から20時まで剣道稽古。
(月例稽古は剣道の基本稽古はありません)

※3月17日は学校行事のため稽古はありません。


(小野派一刀流「払捨刀-地生」の稽古の一場面)

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17時から一刀流。払捨刀と刃引の稽古。
メンバーは藤、井口、加藤、小芦、粕井。
井上館長は見取り指導。

藤さんには払捨刀の打方もやってもらった。
今年中には全員が打方仕方を憶えて欲しい。
見学のN羽さんが来たので私は日本剣道形も行った。

剣道は最終13名。熱気のある良い稽古だった。


(準備運動)


(素振り)


(F本六段とS口二段)


(K芦五段とK藤五段)


(I口初段とN村六段)


(K野三段とTちゃん)


(I口初段の構えは格段に良くなった)


(残念ながら打ちはイマイチ)


(奥ではK藤五段、手前はS口二段の果敢なる正面打ち)


(井上館長は少し早めに終了)


(六段以上は上座)


(面取れ~)


【感想・反省点】

月例一刀流の稽古は定例で稽古をしない払捨刀と刃引を稽古している。
畳み床の中野中学校と違って床が木なのでしっくり動けるのが嬉しい。
初めて稽古参加のN羽さんも剣道形で参加する。
湯里小学校の体育館は広いので剣道形の稽古も空いたスペースで出来る。
長正館の剣道形はレベルが高いのでぜひ利用して稽古して欲しい。

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初心者のTちゃん、初めての月例稽古。
打ち込みが出来るようになったので心配は無い。
やらせてみても打ちも強く気剣体の一致で打ち込めていた。

自分的には時間が経つと疲れてくるが気持ちが乗ってくるのがわかる。
待つ気持ちを排除して、返されても良いから自分から動いてみる。
頭で考えて動くのではなく一歩の向うは身体に任せてしまう。
打っても打たれても気持ちが良い。
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小野派一刀流の稽古(長正館、2019年2月16日)

2019年02月17日 | 剣道・剣術
17時から小野派一刀流(長正館)の稽古。
場所は大阪市東住吉区中野中学校格技場。

久々に後半の打方を務める。
間合いが近いと言われるが、届かぬ間合いで稽古していても意味は無い。
ベテランには真剣に懸からせてもらう。










【感想・反省点】

久々の後半の仕方の稽古である。
槍もやっている新陰流のY根氏の打方の気迫が半端無い。
「陰の払い」でY根氏が袈裟を切って来るのを陰に外す場面で、
袈裟の太刀筋が少し下過ぎるので、注意しようと動きが一瞬鈍った左拳に木刀が当たった。
ヒビがはいったのか腫れあがってきた。幸い折れてはいない。

木刀の打撲はけっこう痛みが大きく長引くものである。
気のはいった者と稽古する場合は一瞬の間違いで怪我が生じる。
先週も(私が帰ったあと)ベテランの打方が頭を打たれてタンコブを作ったとか。

形稽古と言っても命を賭けた侍の剣の修行である。
怪我が怖くて恐る恐る稽古をするとこれまた身につかない。
といって怪我をすると場合によっては半年も稽古が出来なくなる。

この加減が難しいが、相手のレベルや体調、精神的なものも含めて、
総合的に判断して最高の稽古をして欲しいものである。
踊りのような形稽古は真っ平ごめんである。
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なんば養正会(2019年2月15日)

2019年02月16日 | 剣道・剣術
大阪、難波の大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)。
なんば養正会。大人の稽古は19時~20時15分(夜間の場合)まで。
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なんば養正会のホームページ。(管理人は私です)
http://www.doujyo.net/youseikai/
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1月は何とか2回来れた。2月は本日が初めてである。
思うように来れないものだ。「19時に難波」という時間の配分が難しい。
本日の稽古は剣武道具に用事があって行った「ついで稽古」である。

実は右足が昨日の木曜会の稽古で新たにパックリ3箇所開いてしまい、
例のごとくアロンアルファで修理したが痛くて仕方が無いのである。
ま、いいか、なんとかなるか。。


(行ったら基本稽古の最中だった)


(30年ほど前に使っていたサポーターが出てきたので着けてみた)


(稽古終了)


(挨拶と指導)


【感想・反省点】

1分間の稽古を4回行う「回り稽古」から参加。
回り稽古で4人、続けて自由稽古(地稽古)は12人と稽古した。

剣風の異なる人と続けて16名の稽古を行うのは非常に勉強になる。
木曜会で教わったことを試してみるが、うまくいったりいかなかったり。
何度か自分の姿勢が大崩れしてしまうことがあり恥ずかしかった。

六段審査対象者には審査向けの指導を行う。
O野さんには足の引きつけと右足の出し方、K藤さんには打った時の残心の取り方。
ほんの少しの修正で大きく剣風は変わるはずである。頑張って欲しい。

サポーターのおかげで右足の割れの痛みは少なくて済んだ。
昔は踏み込みが悪くて右足を痛めたが今は「割れ」で痛めている。
土日も稽古なので、またアロンアルファで修理(治療?)しておこう。
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基本と技の稽古(木曜会、2019年2月14日)

2019年02月15日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
20時から21時30分まで。今年6回目。
参加者は20名ぐらい。そこそこ寒い。

---基本の稽古---

稽古は面を着けずに素振りから。
面を着けたら3人組となって基本稽古。
切返し4種、正面打ち各種。
(右足出しながら)攻めて(中心、拳、左目)からの面打ち。
肩残心をするよう、打ったあとは相手との距離を取ること。

お互いの構えた時の距離は触刃の間を守ること。
横(審査員の目)で見ていても緊張感が違う。

---技の稽古---

右鎬(裏鎬)で摺りあげての面打ち。
摺りあげてすぐ打たないことがコツ。

出頭面2種(攻め入っての面、待ち受けての面)。
気後れすると打てない。自分の気持ちをいかに乗せるかが大事。

攻め返しの稽古。
相手が入ってくる左足より先に間合いに入る。
入る時は中心を取るが押さえては駄目。
摺り込む感じで中心を取る。

返し胴の稽古。(いーち、いち、に)
右足は大きく右に出すのがコツ。打ったあとは足はクロスして歩く。

面に対する応じ技。小手に対する応じ技。
しっかり間合いを取ること。


(稽古終了)


【感想・反省点】

攻め返しがまったく出来ない。
返し胴は意識すると外れる。力み過ぎるからなのか。
応じ技は、ふだん使っていない技をやってみたらまったく出来ない。
出来ないから稽古すべきなのに、出来ないから使わなくなっている。
知っていても使わなければ身につくはずが無い。
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長正館定例剣道稽古(2019年2月13日)

2019年02月14日 | 剣道・剣術
大阪市東住吉区の矢田中学校の体育館で毎週水曜日19時半から。
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【長正館練習生募集中】
初心者、元経験者、有段者を問わず募集中。
レベルに応じて個別指導を行います。
詳しくは長正館ホームページまで。
http://www.doujyo.net/choseikan/
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時間前にS口二段と久々に剣道形稽古。
最終参加は9名、うち七段3名。
終了は21時を少し回ってしまった。


(準備運動と素振り)


(K野三段とH尾二段)


(H井七段とS口二段)


(I口初段とH井七段)


(同じく)


(K野三段とS口二段)


(稽古終了、面取れ~!)


(証書伝達式)


(口頭指導)


【感想・反省点】

稽古の前にI口初段へ、一足一刀とは?攻め入るとは?などなど説明する。
大人になってから剣道を始めたのなら、ただひたすら打ち込むばかりではなく、
稽古の中で、遠間、触刃の間、交刃の間、一足一刀の間を意識して欲しい。

彼とは意識を変えて、あえて剣術的な剣道をしてみた。
やや身体を低くし正眼に構え、撞木足の歩み足で慎重に入って打ち、そして返す。
自分自身がいずれ年を取って(剣道風に)打ち込めなくなったのなら、
習い覚えた一刀流の動きや技を取り入れた独自の剣風を作ってみたい。

稽古のあとに、鍔越えの小手打ちが得意なH尾君に、
「けん制や嫌がらせにはなるが有効打突にはならない」と説明。

木刀で剣術稽古をするとわかるが鍔があると上からの小手は打てない。
竹刀の場合は、竹刀のしなりで当たるが、当たっても剣の理法では無い。

刀の鍔というものは、小さいながら非常に実用的だと思う。
もしこれが無ければ怖くて実戦で戦うことは難しくなるだろう。

剣術諸派の中には鍔無しの木刀や竹刀で稽古する流派もある。
体術としての稽古ならわかるが、日本刀には本来鍔があるのが当たり前である。
鍔があるなら鍔を意識した剣術稽古が当たり前であろうと思うのだがおかしいだろうか。

ちなみに余談だが、日本刀を用いた実戦で、お互いに同時に真正面から斬り込むと、
鍔と鍔とがぶつかってお互いの頭上の上で日本刀は止まってしまう。
剣道の相面的なものは実戦の場では精神的にも物理的にも生じないと思う次第。
となると「一刀流の切り落としはどう遣うの?」という疑問も生まれてくる。
しかしこれは内緒としたい。
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