稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

2004-10-29 ガソリンの匂い

2004年10月29日 | 旅行や街角メモリー
小さい頃は心斎橋筋に面した店の2階に住んでいた。裏は大きな空地になっていて子供達の絶好の遊び場になっていた。普段の出入りは階段を降りた裏の路地を抜け順慶町通りに出ていた。そこから数十メートルも歩くと御堂筋で、子供から見ると本当に広くて大きな通りだった。当時は車の数も少なく、信号があったのかなかったのか、通りを駆けて横断することもしょっちゅうだった。御堂筋に面した土地はビルが立っているか建設中で、少し通りを横に入るとまだまだ空地が目立っていた頃だ。
オートバイが信号待ちで止まっていると「おっちゃん、ガソリン嗅がしてぇ~」と頼み込むことも遊びの一環としてだろうかよくやっていた。頼まれたバイクのおっちゃんは「ええでぇ」とか言いながらタンクのキャップをくるくる回して外し、子供たちは順番に鼻を近づけ「あ~ええ匂いやあ」とガソリンの匂いを堪能したものだった。当時のガソリンは今のものと比べて匂いが良かったのだろうか?何故か子供心に高度成長期を思わせる近代化の香りがしたものだった。西長堀の運河沿いには倉庫が建ち並んでいて人通りも少なく、夕方になると妙に寂しくなって家路を急いだものだった。
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2004-10-28 業績低迷は人災である。

2004年10月28日 | つれづれ
今日は多くを語らず。語る気もしない。

●馬鹿な大将敵より怖い。
●出来なかった事の言い訳に、いかに筋が通っていても、それは「無能」の立証でしかない。弁解上手が何人いても戦力にはならない。

・・・虚しい。
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2004-10-27 長堀の埋め立て

2004年10月27日 | 旅行や街角メモリー
昔の話と言っても私が幼稚園の頃の話だから40数年前の話でしかない。当時夕方6時にもなればほとんどの店は閉まっていて勤め帰りの客を待つ輪タク(自転車で引っ張る人力車)が心斎橋筋に集まっていたものだ。夕食前に2階の窓から務めを終えて帰っていく人々を眺めていた記憶がある。輪タクのことをはっきり憶えているのは店の前が丁度輪タクの乗り場になっていたせいだ。乗り場と言っても暗黙の了解というたぐいだろうが。長堀の北は夜も8時を過ぎると本当に静かな街で人通りも少なかった記憶がある。ちょうどその頃長堀が埋められている最中で夜も工事が続けられていた。工事現場の喧騒の向こうはネオンがまたたき人通りも多かった。長堀を越えたそごう、大丸のある街は大人の街で、子供心に別世界だったことを思い出す。
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2004-10-26 伝票処理

2004年10月26日 | つれづれ
毎日の仕事で腹立たしいことがある。コンピュータの使い方である。営業の担当者がコンピュータに入力するための伝票を電卓で手計算し手書きしているのだ。それをオペレーターが手入力する。人間のすることだから計算の間違いだってたまにある。するとコンピューターは計算ミスを発見し報告する。また振り出しに戻り膨大な作業が繰り返される。

コンピュータは計算するための機械である。大きな記憶装置では無いし人の計算間違いを発見するための機械でもない。人間の代わりに、人間が間違いやすい計算を代わりに行い、たくさんのデータを照合しながら入力されたデータの整合性を追求し、出てきた数値は、人間が新たな仮説を打ち立てるのに役立つためにある。人間の思考の補助をすべき機械のはずだ。機械のために膨大な事務作業が生まれている我社のコンピュータの使い方は大きな無駄であると言えるだろう。きょうは我が部門の棚卸しで朝から伝票書きに追われている。毎回、勝ち誇ったようなエラー発見のアウトプット資料が出るがつまらない話である。何とかならないものかと毎回思う。思うが虚しい。
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2004-10-25 同僚の死

2004年10月25日 | つれづれ
会社の同僚が亡くなった。同い年の働き盛りだ。彼はつい先日まで元気だった。この数日顔を見せないでいたのできっと出張にでも出かけているのかと思っていた。数日前に足の痺れとムクミが原因で入院し心臓発作であっけなく亡くなってしまった。残された奥さんや2人の娘さんの悲しみは大変なものだと思う。部門も違うしそれほど親しくしていたわけではないが同い年ということもあり何だか身につまされる。

おそらく彼も自分が死ぬなんてこれっぽっちも考えていなかったろうと思う。足の痺れやムクミなんて誰しもよくある話だしそんなことが死に至るなんて思いもよらないことだ。今回の長野の地震でも、まさか地震が来るなんて思わなかったろうし、死なれた方もまさか自分が死ぬなんて思いもよらなかったろう。人間誰しもいつしか必ず死ぬものだが、それぞれ死ぬ覚悟が出来ていないにしろ、ある程度の年齢になれば死への覚悟というものは自然に出来てくるものだと思う。しかし今回の彼の例や地震で亡くなった方々は覚悟など思う間もなく亡くなってしまった。死者の魂よ安らかに眠れ。自分自身のことにも思いを重ね、残された家族の幸せを祈らずにはいられない。
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2004-10-23 閉店セール

2004年10月23日 | 旅行や街角メモリー
長堀から心斎橋商店街に北に少し入った左側、薬屋さんの前に「閉店セール中」という店がある。バッグを中心の品揃えで、いかにも間も無く閉店するかのような簡単な商品陳列と間に合わせのPOPを付けている。夕方になると結構店内には客が入っていて繁盛しているようだ。ただこの店の問題は開店当日からずっと「閉店セール中」だってこと。開店してからもう数年になるはずなんだけどね・・・・。
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2004-10-22 台風

2004年10月22日 | 旅行や街角メモリー
今年は台風の当たり年だという。今回の23号も大変な被害を日本国中にもたらした。おかげ様というべきか自分や自分の回り、この南船場にもこれと言った被害はない。身の回りに被害がないと呑気なもので、TVなどでこれでもかっ!というくらいに悲惨な被害状況を見せられたとしても、文字通りの他人事でそれは映画の中の作り事と変わらない。家を流されたという話でも「大変やねえ~」ぐらいのもんである。薄情なようだがそんなもんだろうと思う。他の人もそんな風に思っているもんだろか。
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