稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

写真(2月の猫ども)

2018年02月28日 | うちの猫の写真
確定申告の書類作成のため無茶苦茶に忙しい。
もっとも普段やるべき入力作業をサボっていたせいで文句は言えない。
数字の中でも会計は苦手だ。理数科系の人間は会計に弱いのかも。
いや自分だけか。。。

毎日ブログを書こうとしたわけでは無いのに毎日書いている。
忙しいからと1回サボったらずっとサボりそうな気がするわけだ。
元は怠け者なのだ。なーんにもせずにボ~としていたいものだ。

困った時には猫の写真をUPする。
撮るだけ撮って猫の写真は溜まる一方。
家人には「猫ばかり撮ってどーするの?」と言われている。


(星ちゃん、SONY NEX-C3、f2.8、1/100秒、ISO-1600、35mm焦点距離24mm)


(みーちゃん、SONY NEX-C3、f3.5、1/160秒、ISO-1600、35mm焦点距離24mm)


(月ちゃん、SONY NEX-C3、f2.8、1/60秒、ISO-1600、35mm焦点距離24mm)


(星ちゃん、SONY NEX-C3、f4、1/60秒、ISO-1600、35mm焦点距離24mm)

どうしても懐っこい星ちゃんの写真が多くなる。
それに星ちゃんは愛嬌があって撮っていて楽しい。
星ちゃん、お目目ぱっちりだがほとんど目は見えていない。
見えていないが本人はまったく気にしていない。
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No.5(昭和59年8月27日)剣道は国民の道である

2018年02月27日 | 長井長正範士の遺文


剣道は国民の道であるということ。

天皇陛下が皇位を継承され微証(ちょうしょう)として三種の神器がある。
即ち、八咫鏡(やたのかがみ)・八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのけん)である。

八咫鏡は神の道を表している。天照大神が天岩戸(あまのいわと)に隠れられた時、
石凝姥命(いしこりどめ)が作ったという鏡、天照大神が瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
に授けたものといわれる。
伊勢神宮に天照大神の御魂代(みたましろ)として奉斉(ほうさい)され、
その模造の神鏡は宮中賢所に奉安されている。

八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)は皇室の道を表している。
天岩戸の変に群臣の奉った曲玉(まがたま=勾玉)。宮中に安置してある。
八坂瓊曲玉は、多くの曲玉を一つの長い紐に貫き連ねたものであり、
神代記には「天明玉(あまのあかるたま)の作れる八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)」とある。

草薙剣(くさなぎのけん)は國民の道を表している。
素戔嗚尊(すさのをのみこと)が出雲国(島根県)簸川(ひのかわ)上流で
八岐大蛇(やまたのおろち)を斬った時、その尾から出たという剣。

もと天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と言ったが、
景行天皇(けいこうてんのう)の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折、
この剣で草を薙ぎ払ってから称(よびな)を改め、後、熱田神宮に祀られたという。

この三種の神器は八咫鏡=智(心)
八坂瓊曲玉=仁(気)
草薙剣=勇(力)と教えてある。

この草薙剣が剣の道であり、国民の守らねばならない道である。
善良な国民を守るため、無謀に攻めてくる賊に剣をもって応戦してこれを征伐し、国を安奉にした。
ここに剣道の精神がある。

即ち剣道は先ずこれを愛し守ることから始まり、
家庭を愛し守り、隣人地域社会を愛し守り、郷土を愛し守り、
やがては日本民族愛に目覚め、日本の国を守る道である。

相手が攻撃してくるから、われを守るため、立ち上がり、やむなく打つのが剣道本来の道であって、
相手が攻撃もしてこないのに、われから先に攻撃するのは国民の道に反するのである。

即ち国民の道は実に愛国精神の発露からくるのであって、
剣は愛であるという所以(ゆえん)がここにある。

昔、死中に活を求めるため、命をかけて作り上げた古流の形を日夜命がけで鍛錬自得し、
そのまま真剣勝負に及んだというこの古流の形には、真の剣道の理念が含まれている。

剣道修業のための大切なこと、
「弟子の位の仕太刀が、師の位の打太刀に、自分の調子で先に打って出て勝つ技は少しも教えてない所」
をよくよく自覚し愛国精神漲る(みなぎる)立派な人間になるため、本筋の剣道を修業しなければならない。
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誠先生の剣道教室より「レッパクの気合」

2018年02月26日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
我が師匠の2月23日、facebookの「誠先生の剣道教室」のコピペです。
重要な事なのでそのまま紹介します。

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先日、剣道六段、七段、八段受審の方々の講習会講師を務めさせていただきました。

個々のその日の出来栄えの評価を行っても当日の審査に必ずしも一致するものではありません。

しかし、日頃の稽古ぶりが顕著に現れるのが今回のような模擬審査です。

順番を待つ姿(ここは審査には評価されないとされています)、
入場、礼法、立会いの間合いまでの進み方、蹲踞の姿勢、立ち姿(構え)、発声!!

ここは、この発声までに50%の合否が決定していると言われるくらいに重要な事柄なのです。

この立ち間(遠間〈剣尖が触れない間合い〉)での裂帛の気合いで、
自身の気力を奮い立たせ、相手を恐怖せしめるだけの迫力が、
その後の先の気位・立会いの主導権、打突のスピード、
強度、冴えにつながる事は、周知の事実であります。

しかしながら、この所の慎重さ、気勢、迫力が感じない方々が多いですねー^^;

「レッパク」とは、裂帛と書き、絹の生地を勢い良く裂く様を擬音化したものです。

審査員は、ここで皆さんが審査に臨むこれまでの努力、覚悟を感じ取ります。

そこからは、「出たとこ勝負!」
こう攻めてこう打とうとか、こう来たらこうしようなどと言う1ミリの隙間もありません。

「一閃」(いっせん)、自身と相手の間合いと動きに乗じた閃き(ひらめき)が勝敗を決めるのです。
「乗れば勝ち、反れば負け」なのです。

審査も近づいてきました!

この立会いの間合い「立ち間」を大事にして稽古を工夫してください!
きっと良い稽古ぶり、審査の結果に結びつくはずです(^o^)/

参考になれば幸甚です!


(下の写真は記事には関係ありません)


(2月25日、東大阪吉原公園、SONY-NEX-5、f1.0、1/320秒、ISO-200、マニュアル固定レンズ25mm)
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一刀流の稽古と宝剣会の剣道稽古(2月24日)

2018年02月25日 | 剣道・剣術
午前中の剣道稽古(玄武会)はお休みした。
金曜日は午前様だったのと、何より防具も竹刀も無い。
ゆっくり身支度して出勤したが仕事が押していて焦ってしまった。
遅れた分は明日と明後日に持ち越しとなる。

夕方から一刀流の稽古。
松本指導員主導でけっこう真剣味のある稽古が始まる。
理屈をこねるのは嫌いだが本気度の高い形稽古は好きだ。
切落としに関しては理屈はわかるが自論もある。また別の機会に。


(人数は少ないが内容の濃い良い稽古だった、形稽古は本数では無い!)


(中野中学校格技場に貼ってある少林寺拳法のポスター、良く見たら弟子に似た娘が写っていた)


(自宅療養中の吉田さんが数か月ぶりに見えられた・・・生きていたんだ! 嬉しい嬉しい!)

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夜は生駒で宝剣会の稽古。ここでは私は一番若手。
少人数だが難剣強剣捌き上手揃いで非常に勉強になる。
参加人数が奇数だと少し楽になるのと撮影時間が出来て少し嬉しい。


(全員集まっても6人という小さな稽古会だがレベルが高くて良い稽古が出来る)


(N五段とO四段、O四段は病み上がりでいつもの粘っこさが出なかった)


(A七段と石丸師範、石丸師範は近間の攻防が得意で私の腕ではまるで歯が立たない)


(稽古後の自撮り)
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養正会、田坂覚先生を偲んで(2月23日)

2018年02月24日 | 剣道・剣術
なんば養正会(旧養正会)の前々会長は故 田坂覚教士七段だった。
2015年10月に75歳で亡くなられたと聞く。
癌を患っておられたらしいが詳しいことはわからない。

田坂先生の剣風は守りが固い。どう打ち込んでも竹刀を垂直に立てて防がれる。
小手も面も空いているように思うのだが決して打ち込むことが出来ない。
どう攻めて良いのか迷った瞬間に腰からのドカンと打ち込む面が炸裂するのだ。
足腰も腕っぷしも強く、真っ直ぐ打ち込む面も小手も強烈だ。
寡黙だが、ちょっとお茶目なところもある古武士のような先生であった。

元養正会会員のK本さんの呼びかけで、
田坂先生を偲び、お世話になった有志で飲みに行こうという話になった。
稽古後に近くの居酒屋に集合し、田坂先生の御写真を前に献杯し思い出話に花が咲いた。


(2005年12月の養正会の忘年会にて、田坂覚会長の挨拶)


(2007年、第103回剣道大会にて)


(2007年、第103回剣道大会にて、K本さん撮影)


(2008年6月の養正会有志での川上村合宿での剣道形稽古、右が田坂覚先生)


(2009年6月の養正会有志での川上村合宿での集合写真、前列左から2番目が田坂覚先生)

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以下は23日の養正会の稽古風景。


(初心者を指導するT六段)


(基本稽古における面打ち)


(T七段と太田欣之八段)


(自由稽古は段位に関係なく、それぞれが自分の課題を稽古し修練する場である)





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「大和心を語るねずさんのひとりごと」より「マッカーサーを心服させた昭和天皇」

2018年02月23日 | 政治や歴史など
昨夜はのっぴきならぬ用事のため木曜会の稽古を休んだ。
1回休んだだけで数ヶ月も遅れたかのようにも感じる。残念。

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今回も「ねずさんのひとりごと」に感銘を受けたので紹介します。
改行の位置、数字の全角を半角に変更しています。(粕井)

大和心を語るねずさんのひとりごと
「マッカーサーを心服させた昭和天皇」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2265.html

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昭和20年9月27日のことです。
陛下が一人の通訳だけを連れて、マッカーサーのもとを訪れました。
「ついに天皇をつかまえるべき時が来た」
事前に連絡を受けていたマッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じました。

すでにこの時点で、陛下をどのようにするのか、GHQの中でも議論が交わされていました。
方針は大きく分けて3つありました。
1 東京裁判に引き出して絞首刑に処する。
2 日本共産党をおだてあげ、人民裁判の名のもとに血祭りにあげる。
3 支那に亡命させて秘密裏に殺害する。
いずれにしても、陛下を亡きものにすることが決められていたのです。

マッカーサーは、陛下が命乞いに来られるのだと思いました。
ですから彼は、傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえ、
ソファーから立とうともしませんでした。



このマドロスパイプを咥えたマッカーサーの姿は、
彼が日本に降り立ったときの姿としても有名なものです。
当時の米国は、トウモロコシが主たる産物でした。
これが小麦にとってかわるのは、日本占領後、日本の農林10号(小麦)が米国に渡ってからのことです。
ですので、当時、トウモロコシでできたマドロスパイプ(コーンパイプ)は、米国の象徴でした。

パイプタバコをやったことがある方ならおわかりいただけると思いますが、
マドロスパイプのような柄の長いパイプは、長時間は咥えていれません。
口からヨダレがタラタラと流れてしまうからです。
ですからマッカーサーがマドロスパイプを咥えるということは、
米国のトウモロコシが日本を制圧したことの象徴であり、
彼独特の先勝を誇示したポーズでもあったわけです。

椅子に座って背もたれに体を預け、足を組み、マドロスパイプを咥えた姿は、
ですから陛下をあからさまに見下した態度であったわけです。

そのマッカーサーに対し、陛下は直立不動の姿勢をとられ、
国際儀礼としてのご挨拶をしっかりとなさったうえで、このようにおっしゃられました。

「日本国天皇はこの私であります。
 戦争に関する一切の責任はこの私にあります。
 私の命においてすべてが行なわれました限り、
 日本にはただ一人の戦犯もおりません。
 絞首刑はもちろんのこと、
 いかなる極刑に処されても、
 いつでも応ずるだけの覚悟があります」

弱ったのは通訳でした。
その通り訳していいのか?
けれど陛下は続けられました。
                                  
「しかしながら、罪なき8000万の国民が住むに家なく、
 着るに衣なく、食べるに食なき姿において、
 まさに深憂に耐えんものがあります。
 温かき閣下のご配慮を持ちまして、
 国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」

マッカーサーは驚きました。
世界中、どこの国の君主でも、自分が助かりたいがために、
平気で国民を見捨てて命乞いをし、その国から逃げてしまうのが、いわば常識なのです。
ところが陛下は、やれ軍閥が悪い、やれ財閥が悪いという当時のご時勢下にあって、
「一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても」
と淡々として申されたのです。

マッカーサーは、咥えていたマドロスパイプを、机に置きました。
そして椅子から立ち上がりました。
そして陛下に近づくと、今度は陛下を抱くようにして座らせました。
部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と命じました。

マッカーサーは今度はまるで一臣下のように掛けていただいた陛下の前に立ち、
そこで直立不動の姿勢をとりました。

「天皇とはこのようなものでありましたか!
 天皇とはこのようなものでありましたか!」
彼は、二度、この言葉を繰り返したそうです。

そして、

「私も、日本人に生まれたかったです。
 陛下、ご不自由でございましょう。
 私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」と言いました。

陛下も、立ち上がられました。
そして涙をポロポロと流しながら、
「命をかけて、閣下のお袖にすがっております。
 この私に何の望みがありましょうか。
 重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と申されたのです。

そののちマッカーサーは、陛下を玄関まで伴い、
自分の手で車の扉を開け、陛下をお見送りしました。
そして、あわてて階段を駆け上がると、
これまでのGHQの方針を180度変更するあらたな命令を下しています。

このことがあったあと、マッカーサーは、
「陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた」と言ったそうです。

「ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね。
旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。
ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男ということを日本人に知らしめてやる必要がある。
神さまじゃなくて人間だ、ということをね。それが生きた民主主義の教育というものだよ」
  
昭和21年2月、昭和天皇が全国御巡幸を始められた時、
占領軍総司令部の高官たちの間では、こんな会話が交わされていたそうです。
ところがその結果は高官達の期待を裏切るものでした。

昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られました。
行程は3万3千キロ、総日数165日です。
各地で数万の群衆にもみくちゃにされたけれど、石一つ投げられたことはなかったのです。

英国の新聞は次のように驚きを述べました。
「日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。
各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。
何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。」

イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、長男が即位したが、
わずか1ヶ月で廃位に追い込まれています。
それに対して、日本の国民は、まだ現人神という神話を信じているのだろうか?
欧米人の常識では理解できないことが起こっていたのです。

以下のことは、先日の日本史検定講座で高森明勅先生に教えていただいたのですが、
フランスに、世界を代表する歴史学者のマルク・ブロックという人がいます。
そのマルク・ブロックが、ヨーロッパの歴史を書いた『封建社会』(みすず書房刊)
という本があるのですが、その本の中で彼は、

「西ヨーロッパは、他の世界中の地域と違ってゲルマン民族の大移動以降、
内部で争うことはあっても、よそから制圧されて文化や社会が断絶するようなことがなかった。
それによって内部の順調な発展があった。
我々が日本以外のほとんどのいかなる地域とも共有することのない、
この異例の特権を、言葉の正確な意味におけるヨーロッパ文明の基本的な要素のひとつだったと
考えても決して不当ではない。」と書いています。

西ヨーロッパでは、歴史が断絶しなかったからこそ、中世の文化を継承し、
世界を征服するだけの国力をつけ、18世紀後半以降の市民革命を実現し、
近代化を実現することができたのです。
そしてそのことは、「我々が日本以外のほとんどのいかなる地域とも
共有することのない異例の特権」と、マルク・ブロックは書いているわけです。

ここに書かれたゲルマン民族の大移動というのは、4世紀から5世紀にかけて起きた事件です。
そしてこの大移動をもって、西ヨーロッパの古代の歴史は断絶し、
まったく別な中世へと向かうわけです。

ところが日本では、4世紀から5世紀といえば、大和朝廷の発展期です。
そしてその大和朝廷は、弥生時代に倭国を築いた朝廷が、
そのまま大和地方に本拠を移したものに他なりません。

その弥生時代が縄文時代の延長線上にあり、弥生人は決して渡来人などではなく、
縄文時代からずっと日本に住み続けた同じ日本人であることは、先日書かせていただきました。
その弥生時代が、まさに卑弥呼の登場する時代です。
そしてその倭国が東上しながら古墳時代をつくり、
そして奈良県の大和盆地に都を構えて、これが大和時代です。

その大和朝廷が第三回の遣隋使のときに、
「東の天皇、つつしみて西の皇帝にもうす」と書いた国書を持参しました。
これが日本が対外的に「天皇」を名乗った最初の出来事です。西暦608年の出来事です。

そしてその大和朝廷が「日本」を名乗ったのが689年です。
つまり、「天皇の御存在」は、「日本という国号」よりも「古い」のです。

そして万世一系、昭和天皇は第124代の天皇です。
ご在位は、歴代天皇の中でも最長です。

昭和天皇のお名前は「裕仁(ひろひと)」です。
明治天皇がお付けになられたお名前です。
「裕」は、易経の「益徳之裕也」、詩経の「此令兄弟綽々有裕」、書経の「好問即裕自用即小」、
礼記の「寛裕者仁之作也」からとられたのだそうです。

その意味は、「広く大きな心で国を治め、人類の幸福に尽くすように」です。
そしてまさに、昭和恐慌から支那事変、先の大戦、戦後の復興、東京オリンピック、
そして高度成長と、激動の時代を生きられたのが、昭和天皇です。

その昭和天皇のご辞世を、せんだってご紹介しました。

 やすらけき 世を祈りしも いまだならず 
 くやしくもあるか きざしみゆれど

この御製は、昭和63年8月15日に陛下が全国戦没者遺族に御下賜遊ばされたものです。
これが陛下の御辞世となりました。

「安らかな世をずっと祈り続けたけれど、それはいまだなっていない。
そのことが悔しい。きざしはみえているけれど、そこに手が届かない」
という意味だと拝します。

昭和天皇は、お亡くなりになる直前に、「悔しい」と詠まれておいでなのです。

どこまでも国民のためを思うご生涯を遂げられた昭和天皇の思いに、
わたしたちは日本国民として、ちゃんと答えているのでしょうか。
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昨夜(2月21日)の稽古(長正館矢田中稽古)

2018年02月22日 | 剣道・剣術
昨夜の長正館の水曜稽古。
日中は暖かだったのだが夜は風が強くけっこう寒い。
矢田中学校体育館にて19時半から。
井上館長は口頭指導のみ。
最初は4人、最終5人。

人数は少ないがそれなりに良い稽古が出来る。
稽古は人数が多ければ良いというものでは無い。
大切なのは縁を切らない稽古、自分から仕掛けていく稽古だ。

最近は稽古の合間に写真を多く撮るようにしている。
百聞は一見にしかず。瞬間の姿から反省し見直そうというわけだ。


写真1(井上勝由先生は肩を痛めておられるが毎回来られて口答指導されている)


写真2(左、Ⅰ剣士の打ちはかなり柔らかくなってきた、審査を控え、小さく面を打てるように)


写真3(F六段と弟子の出小手の稽古、打ったあとの捌きと残心を反復練習する)


写真4(弟子の面打ちは、面が得意のF六段と相面になっても打ち負けないほど上達してきた)


写真5(以前は横から打つこともあったが、後ろから見ると真っ直ぐ打ち込んでいるのがわかる)


写真6(K五段とF六段、K五段は、攻め溜めが不充分で、右足の出し方も課題が多い)

写真6の課題。
攻めが不充分なので相手が攻めを感じない。攻めが効かないので溜めも無い。
結局、適当に間合いに入って打ちに出るが、足はそのまま右手主動で振り上げてしまう。
極端な右手打ちとなり足が付いてこないので打ちの冴えも出ない。


写真7(K五段は、相面になった時に打ち負けないという思いか強く、右手に力が入り過ぎてしまう)


写真8(アップで見ても、竹刀の柄を親指の付け根だけで左下方向に押してしまうクセが抜けていない)


写真9(切り返しの際、大きく振り上げているつもりだが「左拳がおでこ」ではなく「右拳がおでこ」だ)


写真10(弟子の面打ち、思い切った良い打ちが出せるようになった)


写真11(打って、すれ違う際に、相手を視線で追っている、これが師匠の言う「肩残心」でこのまま振り返って構える)


写真12(I剣士の切り返し、右足先を滑らすように前に出すべきなのに、右膝だけが先行してしまっている)

右足の踏み出し方は本当に難しい。
右足を前方に投げ出すように前に出て右足踵から着地するパターン。
右足を膝と一緒に高く上げて強く踏み込むパターン。

これらを矯正するために「右膝を前に出すようにして」と言う指導者もいる。
しかし右膝ばかり意識すると上の写真12のように足先が遅れてしまう。

実際には右足のつま先から床を滑らすように前に出す。
初動で足先が先行する場合と膝が先行する場合があるが、
いずれにしろ足先から滑らすように前に出す。

床すれすれで右足が移動して行って、
身体が倒れこむモーメントを打ち消すように床をトンと踏む。

その時に右膝が伸び切らないように右膝を意識するが、右膝だけが前に出るわけでは無い。
つまり右膝が伸びきっている者に「右膝を前に出すようにして」と言っているのである。

あくまでも「右足を滑らすように前に出す」ことが大切なことであって、
それを無くして右膝だけ出すと、出した右足が戻るような打ち方になってしまう。
これは「戻り足」といって姿勢が前後に崩れる悪いフォームなのだ。

上の写真2と写真4の右側が「右膝が出ている」写真。
出ているといってもこの程度なのだ。決して右膝だけが出ているのでは無い。

上の写真6と写真7の左側が「右膝が出ていない」写真。
打突の前後の瞬間は右膝が出て脛が垂直となった状態で着地するのが良い。

文章で説明するのは難しい。ああもどかしい。
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昇段審査当日の過ごし方について

2018年02月21日 | 剣道・剣術
フェイスブックでのある方の投稿記事より拝借。

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【質問】昇段審査当日、ウォーミングアップした後、
本番までの間はどのようにコンディションを維持してますか?
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という書き込みに対して様々な意見が投稿された。
(書かれた方の段位は明らかではありません)

【答え】

1)自分は、体が固く成らないように素振やストレッチをして後は、5分ぐらい瞑想します。

2)アップしても、そないに変わりませんよ~

3)私もアップはしませんね。大きく深呼吸を数回する程度です

4)僕は、アップはやらずに軽く竹刀を降ったりストレッチするくらいです。
アップで調子悪かったりすると、その悪いイメージを試合に引きずってしまいそう。

5)準備運動とストレッチくらいかなぁ。あとはジャージを着込んでウロウロするくらい。

6)ある八段の先生がおっしゃっていたのですが、
審査会場でお喋りは必要ない、集中しなさい、との事でした。
私は七段の時は、京都審査だったので、サブ道場で軽くアップした後は、
最後はイメージトレーニングで集中しました。

7)私が審査を受けた会場は、アップ出来る会場では無かったので、
受付後自分自身の力を本番で出せる様ギリギリ迄誰とも話さず黙想しておりました。

8)審査は、一度もアップしてません。

9)六段も七段もアップはしませんでした。軽い準備運動だけです。

10)アップする、しない と、アップできる、できない とは別のお話。
狭くて面も付けれない会場で どうやって身体をほぐすか、
開場から受付、審査まで、時間が無い時はどうするか、いろんなパターンを 考えて!

11)リラックスして集中するように。普段の稽古で実力をつけて落ち着いて臨んでくださいね!

12)動けるスペースで足捌きをイメージしながら足に集中させました。
あと、両隣りのお相手とは軽く会釈して会話はしない方がいいです。

13)アップしたら落ちました。

14)私は普段の状態と何も変わらず、人と出会えば話もするし、
腹が減れば食べるし、稽古前と同じように軽いストレッチと素振り数本。
審査だから…という特別な感覚は無く、いつもやってることを、いつものように。
審査とて剣道人生の通過点ととらえ、稽古の成果を発表する場と思ってます。
合格なら、やってきた事は間違いではない。
不合格であれば、直すべきところがある。
いずれにせよ、またその瞬間から次の険しい道が待ってるんだから、という感覚です。
腹から下は力が漲り、上半身は柔らかく、頭と気持ちは・・・
今から審査をして頂ける、稽古を見て頂ける事に感謝で溢れさせる。
先祖先人、師匠剣兄、ありがとうございます。
これだけで、実力の無い私は良い結果を頂きました。
健康第一、楽しく嬉しく剣道を続け、いつまでも竹刀を握っていられるように、
今回の通過点も納得いくように取り組まれることを願って応援してます。

15)僕も軽くストレッチ+素振りぐらいです。
後は緊張をほぐすために、喋ったり、フェイスブックしたりです。

16)私もしなかったです。素振り5本くらい。

17)私も特別なことはしないです。
普段の稽古の時から、試合に向けてならしっかり試合のつもりで、
強気で集中してやりますし、審査なら審査に向けて普段の稽古のうちから、
身体が崩れないよう意識して正しく集中します。
ただ当日に、全くアップなしの出たとこ勝負は、逆に危ないと思います。
県警や刑務官のトップクラスは試合始まる前とか、審査始まる前は相当やりますからね。
人それぞれなので、自分に合う方法で良いかと思います。

18)アップはしますね(笑)身体を起こして少しでも動けるように臨みます。あとは確認と観戦。

19)アップしません。だって、アップしちゃうと、自分自身がアップアップしちゃって。
アップに力が入っちゃって、内臓飛び出ちゃうんですもん。

20)私も素振りと呼吸法で心を落ち着かせていますがダメでした。

21)基本的にウォーミングアップはしませんが、チームでやるときはやります。

22)基本的に、軽くストレッチして終わりです。

23)私は準備運動と素振り多目にがベストです。

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私は六段審査も七段審査も合格したときは何もしなかった。
七段審査の時は、トイレに行ったあと、缶コーヒーを買って、
ゆっくり飲んでから着替え、いつもの準備運動して軽く素振り10本のみ。
あとは普通に観戦しながら、たま~に呼吸法してました。

【呼吸法】(師匠から教わったものですが時間は自己流かも)
ゆっくり全部口から吐いて(15~30秒)、いったん止めて(2秒)、
ゆっくり鼻から吸って(10秒ぐらい)、いったん止めて(2秒)の繰り返し。

普段から、切り返しや打ち込みしないと調子が出ない人は逆に大変だと思う。
審査前は、切り返しも何もせず、いきなり立ち合い稽古に入るほうが良いと思う。
ダラダラした稽古はしない。短く、激しく、堂々と・・・

ま、それぞれ自分が一番納得する方法を考えてください。

(写真は記事に関係ありません)


(今朝の月ちゃん、SONY-WX350にて撮影、f3.5、1/125、ISO-1600秒、モノクロ強調加工)
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【PR】なんば養正会(大阪府立体育会館)

2018年02月20日 | 剣道・剣術
さきほどフェイスブックで紹介した内容です。
少し書き加えてここでもPRさせて下さい。

【PR】なんば養正会
大阪は難波の大阪府立体育会館の養正会(なんば養正会)は私の元のホーム道場です。
勤務先に近いし防具や竹刀が置けるので10年以上前は頻繁に稽古に行きました。
今は遠くなったので稽古数は少なくなりましたが月に数回は行くようにしています。

昨夜(2月19日)の稽古のあとで「先生、もっと養正会のPRして下さいよ~!」と
可愛い女性剣士に頼まれましたのでここにPRさせてもらいます。(笑)

養正会はどなたでも気軽に稽古に参加出来ます。
非会員は500円の参加費が必要ですが会場の借り賃がかなり高いのでご了承下さい。
冷暖房完備、シャワー付きです。防具や竹刀も置けます。
駐車場は私は難波の某大手家電店が平日料金が安いのでそこを利用していますが、
難波駅から近いので電車のほうが便利でしょう。

稽古は準備運動、基本稽古から始まり、回り稽古、そして自由稽古となります。
終了後は整理体操、そのあとは時間まで稽古したり形稽古するのも自由です。
疲れたら休んでも結構ですし、体力や実力に応じて稽古出来る魅力があります。
初心者や見学者にも親切に対応します。
稽古日や時間など、詳しくは、フェイスブックサイトと、専用サイトをご参考にして下さい。
ぜひ、よろしければ稽古に来て、よろしければ会員になっていただければ幸いです。

養正会のフェイスブック
https://www.facebook.com/yoseikai/

養正会のホームページ
http://doujyou.net/youseikai/


(準備運動のあとは基本打ち稽古と回り稽古がある)


(O五段とN六段、N六段は長正館から移籍した)


(見学者や初心者にも親切丁寧に相談に乗り指導にも力を入れている)


(回り稽古では、いつもは稽古しない者と当たるのが新鮮で面白い)


(自由稽古だから互角稽古も指導稽古も基本打ちも何でもござれ)


(六段同士の激しい稽古)


(五段に掛かる初段)


(以前に使った写真だがK五段、もう20年数年も六段に挑戦中し続けている)


(終ったあとは整理体操を必ず行う)


(黙想の時間、礼式は武道専門学校に習うと聞いた)


(昨夜はK本君の初段授与があった)


(「粕井さん、ホームページの写真入れ替えてや」と言われて取った写真、T先輩の良い顔)


(これも以前に使った写真だが、稽古終了後に居残って形稽古をしている図)


(帰りは深江橋でギョウザを買って自宅でビールで楽しんだ)
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長正館月例稽古(2月18日)

2018年02月19日 | 剣道・剣術
月2回、第1と第3日曜日は、湯里小学校の体育館で長正館の月例稽古だ。
(3月と4月の第1日曜は学校行事のため中止)

バレーボールの試合があって17時半から刃引の形を開始。
剣道をやっている者ばかりなので、構え、姿勢を意識させる。
表の摺り、裏の摺り、摺り込み、摺り上げ、後へ三本の浮木、
裏切り、拳の払い、先へ二本の浮木、後へ一本先へ二本の浮木、表の払い、裏の払い。
以前から摺込と摺上の違いが小さく不明瞭だったので今回より大きい動作に変えた。
技はゆっくり大きく確実に使って覚えるべきだ。
これはⅠ剣士から借りている「空手仙人 岸信行 / 東邦出版」にも書いてある。

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例えば習字で漢字を書く稽古をする。最初は大きく正確に書く。
そこから正確さを保って小さくしていく。それが基本。
最初から小さく書いてしまうと、出鱈目に書いても正確に書いているように見える。
だけどこれをレンズで拡大して見ると不正確だし汚い場合が多い。
逆に大きく正確に書いているものは例えばどこまで縮小コピーをかけたとしても正確だよね。
その正確さが技で言う「筋」ということ。
まるで精力をつけるための稽古かのように
素早く沢山の回数をこなす練習というのは技の筋が決まってからの話。
この筋が出来ていなくてやるのは空手を正しく出来ない原因になる。
挙句の果てに「基本と実戦は違う」とか言い出しかねない理由になる。(135頁)
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私が六段を頂いて少し有頂天になっていた頃に師匠に出会った。
師匠の道場に行くと、摺りかぶりという単調でゆっくりとした素振りと、
極めてゆっくり打つ一挙動の面打ちばかりを延々とやらされた。
正直、退屈な稽古だったが、しかしこれが本当に難しく、
自分の剣道の基礎がまったく出来ていないことを痛感したのだ。
この下地が無ければ七段合格も無かっただろう。

だから月例稽古での一刀流は、今後、ゆっくり大きく正しく技は遣う。
そして技量に応じて小さく速くしていくつもりだ。
一刀流の稽古は6人。(写真は無し)

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18時半から剣道稽古。
少しだけ審査用の注意事項を説明する。
あとは自由稽古。19時半終了の予定が19時40分で終了した。
人数は10名で少ないが熱気がすごい。良い汗をかいた。


(弟子と出稽古F六段、弟子の面は日々よくなってきている)


(K君とK五段、K君は左足の撞木足と足が残るクセが直れば良いのになあ)


(リハビリK五段とF六段、K五段の構えは悪くは無いが、もう少し肩甲骨を狭めて貫禄を出して欲しい)


(K五段とリハビリK五段の立ち合い稽古、リハビリK五段はスタミナが不足気味だ)


(N六段に掛かるI剣士、この瞬間、N六段の右面が空いているのに対処出来たら四段か五段だ)


(出稽古F六段と出稽古M二段、M二段は3月に三段受審の予定)
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往馬玄武会の剣道稽古と一刀流の稽古(2月17日)

2018年02月18日 | 剣道・剣術
往馬玄武会は、元々は奈良尚武館の飲み仲間で集まった雲耀館(うんようかん)が母体で、
気楽に参加出来る剣道同好会的な稽古会である。年に5~6回お邪魔している。
生駒市武道館で毎週土曜日の午前9時半~11時頃まで。

7日に痛めた肘はヒビがあるのか異常に痛む。
一刀流稽古で使っているローラーボール用の防具を着ける。これで安心。

往馬玄武会の剣士は素直な剣風の方が多く攻め溜めの良い稽古が出来る。
難剣の方もおられるが、それはそれで古流剣術の稽古のようで面白い。
歩み足で、巻き、摺り、落とし、合撃(がっし)、突き、引き技など自由に使ってみる。
剣道から少し離れてお互いに自由な剣風で戦ってみるわけだ。
一度不用意に間合いに入ってしまい、見事な小手の撫で斬りを喰らってしまった。
実を言うと、このような剣術的自由稽古も好きである。
もちろん審査向きでは無い。お勧めはしない。


(ローラーボール用の防具、これで何回、肘を折らずに済んだことか・・・)


(往馬玄武会は基本の基本打ち?をしっかりやる)


(N四段とK初段、K初段はベテラン剣士だが審査を受けない主義だ)


(T六段とN四段、N四段は色を見せない遠間からの面打ちと出小手が得意)


(T六段とA七段、A七段は素直で真っ直ぐな剣風を貫き通している)

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夕方17時から大阪市東住吉区の中野中学校武道場で一刀流の稽古。
いつもは途中で抜け出して生駒に戻って宝剣会の剣道稽古だが、
第三土曜日だけは一刀流の稽古に専念する。いずれにしろ二部錬三部錬はきつい。


(技名表を貼ってみた・・・面倒なので今回だけになるかも)


(仕方K先輩と打方JM氏)


(仕方I剣士と打方K剣士)


(仕方M女史と打方JM氏)


(架九品の構え、このあと素振り300本)
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No.4(昭和59年8月4日)刀と刃は違う

2018年02月17日 | 長井長正範士の遺文
刀(かたな)と刃(やいば)とは違うということ

刀が鞘の中に納まっているその鞘ぐち全体を刀という。
刀を抜けば刃となり剣の威力となって斬る観念が生まれる。
「抜けば玉散る氷の刃」となる。
即ち剣道はあくまで刀を抜いて互いに生死をかけて修業する道である。

古歌に「焼き太刀を鞘に納めて丈夫の心ますます長閑(のどか)なりけり」とある。
鍛錬した太刀を抜いて争わないで鞘に納めて和をもって円満に解決する。

ますらをの心境はますますのどかである・・
という意味で、これが刀の道(刀道)である。

剣道は刀道ではなく、あくまで抜き合わした剣の中に死中に活を求める
人間本来の道を求める修業である。
従って竹刀は刀でなく剣であり、斬れる刃である限り、
今の剣道のように、生死の間合で攻め合いしたり、
叩き合いしたりするのは本筋の剣道でははなく「しない競技」である。

このように剣という意味が非常に深い。
剣客、剣士、剣法、剣先、剣術、撃剣、剣舞、真剣、剣幕(えらいけんまく・・・)、
剣を売り牛を買う(戦争を止め農業に転ず=漢書)のように、
剣をつかった、これらの名詞には夫々(それぞれ)深い精神が含まれているのである。

ひとくちメモ
刀の下緒はなぜ片いっぽうを長くして(三寸長くした)おかなければならないか?
それはいざという時、すばやく長い方を引っぱって襷(たすき)にかける為。武士の心得なり。


(長井範士の竹胴、現在は長正館のI剣士が使っている)
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昇段審査で大切な事(2月15日の木曜会稽古)

2018年02月16日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
今年6回目の木曜会稽古。
20時から21時過ぎまで。全員で30名ほど。
四條畷の市民活動センター体育館。
先週より少しはマシだけど寒い寒い。
本日は昇段審査に向けての稽古中心。

師匠のお話。

審査で大切なことは、気迫、気勢、やる気、必死さ、
それをどう見てもらうのかが重要である。
自分の力量は限られている。
その限られた力量をすべて発揮できるには、
発声であり、残心であり、身構え、気構えである。
立会い、打突時の発声、残心における間合いの取り方を特に意識すべきである。

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稽古の内容はほぼ先週と同じなので特筆すべき内容のみ記す。

1)面を着けずに素振り
右手ずらせて上下素振り。右手ずらせて水平付近までの素振り。
左手は大きく頭上まで振り上げる。足は大きくつま先を出す。
右足が遅れないように。右足と左手が糸で繋がっているように。
身体が前かがみにならないように。反り返るぐらいに。
前傾で構える人は竹刀を当てるのが早いかも知れないが打突の強度と冴えが出ない。
これは腕の稼動範囲が小さいからである。手首が強ければそれで良いというものでもない。

普通の素振り。(空間打突、ゆっくり振り上げて素早く打つ)
打突は左手だけで成立するものではなく最後は右手で打つものだ。
しかし最初から右手だけでも駄目で、左手の運動の中に右手で打つ動作が加わって、
打突の強度と冴えが生まれるのである。

2)面を着けて基本稽古
遠間蝕刃での発声が大事。
入る時は柔らかく目線が下がらないように入る。力で入らない。
基本稽古でも実戦のつもりで。
入ったからすぐ打つのではなく、入って止まって(溜めて)、素早く打つ。
肩残心で振り向いて構え3本打ち終わるまで気を抜かない。
中心を取って入ろうとすると中心を取らせてくれない。
構えたそのままの形で一足一刀の間に入る。
そして五せいがん(眉間、左目、顔の中心、咽喉、臍)を攻めて打つ。
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せいがん(五つのせいがん)について【備忘録】
正眼=喉
青正眼=左目、「あおせいがん」
晴正眼=眼と眼の中心、「はれせいがん」
星正眼=額の真ん中、「ほしせいがん」
臍正眼=臍、「へそせいがん」
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間合いについて(審査員から見た印象の違い)

竹刀の先が交わった状態で気合を出し技を出すのと、
遠間蝕刃の間で気合を出し、慎重に間合いに入って技を出すのとでは、
審査員から見た印象がまったく違う。緊張感が違う。
竹刀が交差した状態で気合を出しても(見た目の)緊張感は無い。
これを意識しながら稽古すべきである。

3)小手に対する応じ技の稽古
遠間から蝕刃、そして一足一刀の間に入る。
一足一刀の間にスッと入ると相手は小手を打ってくることが多い。
小手に対する技(表擦り上げ面、裏擦り上げ面、相小手面)は重要。
擦り上げは手の平、手の甲で受けて摺って伸ばして打つ。横に払うのでは無い。

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終了後に師匠に質問。
「肩残心で振り返った時に相手の面が空いていたら引き面を打っても良いか?」
師匠曰く「武士の情け、打つのは見苦しい」なるほどなるほど。


(稽古前の風景1)


(稽古前の風景2)


【感想と反省】

基本稽古でも実戦を意識すると緊張感がまったく違うのものである。
小手に対する擦り上げ技がうまく行かない。
昨夜より柄を短くしたのでそのせいかも知れない。
柄は短めか長めかどちらが良いかまだわからない。
もう少し慣れれば短めのほうが良いような気がする。
地稽古では習った技ではなく思わず得意な技が出てしまう。これでは稽古にならない。反省。
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昨夜(2月14日)の稽古(長正館矢田中稽古)

2018年02月15日 | 剣道・剣術
昨夜は長正館の水曜稽古。
さほど寒くは無い。
矢田中学校体育館にて19時半から。
井上館長は口頭指導のみ。
最初は4人、最終6人。

参加人数が少ないので同じ者と数回稽古した。
同じ人には自分自身か相手の課題を変えて稽古してみる。
これはこれで良い稽古になるのだ。


(K五段とI剣士、K五段は右足を蹴るように出すクセが直らない)


(I剣士の打ち込み、良くなってきたが手首を使った冴えのある打ちが欲しい)


(しかしながら構えた時にはそれなりの貫禄がある)


(伸びのある弟子の面、弟子の右足は上がらなくなってきた)


(K君の気迫はすごい、将来は伸びると思う)


(I剣士とK君、K君の動きは奇抜な動きが時々あって撮影的には面白い)


(F六段は遠間からの面が得意、返し胴を憶えるまでは苦しめられたものだ)


(F六段と弟子の小手の応酬、見ていても縁の切れない良い稽古だ)


(弟子の面、下から真っ直ぐ打ち込む面は背の高い者にも有効だ)


(頂いたチョコ3種と清酒「翁鶴」、ついつい飲み過ぎてしまって零時を越えてしまった)
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剣道キーホルダー

2018年02月14日 | 剣道・剣術
昨夜は養正会(なんば養正会)に行こうと思っていたが、
仕事に打ち込んでいたら行く時間を逸してしまった。
道が空いていたら何とか間に合う時間だったのだが、
阪神高速13号東大阪線は毎晩のように渋滞なので行く気がしない。

で、残っていた仕事を仕上げることにした。
剣道キーホルダー11個の製作だ。

剣道のキーホルダーは、もう10年以上も前から作っていて、
とんぼ堂は、この手の物では一番老舗(しにせ)かも知れない。
しかし昨今は安価なものも出回っていて売れなくなった。
うちのは私が一からデザインした愛着ある商品だ。
デザインはお客様と何回も打ち合わせて作り上げていくのが原則だ。
手間もかかるし安くはしない。価値ある逸品と思っている。


(神奈川県伊勢原市の山桜剣道クラブさんのご注文品)


(ついでに、わが長正館の子供達のも作ってあげた)
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