唯物論者

唯物論の再構築

補足5:貸付資本

2010-11-16 19:26:13 | 資本論の見直し
利子産み資本の利潤もまた剰余価値である

 既に流通費のカテゴリーでも示したが、利子産み資本の利潤は、利子産み資本自体の剰余価値である。そのことは、利子産み資本の代表者である金融資本であっても変わらない。したがってマルクスが描いたような、商品生産時に産業資本労働者が産み出した剰余価値を、産業資本と商人資本と金融資本の三者が、企業者利潤と流通費と利子として折半する資本主義像は、錯覚である。利子産み資本の利潤は、産業資本の利潤が産業資本のもとにある労働力から搾取した剰余価値であったように、利子産み資本のもとにある労働力から搾取した剰余価値でしかない。利子産み資本と産業資本の違いは、剰余価値を商品の譲渡において実現するか、賃貸において実現するかの違いだけである。
 産業資本は、見たところ新しく産み出した商品において剰余価値を実現する。商人資本は、空間移動した商品において剰余価値を実現する。同様に利子産み資本も、使用時間を限定した商品において剰余価値を実現する。つまり利子産み資本は、貸し付けた貨幣において剰余価値を実現する。利子産み資本を代表する 金融資本において、剰余価値の実現方法は金利や配当であったり、手形の販売や決済代行であったりする。それは一見すると、賃貸において剰余価値を実現しているように見えないかもしれない。しかし金利収入という形であろうと決済代行手数料という形であろうと、その内実にたいした違いは無い。 そこには、貨幣を借りた相手と貨幣を返してくる相手が違う人間、という程度の違いがあるだけである。そしてそのような違いは金融資本にとっても、どうでも良い話である。要は調達した貨幣を融通して剰余価値を得る貸付資本が、金融資本だと言うことである。もちろん貸し付ける商品を貨幣に限定する必要も無い。 いかなる物品の貸付でも、剰余価値の実現が可能である。したがって以下では、利子産み資本に限定せず、貸付資本一般の剰余価値実現を考察する。

 以下に 貸付資本における剰余価値の実現例を以下に示す。

 例証にあたり想定する可変資本減少の前の資本主義社会の状態は、先行ページで想定したものと同じである。(==>過剰供給vs利潤減少 [例証で想定する資本主義社会の初期状態])

貧者A・B・Cの必要生産物(=労賃)および必要労働時間貧者A・B・Cの剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者A・B・Cの生産物全数および総労働時間
3人分の生活資材1人分の生活資材4人分の生活資材
18時間6時間24時間

可変資本比率 100%
人間生活維持に必要な労働時間 6時間
利潤率 33.33%



貸付資本における剰余価値の実現例

 最初の想定での労働生産性を1.5倍向上させる。このため想定5の内容を以下の想定5bに変更する。

 想定5b) 8時間で1人の貧者は、2人分の生活資材を生産する。


 上記変更の想定5bと想定1の貧者数に従えば、全工程の生産物全数は6商品となる。しかしこれだけでは先行ページ(過剰供給vs利潤減少)と同一の変更内容と結果になるので、加えて最初の想定での生産工程を分離して、貧者の労働内容を特化させる。このため想定6の内容を以下の想定6dに変更する。

 想定6d) もとの資本構成の33.33%を貸付資本、66.66%を産業資本に分離する。
        貸付資本は、生活資材を産業資本に貸し付ける。また産業資本は、生活資材の借り入れを前提にして生活資材を生産する。
        当然ながらこの前提は、貸付資本において、貸付用資本の本源的蓄積が先行的に完了しているのを示す。
        したがって産業資本と貸付資本の両方の資本構成に、貸借資材が不変資本部分として現れる。


 産業資本で借り受けが必要な物件と賃料を以下の想定10にする。

 想定10)  産業資本では、一日に10人分の生活資材を貸付資本から借り受ける必要がある。
        賃貸料は物件量の30.5%である。つまり産業資本は、元本に加えて13.05人分の生活資材を貸付資本に返済する。
.        貸借資材の返済と賃料の支払いは、一日の終了時点に行う。

 この変更で、1日の商品生産での生産物と労働時間の内訳は、貸付資本と産業資本でそれぞれ次のようになる。


(産業資本:可変資本2人+不変資本(=生活資材の賃料3.05人分)) 
貧者2人の必要生産物(=労賃)および必要労働時間不変資本に充当する必要生産物および必要労働時間不変資本の必要生産物(=賃料)および必要労働時間貧者2人の剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者2人の生産物全数および総労働時間
2人分の生活資材10人分の生活資材3.05人分の生活資材0.95人分の生活資材6人分の生活資材
5時間20分0時間8時間8分2時間32分16時間


(貸付資本:可変資本1人+不変資本(=生活資材10人分))
貧者1人の必要生産物(=労賃)および必要労働時間不変資本に充当する必要生産物および必要労働時間貧者1人の剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者1人の生産物全数および総労働時間
1人分の生活資材10人分の生活資材2.05人分の生活資材3.05人分の生活資材
2時間37分0時間5時間23分8時間


 上記の貸付資本と産業資本の内訳を分離しない場合、両資本は単純に同一作業工程上に現われる二つの部門となる。資本論の記述でも、分業を協業の発展形態に扱う。この意味では、部門ごとに資本を分割しない方が本来の内訳の姿でもある。逆に二つの部門を分割しない方が、社会全体の必要可変資本量を理解するのに有利である。この場合、貸付資本が貸し付ける不変資本を、産業資本で借り受ける必要も無く、同時に賃料を加えて返済する必要も無くなる。したがって不変資本充当部分を表示から除外できる。結果的に次のような内訳になる。

(第一部門と第二部門の内訳の統合)
貧者3人の必要生産物(=労賃)および必要労働時間貧者3人の剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者3人の生産物全数および総労働時間
3人分の生活資材3人分の生活資材6人分の生活資材
16時間5分7時間55分24時間


 貧者3人の1日の労働は、6人分の生活資材を生産している。つまり貧者3人の商品生産は、自分たち3人と富者1人の社会全体の需要を満たすだけでなく、単純な見方で良ければ、剰余生産物を3人分の生活資材に増加した形の単純再生産状態に拡大再均衡している。つまり労働生産性向上のおかげで富者は、以前より3倍の服を着込み、3倍の食事をし、3倍の家に住めるようになった。ちなみに全部門で見た場合と部門を分けて見た場合の可変資本比率・貧者一人当たりの必要 労働時間・利潤率・剰余価値率および貧者一人当たりの労働生産性・労働生産性向上率は、次のようになる。

全体第一部門第二部門
可変資本比率 18.69% 39.6% 9.09%
人間生活維持に必要な労働時間 2時間39分 2時間40分 2時間37分
利潤率 18.69% 18.81% 18.64%
剰余価値率  100% 47.5%  205%
労働生産性 2商品 3商品 3.05商品
生産工程分離による労働生産性向上率 1.5倍 2.25倍 2.29倍


なお富者が本当に裕福になるためには、上記の想定に加えて、次の想定7bを必要とする。

 想定7b) 富者は、1日あたり貧者3人分の生活を行う。

 上記の想定をしないと、もともと4人だけのこの資本主義社会だと、需要が4商品、供給が6商品の需給不一致が発生する。つまり、富者が6商品を市場に出しても、4商品だけが売れるだけであり、2商品が売れ残る。富者の手元に実体化する利潤は、相変わらず1人分の生活だけである。したがって富者は、裕福になるのに失敗する。ただしその場合でも資本主義も経済危機に陥るわけではなく、富者の恒久的な貧者支配も可能である。
 もし第二部門だけが生産性を向上した場合、剰余生産物がそのまま余剰生活資材として現われる可能性がある。この場合、富者は余剰生活資材を商品市場を介さずに消費することができる。ただし上記例は、貸付資材を生活資材そのものにしたので、富者が余剰を直接消費するのが可能なだけである。貸付資材が貨幣の場合、富者が余剰貨幣を貨幣形態のままで自らの生活に利用するのは困難である。したがって市場に余剰貨幣と交換可能な生活資材が存在しない場合、富者は余剰貨幣を貨幣形態のまま蓄蔵するしかない。この場合だと、生産性向上と剰余生産物増加は名目的なものに終わり、貧者も富者も豊かにならない。貨幣残高を除外するとそこには、せいぜい生産性向上により、貧者の労働内容が肉体的に楽になったとか、逆に心理的に厳しくなったとかの違いしか残らない。
 なお富者の贅沢消費は、貧者の消費節約と違い、実行するのは簡単である。過剰供給と必要生産物量の需給ギャップに恐慌の原因を求めるのは、無意味である。想定7bに対応する資本主義が行う需給ギャップの克服方法を別の箇所(==> 過剰供給vs必要生産量)で述べる。

 上記に示した第二部門は、第一部門から見ると、第一部門に必要な不変資本の管理部門にすぎない。つまり第一部門が第二部門に支払う賃料は、不変資本の管理代金にすぎない。第一部門にすれば、自らが不変資本を所有する場合に負担する管理工程を、専門業者にアウトソースしただけである。つまり産業資本は、貸付資本との分業により、資材管理工程を軽減している。これは産業資本の第一部門が、産業資本の第二部門となる工業資本との分業により、商品生産工程を軽減したのと全く同じである。または産業資本が、商人資本との分業により、商品搬送工程を軽減できたのと全く同じである。もちろんこの分業は、産業資本から工業資本や商人資本や貸付資本に分化する形で発展するのでも良いし、逆に工業資本や商人資本や貸付資本から産業資本に分化する形で発展するのでも良い。もしくは 単独に存在する産業資本や工業資本や商人資本や貸付資本が、相互連携する形で発展するのでも良い。いずれにせよ、生産工程の専門化と協業は、分業する双方の部門に利益をもたらす。
 上記内容が示すのは、貸付資本における利潤もまた剰余価値だと言うことである。そして利子産み資本も、この貸付資本の一つの形態にすぎない。つまりマルクスの説明と違って、商品資本における利潤と同様に、利子産み資本における利潤も、産業資本の剰余価値を掠め取ったものなどではない。

 このカテゴリーの始まりに、商品生産時に産み出された剰余価値を、産業資本と商人資本と金融資本の三者が折半する資本主義像を、基本的に錯覚である、と書いた。しかし流通費や利子が特別剰余価値として存在する場合、つまり独占が存在する場合、資本間で剰余価値を再分配する構図が一部成立する。それでもそのことによって流通費や利子の全てが、産業資本の剰余価値から略取したものになるわけではない。とはいえ往々にして、それらの特別剰余価値化は巷に存在する。 マルクスに従うと、資本主義の原理的必然は商品価格を特別剰余価値化させ、資本主義的所有関係の純化を果す。つまり資本主義は必然的に、独占を通じた独占価格を産み、有産者と無産者の完全分離を目指す。ヒルファーディングは、その独占資本の王が金融資本であり、独占商品の王が貸付資本であり、独占利潤の王が利子だと考えた。レーニンも、最終的にヒルファーディングと同じ見解に落ち着いている。自らの原理に従う資本主義は、独占を目指すのか、それとも独占の 廃棄を目指すのか? 筆者の想定は後者である。資本主義の延命と独占の廃棄は、同義である。したがって資本主義において独占の進行が必然であり、それが所有者のすげ替えによる社会主義の即時実現を準備する、という旧来の共産主義の予想も当たっていないと考えている。(2010/11/16 ※2015/06/30 ホームページから移動)


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資本論の再構成
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           ・・・ あとがき:資本主義の延命策

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