ハリーの「聴いて食べて呑んで」

日々増殖を続ける音源や、訪問した店、訪れた近代建築などの備忘録

平成二十九年度 松竹大歌舞伎 「猩々」「口上」「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」 @岐阜市民会館

2017年09月06日 | 歌舞伎・文楽

歌舞伎「松竹大歌舞伎」(9月3日・岐阜・岐阜市民会館)

秋になると毎年名古屋公演と岐阜での巡業公演があり、いくつも観劇出来て嬉しいが、いつもチケットの手配に手間取って、どれがどれだか分からなくなり、この日も昼の部と夜の部(演目は同じ)を2枚づつ別の日に買ってしまう失態(汗)。嫁は昼の方が都合が良いと言うので、夜のチケットはお義母さんに貰っていただく。岐阜市民会館のチケットは「歌舞伎美人」で情報を得ても、発売予定日の前にとっくに会館にて売られているという何だか納得がいかない状況に毎年振り回されます(←いいかげん学習しろ)。嫁と近くの「更科」でお腹を満たしてから会場へ向かう。もちろん日差しはまだ強いが、今年は9月になったら即秋の空気がやって来たので不快ではない。夜は1階席だったが昼は2階席。こちらの会場は小さくないので少し距離は遠いが見やすい席ではある。

この公演は、中村橋之助が八代目「芝翫(しかん)」を襲名する襲名披露巡業公演。息子らもそれぞれ「橋之助」「福之助」を同時襲名するのだが、アナウンスによると宗生改め福之助が体調不良の為に休演とのこと。親子3人揃っての襲名披露が売りだっただけに、本人もさぞかし悔しいことだろう。

最初の演目は「猩々」。松緑と合わせて珍しい3人(3匹)の猩々(赤毛の架空の動物)の舞いが見られると思っていたが、福之助の休演のため通常通り2人での舞い。2人で調子を合わせるだろう所で微妙にずれたり、所作が若干違っていたりするのは演出なのか、それとも予定になかった2人での舞いのせいなのだろうか。それにしても橋之助、化粧の上からでもくっきりとした目鼻立ちがよく分かる。男前だなァ。

次は襲名披露の口上。俳優が揃って裃姿で順番に挨拶。四代目以来の立役による芝翫襲名だそうで、新芝翫は以前にも増して男らしさ、力強さを意識しているように見える。年輩の中村芝喜松も「梅花」を昨年襲名と紹介される。ただし”血”が物を言う歌舞伎界においては扱いは控えめ。松緑だけカミカミの口上(笑)。

そして「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」。初めて歌舞伎を本格的に観劇した時の演目が国立劇場での通しでの「一谷嫩軍記」だったので感慨深い。今回の熊谷陣屋は吉右衛門や幸四郎で有名な團十郎型ではなく”芝翫型”なのだそう。初役でこれを復活させようと八代目芝翫は過去の書抜きで随分勉強したらしい。なるほど隈取といい、衣装といい、演技といい、随所に違う演出がある。出家を決めた熊谷も坊主頭ではなく有髪で、あの有名な最後の幕外での演技も無し。最後は舞台で複数の演者が見得を切る。かなり戸惑ったが同じ演目でもこんなに演出が違うなんて面白いもんだなァ。この話では、いつも”白毫弥陀六”という人物像が頭に入らず、観ている時においてけぼりになるのだが、後で嫁と話をしたら観劇数の少ない嫁の方がよっぽど理解していて、自分の記憶力の悪さ加減にガックリ…。

<演目>

一、猩々(しょうじょう)

猩々   尾上 松緑
猩々   国生改め  中村橋之助
酒売り  芝喜松改め 中村梅花


二、襲名披露 口上(こうじょう)     

橋之助改め 中村芝翫
国生改め  中村橋之助
宗生改め  中村福之助
幹部俳優出演


一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)

三、熊谷陣屋(くまがいじんや)

熊谷直実    橋之助改め 中村芝翫
相模      中村扇雀
堤軍次     国生改め 中村橋之助
梶原平次景高  市村橘太郎
藤の方     市川高麗蔵
白毫弥陀六   坂東彌十郎
源義経     中村梅玉

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