生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

声楽と器楽の違い レッスンに対する姿勢

2017-07-19 23:09:12 | 思うこと

 過去に指示した声楽教師から聞いた話ですが、レッスンを希望する生徒の中には歌曲やアリアなどは指導してもらわなくて良いので発声だけを見てほしい、という生徒が時々いるそうです。まあその様に希望する生徒の気持ちもわからないではないですし、私自身過去の経験で歌まで行かずに発声だけで終わるレッスンが無かった訳ではありません。ただ、私にその様に語ってくれた先生は、発声練習だけでできても実際の歌の中で使えるかどうかは別問題だから、基本的に発声だけ見てほしいという生徒に対しては、その様に説明した上で歌も見る様にしているとのことでした。

 歌のレッスンに比べれば、やっと100分の1ぐらい経験したかどうかの器楽のレッスン体験ですが、現在継続してレッスンを受けている松先生は好きな曲を吹きたい気持ちも分かるけれど、今の技術以上の曲を無理やり吹くと、どこかしらに無理が行ってせっかく身に付けつつある基本的な技術までおかしくなってしまう危険があるから、出来るだけアルテのエチュードを吹く様にと言われています。より具体的に言えば、私がフルートを勉強してみようかと思ったきっかけの一つである、マラン・マレの「スペインのフォリア変奏曲」は、今の私の技術では力不足で、それでも吹こうとするとどうしても無理をしてせっかく身に付けつつある基本技術を壊してしまうので、吹いてはいけない、と封印されています。で、同年代に同じ「フォリア」の主題による変奏曲として作曲されたコレッリのヴァイオリン・ソナタ作品5-12のフルート版であれば、マラン・マレの「スペインのフォリア変奏曲」程は難しくないため、吹いても良いとお許しを頂き、練習しているところです。

 器楽の演奏者の肩は毎日何時間も練習するのが当たり前の様ですが、声楽では毎日何時間もの練習と言うのはなかなか難しいのではないかと思います。喉=声帯が毎日何時間もの酷使には耐えられません。声楽では極一部のヴォカリーズを除けば歌詞が存在するので、まずは歌詞をスムーズに発音できるようにしておく必要があります。それから音程=音取りについても、必ずしも歌わなければ音鳥出来ないというものでもありません。なので実際に歌う以前に、歌詞の発音を確認し、歌詞の意味を調べて内容を把握し、鍵盤楽器等を利用して音取りをして、それから初めて曲を歌うという作業になります。これらの作業=事前準備を端折っていきなり歌と歌いだして、歌いながら発音を確認し、歌詞の意味を調べ、音取りを確認するという流れで行うと、結果としてはるかに時間がかかります。なので声楽を勉強することは結構事前準備に掛ける作業が必要だと思っています。

 それに比べると、器楽では歌詞は基本的に存在しないので、楽譜をどう読むかということと、楽譜を読んだ結果を楽器を媒体として同演奏するか、ということになろうかと思います。この作業を通じて楽器を演奏する技術を洗練していって、一流のアスリートがそうであるように、一流の演奏家も一つ一つの演奏ステップを個別に意識するのではなく、一連のフレーズを一連の演奏行為として殆ど無意識に必要な体の捜査を行えるところまで、反復して体に覚え込ませる、ということかと思っています。

 声楽は自分の体が直接楽器であるため、楽器=自身の体は器楽の楽器を演奏するのに比べて無意識=本能的に演奏できる要素が大きいため、器楽での演奏家自身の体ではない客観的な楽器をいちいち操作することに比べれば、直感的に=何も考えずに歌えるという言い方も出来るかと思います。一方で歌には歌詞が存在してて聞き手にも歌詞の意味が理解されるので、歌詞をどう聞き手に届けるのかという器楽にはない作業が重要になってくると言えるでしょう。

 器楽は歌詞がないことで具体性が捨象され声楽に比べれば抽象性=一般性が高い音楽になりますが、聴衆に音楽を届けるためには楽器と言う媒体を経る必要があるため、自身の音楽を徴収に理解してもらうためには自身の体の一部ではない客観的な存在である楽器を自身の意のままに操れるようになるまで習熟する必要があるのでしょう。だから器楽の人は毎日何時間も練習する必要があるし、声楽の人は喉=声帯が何時間もの歌唱に耐えないと言う理由と同時に、歌詞を十分に理解する必要があり、そのためにはただ繰り返し歌うことよりも、歌詞の内容を調べ・確認するという論理的な準備が必要なのだろうと思う訳です。

 御幣を恐れずに更に本音に近いところで言ってしまえば、声楽はある程度の基礎訓練が出来ている人であれば、さほど難しくない曲であればそこそこ歌えてしまいます。一方で、特に聞き手が歌詞の意味を分かってしまう状況では、歌詞の意味を咀嚼して歌のなかでその時歌っている歌詞の内容と異なる所作をしない様にするなどの、器楽では必要にならない要点があるので、何も考えずに繰り返し歌っても完成度は上がらないので、頭を使って自らの演奏=作品の完成度を上げる必要があると思います。

 器楽は、楽器と言う媒介するものがあるため、また歌詞という具体的なものがなく、抽象性=一般性が高いので繰り返し練習することで楽器を無意識化に演奏できるようになることと同時に音楽表現の内容も洗練されていくような気がします。


コメントを投稿