生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

日野皓正氏と中学生ドラマー

2017-08-31 23:14:21 | 思うこと

 昨日からネット上で報道されていましたが、今日になると大手新聞でも報道されるようになったみたいですね。日本のジャズ界の大御所というよりも、”世界の日野皓”もいつしか御年74歳になっておられたのですね。それが世田谷区で4か月指導してきた中学生達の演奏の本番で、ドラムソロをいつまでも止めなかったことに腹を立てた日野皓氏が舞台上に上がって少年からドラムスティックを取り上げたものの、なお少年は素手でドラムを叩き続けたということで、日野皓氏が少年に往復ビンタをしたとかしないとか。後援していた世田谷区教育委員会も日野皓氏の指導に行き過ぎがあったとの見解を出している様です。

 私が最も気になったのは、行き過ぎた指導を受けた少年がどの様に受け止めているのかと言うことですが、今日になっての報道の一部では、当該少年も「叱られて当然だった、今後も日野皓正氏の指導を受けたい」という主旨の発言をしているようですね。このことが分かって先ずはほっとしました。日野皓正氏の人となりを直接知る立場にはいませんが、1980年代ごろからの氏の音楽ステージでの活躍する印象から、音楽に対する強い情熱・ひたむきさといようなイメージを強く感じていました。今回の報道でもその様な人柄を肯定する様な情報が多いようです。

 特に日野皓氏の演奏スタイルではメンバーがソロを受け渡したりするコミュニケーションが重要な役割を果たしています。おそらくは4か月間という練習期間を通じて、日野皓氏も中学生達にその思いを伝えて来たことは間違いないと勝手に想像してます。だからこそその中学生自身も反省するところがあって今後も日野皓氏の指導を受けたいと言っているのだろうと、これまた私は勝手に想像しています。

 往復ビンタをしたのかどうか私は事実を知りません(各種報道では往復ビンタをしたように見える映像があるということだけです)。本番の前に4か月間の準備期間があったのであれば、感受性の豊かな中学生にとっては指導してくれる相手が世界的にビッグネームであろうがなかろうが、相手が本気になって向き合ってくれているかそうでないかはお見通しだと思います。準備期間中に日野皓氏が中学生たちに向かってジャズプレーヤー同士でのコミュニケーション・譲り合いが大切だということを十分に伝えていなかったとすれば、本番でいきなりスティックを取り上げられ往復ビンタをされたかもしれない中学生が素直に反省して今後も指導を受けたい、とは言わないだろうなと思ったわけです。ところがその中学生は反省するところがあった様に受け止めることが出来ました。だからと言って往復ビンタが実際に行われたとすればそれを肯定することは出来ません。スティックを取り上げても素手でドラムを叩き続けたのであれば襟首をつかんで少年をドラムセットから引き離した方が良かったと思います。少年をドラムセットから引き離せる客観的な条件がなくて止むを得ず往復ビンタ(と見える様な何らかの行為)をしたとしても、やり過ぎの批判は免れないですよね。

 日野皓氏はまだ本件についてコメントは出していないようですが、少年とともに会見して、少年は叱られて当然だと思うという心証を話して、日野皓氏は指導の思いに正当性が全くなかったとは思わないもののその手段には行き過ぎがあったと反省して、両人が今後とも指導し指導される関係を続けて行きたい、と表明されるのが最も良い対応ではないかと思うのですが、如何でしょうか?


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