一部抜粋して要約させて頂きます。と言うよりも印象に残る文言を抜き出しただけと言ったほうが近いかもしれません。
英語圏では絶対音感のことを perfect pitch と言うが、学術的にはabsolute pitchと言う方が正しい。perfectという語には完璧なという意味があるが、absoluteは単に他のものと比較しないでというだけの意味。絶対音感と言うよりも絶対音高徒言うべきではないか。
中国、日本では音楽家であれば絶対音感の持ち主が多いが、ヨーロッパでは音楽家であっても絶対音感の持ち主は非常に少ない。音楽では、同時に鳴り響くピッチや前後につながるピッチの間の関係(相対音高)を認知することや、それらの関係が組織づけられるやり方(和声、調性)を把握することが本質的に重要である。従って単音のピッチをばらばらに把握する能力である絶対音感は、音楽的には何の意味もないと言うことができるだろう。
ここまで主張されてしまうと、絶対音感はないは相対音感も怪しい私からすれば、やはり絶対音感の持ち主であれば視唱や聴音だって楽に出来てしまうのではないかと思ってしまうのですが、如何でしょうか?
確かにピアニストで絶対音感は持っているけれど歌は下手と言う人はいるようですね。私自身も声楽技術が向上してくると同時により正確な音程で歌える様になって来ている実感はありますし、更にはそれと同時に他人の歌唱を聞いていて音程の甘さが気になるようになって来ています。
絶対音感を身につけるには臨界期があって、それを過ぎてしまうといくら訓練しても身につかない、ということは多くの方がご存知のことと思います。小さい内(5歳ぐらいまで?)に訓練して身につける能力と言うイメージだと思うのですが、出典は失念してしまいましたが、赤ん坊なら誰でも、100人が100人、絶対音感を持っていて、訓練して定着させないと成長につれて失われてしまうと考えたほうが実態に近いという学術的な報告があったように記憶しています。
それから共感覚と言って音高と同時に色が見えるという人がいるそうです。有名なところではメシアンとかスクリャービンとか。日本人でも絶対音感と同時に色が見える人が結構いるそうなんですが、中にはメシアンやスクリャーピンの持っている共感覚とは違うのではないかと言う例もありそうです。幼児に絶対音感を付けると謳っている大手の音楽教室で、キィボードの白鍵黒鍵を色分けしているところがあるそうです。その音楽教室で絶対音感を身につけた人は、その音楽教室で使っていた色分けされたキィボードの色と音高とを関連付けて記憶していることが多いそうです。
私ごときの中途半端な音感の持ち主であっても、音感は記憶に関係しているのではないかと言う思いを持ってはいます。
さて、宮崎謙一氏の論文に戻ると、「絶対音感がある音楽学生は様々に異なる高さに移調された音程やメロディを絶対音感にたよって聴く傾向があり、絶対音感がない音楽学生に比べて課題の遂行成績が悪くなる場合があることが明らかになった。」と記載されています。大部の本格的な論文ではなく解説と言うことで簡潔に要約されていますが、専門家が執筆した記事ですので、興味のある方は是非私ごときがつまみ食いしたブログではなく、「絶対音感を巡る誤解」をお読みいただければと思います。面白いです。
英語圏では絶対音感のことを perfect pitch と言うが、学術的にはabsolute pitchと言う方が正しい。perfectという語には完璧なという意味があるが、absoluteは単に他のものと比較しないでというだけの意味。絶対音感と言うよりも絶対音高徒言うべきではないか。
中国、日本では音楽家であれば絶対音感の持ち主が多いが、ヨーロッパでは音楽家であっても絶対音感の持ち主は非常に少ない。音楽では、同時に鳴り響くピッチや前後につながるピッチの間の関係(相対音高)を認知することや、それらの関係が組織づけられるやり方(和声、調性)を把握することが本質的に重要である。従って単音のピッチをばらばらに把握する能力である絶対音感は、音楽的には何の意味もないと言うことができるだろう。
ここまで主張されてしまうと、絶対音感はないは相対音感も怪しい私からすれば、やはり絶対音感の持ち主であれば視唱や聴音だって楽に出来てしまうのではないかと思ってしまうのですが、如何でしょうか?
確かにピアニストで絶対音感は持っているけれど歌は下手と言う人はいるようですね。私自身も声楽技術が向上してくると同時により正確な音程で歌える様になって来ている実感はありますし、更にはそれと同時に他人の歌唱を聞いていて音程の甘さが気になるようになって来ています。
絶対音感を身につけるには臨界期があって、それを過ぎてしまうといくら訓練しても身につかない、ということは多くの方がご存知のことと思います。小さい内(5歳ぐらいまで?)に訓練して身につける能力と言うイメージだと思うのですが、出典は失念してしまいましたが、赤ん坊なら誰でも、100人が100人、絶対音感を持っていて、訓練して定着させないと成長につれて失われてしまうと考えたほうが実態に近いという学術的な報告があったように記憶しています。
それから共感覚と言って音高と同時に色が見えるという人がいるそうです。有名なところではメシアンとかスクリャービンとか。日本人でも絶対音感と同時に色が見える人が結構いるそうなんですが、中にはメシアンやスクリャーピンの持っている共感覚とは違うのではないかと言う例もありそうです。幼児に絶対音感を付けると謳っている大手の音楽教室で、キィボードの白鍵黒鍵を色分けしているところがあるそうです。その音楽教室で絶対音感を身につけた人は、その音楽教室で使っていた色分けされたキィボードの色と音高とを関連付けて記憶していることが多いそうです。
私ごときの中途半端な音感の持ち主であっても、音感は記憶に関係しているのではないかと言う思いを持ってはいます。
さて、宮崎謙一氏の論文に戻ると、「絶対音感がある音楽学生は様々に異なる高さに移調された音程やメロディを絶対音感にたよって聴く傾向があり、絶対音感がない音楽学生に比べて課題の遂行成績が悪くなる場合があることが明らかになった。」と記載されています。大部の本格的な論文ではなく解説と言うことで簡潔に要約されていますが、専門家が執筆した記事ですので、興味のある方は是非私ごときがつまみ食いしたブログではなく、「絶対音感を巡る誤解」をお読みいただければと思います。面白いです。