生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

 毎年大晦日に思うこと

2016-12-31 20:13:53 | 思うこと

 ここ数年というよりもここ十数年と言いましょうか、大晦日となると家族と揉めることになります。はい、ずばり「紅白歌合戦」を見るか見ないかです。これだけ個人の趣味・嗜好が多様化した現在において、日本国民の大半が喜んで見るような番組を作ることは至難の業で有り、昭和の時代の様な視聴率がとれないことは誰の目にも明らかだと思っています。にもかかわらずNHKはいまだに取れない視聴率を取るべく大変な人・モノ・金の浪費を繰り返しているようで、視聴料を払いたくない最大の理由です。

 間にニュースを挟んで前半と後半という構成にしているようですが、思い切って2部構成とか3部構成、4部構成にしたらどうかと思います。例えば大晦日の夕方は日本の伝統芸能の紅白なり東西なりの合戦にして、第2部は日本のクラシック音楽の部として、様々なコンクールの入賞者や今年のクラシック界で活躍した演奏者を、やはり紅白(男女)でも良いし東西に分けてもよし、歌(声楽)に限らず器楽演奏者も加えて合戦とします。夜の前半は年配者向けの演歌等をメインとした紅白歌合戦として、夜の後半は若い人向けのJ-Popを中心としての紅白歌合戦とする。そのような多部構成とすることで自分の興味のある部だけを視聴する。この方がよっぽど合理的と思うのですが。なぜNHKが老若男女、ポピュラーファンもクラシックファンも民謡ファンも、十把一絡げにし続けなければならないのか全く理解できません。4時間近い番組で数十人(組)が歌う中に一人二人クラシック系と言える人がいたからと言って、紅白を見たいと思うクラシックファンは多いとは思えません。

 ということでここ数年来、我が家では大晦日の夜となると「紅白」を見たい家人は「紅白」を、バラエティー番組を見たい家人はバラエティーを、そして私はNHK教育の第九とその後のクラシック音楽プログラム、午後11:30からは東急ジルベスターコンサートと、「紅白」のおかげで一家断絶の時間となっています。

 オペラだってエンターテイメントであるし、オペラの中でも群舞があることもあるので、「紅白」の舞台だって参考になることはあると思います。そう思って何年か毎にたまには「紅白」を見ようかと思うこともあり、今年もそう思う年であったのですがどうにも「紅白」がもっている妙なテンションの高さが気疲れするような気がして、TV音声が聴けるラジオにヘッドフォンを繋いで第九を聴いています。


フォーレ 捨てられた花 作品39の2  G.Faure Fleur Jetée  Op.39

2016-12-30 23:44:56 | フォーレ

 昨日紹介したレスピーギの「霧」は、実はインターネット上の動画サイトでフォーレの「捨てられた花」の音源を探していた時に見つけたものです。このフォーレの「捨てられた花」も知る人ぞ知る名曲ということでしょうか。梅が丘歌曲会館に日本語役の歌詞が公開されています。梅が丘歌曲会館のコメントでも、フォーレの作品には珍しい怒りの曲であるとのコメントが寄せられています。

 少なくとも半年以上前に購入したフォーレの歌曲集CDに収録されていて、つい最近聞き直したときにフォーレらしからぬ激情を前面に押し出した曲として興味を覚えました。ペトルッチ(IMSLP)のサイトに楽譜が公開されています。8分の6拍子、アレグロのテンポ指定。調性はAs-durかf-moll。音域は高音部譜表で五線の下にぶら下がるDesからHigh-Aまでで、低・中声の方にはちょっと辛いかもしれません。ピアノ伴奏は殆どが16分音符で細かく和音を畳かけるパターンが続きます。

 フォーレの作品といえば”耽美的”というイメージが一般的かと思いますが、「捨てられた花」については”耽美的”という形容は当てはまらないように思います。なのでまさに”フォーレ的”とでも言うべき”耽美的な”歌曲と組み合わせたプログラムで、フォーレの持つ意外性を聴衆に提案して、フォーレの作品が持つ間口の広さと奥行き、いわゆるパースぺクティブの広がりをあえて問うてみたいと思います。

 レイナルド・アーンの歌曲もフォーレの作品と同じように優しく優美な印象が強いですが、だからこそ、そうではない曲想の「夜に」を典型的なアーンのレパートリーである「クロリスに」と組み合わせて歌いたいと思うわけです。現在私が歌えるフォーレの歌曲と言えば「夢のあとに」だけですが、「夢のあとに」と「捨てられた花」とを並べたプログラムとするのが最適の様には思えません。ということで、しばらく「捨てられた花」と「夢のあとに」と組み合わせてそれぞれの曲の良さを引き立てられる新しいフォーレの歌曲作品を探すつもりです。よい曲をご存知の方がらっしゃれば是非推薦を頂ければ、有難く存じます。


レスピーギ 霧 Respighi NEBBIE

2016-12-29 21:38:21 | 

 レスピーギの歌曲について書くのはこのブログ始まって以来初めてだと思います。近代のイタリアの作曲家ということで、興味は持っていましたが、ついぞ管弦楽曲のローマの三部作以外は耳にしていませんでした。たまたま他の楽曲の音源をインターネットの動画サイトで探していたところ、動画サイトのお勧め機能で紹介されたのが、パヴァロッティの歌うレスピーギの「霧」でした。結構有名な曲の様で、動画サイトでは女声の歌う音源の方が多い様ですが、カレーラスの歌った音源もありました。といって高声向けの歌曲という訳ではないと思います。ペトルッチ(IMSLP)のレスピーギの作品として、「NEBBIE」として単独で楽譜が公開されています。

 二分の四拍子、Lentoのゆっくりとしたリズムの嬰ヘ短調。ピアノ伴奏はほとんどが二分音符で和声を叩いているだけです。音域は高音部不評の下第一線のCisから上は第五線のFisなので、ソプラノやテノールよりはメゾ・ソプラノ、アルト、バリトン、バスに向いていると言えます。梅が丘歌曲会館でも歌詞の日本語訳が紹介されており、コメントされていますがイタリア歌曲としては珍しく暗い歌です。シューベルトの冬の旅に「カラス」という曲がありますが、レスピーギの「霧」と相通じるものがあるように思います。そういう曲なのですが、作曲年代が新しい分私にはレスピーギの「霧」の方が自分でも歌いたいと思わせるものがあります。

 男女に限らず、中・低声でイタリア語で暗い歌を探しておられる方がいらっしゃれば、是非ご検討いただきたいお勧めの曲だと思います。動画サイトに多数の音源がありますし、ペトルッチ(IMSLP)に無料で楽譜が公開されています。


ヴァイオリンの音色

2016-12-28 21:48:06 | 器楽・楽器

 昨日ストラディバリウスの音色の話について書いたので、ついでに書いておきます。自分でヴァイオリンを弾き始めるまでは全く知らなかったのですが、弓に張ってある馬毛は半分の量は向きを反対に張ってあるのだそうです。馬の毛にもキューティクル構造があって、キューティクルが引っかかる向きに運弓すると大きい音が出るそうですが、キューティクルが引っかからない向きに運弓すると弓毛が滑ってあまり大きな音が出ないそうです。

 現在のモダンボウ(現代弓)では馬毛の半分量を反対向きに張るそうですが、バロックボウでは全ての馬毛を同じ方向に張っていたそうで、そのため上げ弓と下げ弓とで音量と音色に大きな差があったそうです。

 ヴァイオリンでは基本的に下げ弓から演奏します。新しい音符が登場するごとに下げ弓と上げ弓とを交互に運弓します。またスラーがかかっている間は同じ方向に運弓します。弓毛の半分量が反対向きに張ってあるモダンボウを用いても、下げ弓の方が地球の重力が味方してくれる分、強い音がでます。自分でヴァイオリンを弾くようになってからは、プロの演奏を視覚情報なしで音声情報だけで聞いていても、なんとなく下げ弓の音か上げ弓の音か区別がつくような気がしています。ところが本当の名人の演奏となると、下げ弓の音と上げ弓の音がほとんど同じで、運弓の方向を切り替えているはずだと思うところでも、どちらが下げ弓でどちらが上げ弓かわかりません。例えばイツァーク・パールマンのCD等では全く聞き分けることが出来ません。

 ヴァイオリンを巧く鳴らすには、弦を抑える左手の指にしろ、弓をコントロールする右手にしろ、必要最小限の力のみを加えて、楽器が鳴ろうとするのをできるだけ妨害しないことが肝要なのだそうです。これは声楽にも共通する心得の様な気がします。必要なところにだけ最小限の力を加え、それ以外のところは緊張させずに柔らかく保つ。これが極意ですね。なので、ヴァイオリン(に代表される弦楽器)の音色は、どのような楽器を弾くかよりも、どのような演奏技術を持った演奏者が弾くかが決定的だと思います。名人が弾けば数万円の楽器でも十分に良い音がするのだと思います。


ストラディバリウス、音の違いは「防虫処理」?

2016-12-27 23:24:41 | 器楽・楽器

 インターネット上の複数のニュースサイトに「ストラディバリウス、音の違いは「防虫処理」?」というような見出しがありました。台湾の研究チームがイタリアンオールドヴァイオリンの過去の修理片等を分析した結果、防虫剤に由来すると思われる銅や亜鉛、アルミニウム等の金属が見出されたとのこと。

 銅、亜鉛等の金属が在るかどうかだけの分析で有れば、遺跡等からの出土品などに関しても用いられる蛍光X線分析であれば極めて高感度で、また分析試料にほぼダメージを与えずに分析できるので、おそらくは今回の分析も蛍光X線分析ではないかと想像しています。

 以前にも書いた記憶がありますが、イタリアンオールドヴァイオリンの素晴らしさはそれを聴く聴衆にとってのものではなく、それを弾く者=演奏家にとっての価値ではないかと思っています。時々テレビ番組などの企画で、数万円の入門用のヴァイオリンと数億円のストラディバリを引き比べて、ブラインドでどちらがストラドでどちらが入門用楽器か当てさせるというものがあります。有名なヴァイオリニストに当てさせてもほとんど正解率は50%です。正解率50%というのは統計的には正誤を識別できないことを意味しています。つまりヴァイオリンの音色は楽器の音色ではなく、演奏家の演奏技術によるものと考えるのが正しいと思っています。

 ところがです。ストラディバリウスとグァルネリ=デル=ジェスとの引き比べ・聴き比べをすると違いが判るのではないかと思うのですが、如何でしょう。こういうと先に述べたことと矛盾してしまうのですが、現在世の中に出回っているモダンヴァイオリンの圧倒的多数はストラディバリウスのコピーモデルなので、入門用の数万円のヴァイオリンもストラディバリウスモデルだから、弾くべき人が弾けばストラディバリウスに近い音が出てもおかしくないと思うわけです。数億円のグァルネリ=デル=ジェスと数万円のストラディバリウスコピーとを引き比べれば案外差がついてもおかしくないと思います。

 要するにヴァイオリンの音色は、一つには演奏家の演奏技術が作りますし、弦の素材も決定的に影響します。ガット弦と金属弦で同じ音がする訳がないですし、弓毛の質と松脂も多少影響しておかしくないと思っています。ヴァラエティー番組であってもそろそろ高い楽器ほど良い音色がするというステレオタイプは卒業して欲しいと思っています。

 私は触ったこともないのであくまでも想像ですが、イタリアンオールドヴァイオリンの素晴らしさは聴衆の耳に届く音色ではなく、演奏家にとっての弾き易さではないかと思っています。イタリアンオールドヴァイオリンの素晴らしさを知る機会には恵まれていませんが、それよりもはるかに安い入門用のレベルでも、良く調整されたヴァイオリンほど音程をとるのも楽です。楽器が正しい音程を教えてくれるという感じがあります。常に音程を気にしながら自分で微調整をしなければならない楽器と、無意識に弾いていても楽器の方が正しい音程に導いてくれる楽器があれば、どちらの楽器で弾きたいかは問われるまでもありませんよね。その価値を得るためには自宅を売り払ってでもと思う演奏家が出てきても何も不思議ではないと思っています。