生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

久々にコメントを頂きました。;川井弘子先生の「上手く歌える講座」第11回「レガートの歌い方」を受講しました。

2017-09-10 22:49:37 | 思うこと

 私のこのブログですが、殆どコメントを頂くことがありません。とは言えこれまでに簡単なコメントを頂いたことは複数回ありますが、通算しても未だに一桁ではあります。今回、9月6日にアップしたブログに対してこれまでに無い長いコメントを頂いたので、今日のコンテンツとしてコメント氏に対しての私の思いを開示したいと思います。なお、当該コメントについては私のこのブログの9月6日のコンテンツを参照して頂ければ内容をご確認いただけるので省略します。

 今回のコメントは講座の聴講についての卒業宣言でした。が、継続して受けているレッスンについても、いずれはどこかで辞める日が来ることになります。何をもって辞めるかはなかなか判断の難しい場合もあります。資本主義社会の日本ですから、音楽のレッスンや講座にしてもサービス業として受けるサービスの対価としてレッスン代・受講料を支払います。支払う金額に対して受けるレッスンや講座の中身が釣り合わないと判断すれば、経済合理性の観点から継続することを断念することは出来ます。この様な判断があっさりできる場合は決して少なくないと思います。ただ、その様な判断が下せる時というのは、本質的ではない人間関係のしがらみ等が諸々形成されていて、純粋に経済合理性だけで判断できなくなることが多い様な気がします。

 教える側の方との交流も様々あったので、そんな関係から聞いた話ではあります。教える側としても教えたくない生徒と言うのはいるそうで、どの様に関係を断つかはかなり悩ましいのだそうです。何となれば、断る側が社会通念上批判される様な断り方はしたくない、という社会人としての当然の配慮が働きます。それでもなかには喧嘩別れ、破門、と言う様な事も特別に珍しいことでは無いようですね。その辺りの配慮が出来る教師であれば、頻繁にレッスン代を値上げすることもあるそうです。いずれ生徒の方からレッスン代を払いきれないからと言うことで辞めたいと言わせるためにそうすることもあるそうです。ところが中にはレッスン代が上がることは教わる側の技量がそれだけ向上したと勘違いして喜ぶ生徒もいない訳では無いそうです。その様に盲目的に指導者に対して生徒の側は心酔しているものの、教える側は辟易して辞めてほしいと思っていることも無いわけでは無いそうですが、一回1時間のレッスンが5万円とか10万円とかになれば、なかなか続けられませんよね。

 私自身はワンポイントレッスンや教師を選ぶための体験レッスンなどを含めれば、声楽とヴァイオリンとフルートの指導者延べ10人ほどのレッスンを受けてきています。そうすると30分の体験レッスンでも指導者の指導力がどの程度か、直ぐに判る様になっている自分がいます。これまで受けた最高額のレッスンは川井先生の45分間で¥18,000-なので、1時間当たり¥24,000-ですね。これはやはり絶対額としては安くはないですよね。それでもそのレッスンを受けることで支払った額以上の内容、あるいはヒントを受け取ることが出来れば高いとは思いませんね。その意味で私にとっては川井先生のレッスンは決して割高ではなく、再び声楽のレッスンを受ける時には出来るだけ川井先生のレッスンを中心に組み立てたいと思っています。その心は、レッスンの際の会話の中に、「息を流せば”ベルヌーイの定理”によって自然に声帯は引き寄せられるから、意識して声帯を引き寄せようとしてはいけない」と言う様な、自然科的手法に裏打ちされた指摘をしてくれた声楽指導者は川井先生以外に居ないからですね。川井先生ご自身の留学経験と、帰国後の日本国内での耳鼻咽喉科の専門医の先生とのコワークがあったればこその指導内容だと思っています。

 昨年秋からヴァイオリンの勉強を始めたものの、指導して頂いているN沢先生からは色々お褒めの言葉を頂いているものの、なかなか上達しないのが苦痛になって、ついつい吹奏楽器であるフルートに浮気をしたところ、息の使い方が声楽とかなり共通していたことで、始めた時から全音域の3オクターブが吹奏出来て、ブレスコントロールは出来るけれど指が回らないのが悩みの種でした。で、フルートはヴァイオリンを追い越してそこそこの曲なら吹けるようになっている自分がいます。そうするといつまでフルートのレッスンを受けるのか?という問題を抱えているのも事実です。

 音楽大学進学希望者であれば、受験が終わればレッスンを辞める理由ははっきりしていますよね。ところが音大進学などは夢のまた夢なんだけれど、趣味として音楽のレッスンを受けている人間の場合はどうするか? レッスンを受け続けていても上達する実感が得られなくなってくると、いつまでこの先生のレッスンを受けるべきなのかという問題が生じてきます。一般的にその答えは自分で出すしかありません。支払うレッスンの対価に対してレッスンを受けて得られるものが乏しいと思えば、無理にそのレッスンを続ける必要はないと思います。ところが、本当にそうなのかを客観的に判断できるかと言うと、そうは簡単ではないですよね。その先生のレッスンを受け続けることはやめにしようと思ったとしても、ではその先生以上の指導者に巡り合えるかどうか?全く保証はないですよね。

 と言うことで、日頃から継続的にレッスンを受ける先生以外に、時々ワンポイントでレッスンを受ける先生を探しておくことはお勧めです。ワンポイントレッスンを受ける先生の中に、それまで継続的にレッスンを受けて来た先生よりももっと自分を上手くしてくれそうな先生が見つかった場合は、新しい先生に乗り換えるは決して悪いことではありません。まあ一般論としては、常に今の先生に満足できなかった時に次に師事したい先生は探しておくように、と言うことですね。

 それから今回の私のブログに対するコメントは、個人レッスンではなく多数の聴講生を対象にした公開講座であるということですね。コメントを頂いた方は事例歌唱を歌われた方ですが、公開講座での川井先生のコメントは、必ずしも個人レッスンの際の生徒に対するコメントではなく、聴講生全体に向けてのコメントであるということです。従って事例歌唱を歌われた方に対しては物足りないコメントにならざるを得ない側面はあると思います。私自身川井先生の「上手く歌える講座」を継続して聴講していて、ある面ではマンネリ化しているとは思っています。前回私用で聴講できなかったことで、それを良い機会として聴講を止めてしまおうかとも正直思っていました。それでも案内のメールを頂いて、「レガートの歌い方」というテーマを紹介されると受講したいと思って参加しました。しかし、その様に参加した講座では「レガートの歌い方」についてはっきりとした指針が示されたようには思えなかったのも事実です。それでもまだまだ事例歌唱された聴講生に対する川井先生の指摘を聞いていると、これまでの過去の講座では理解しきれなかった様々なヒントを頂けたと思っています。今回の講座でも聴講料以上の価値のあるものを私自身が会得することが出来たと思うので、私は次回以降も川井先生の講座は聞き続けたいと思っています。何故なら個人レッスンを受けるよりはコストパフォーマンスが良いと思うからですね。本格的に声楽の勉強を再開する際には、講座ではなく川井先生の個人レッスンをメインにする可能性は十分にあります。その際は講座は聴講しなくなるかも知れません。

 要は、支払った額に対して受け取った内容が高いと思えばレッスンにしろ講座にしろ、受けることをやめて良いと思います。支払った額よりもより多くのことを学べていると実感できる間は、その先生のレッスンなり講座を受け続ければ良い、というだけの話だと思います。ところで、こう言い切ってしまうと問題なのは本当に支払った額に対して見合うか見合わないかの合理的な判断を自分自身が下せるか?ということになると思います。こればかりはお金と時間とエネルギーをある程度費やして、自分自身の物差しを作るしかありませんね。ことほど左様に趣味とはお金(と時間とエネルギー)がかかるものですね。


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