katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

KAMEYAさん教室

2016-09-25 06:39:42 | モザイク教室
今日は朝からKAMEYAさんで教室。天気が悪くそんな中2人。ってその前に昨日の撮り忘れの画像から。


さてそれでは1人目。初めての1cmで戸惑いつつも何とか進んでいるのね。どうやら固さには慣れたものの、知らず知らず進みたいって気持ちからかな?ついつい甘くなっちゃって、1つだけの約束の隣り合わせのタイルの輪郭は必ず合わせる事って言うのを段差になっても気にならない・・・って感じで。

その都度、ダメ出しして、ここダメ、ここ・・・って言うのだけれど、その時にこれもダメですよね?・・・って本人も判っているのね。こら。って話。
そもそも何処が?って言うのなら、気にならないから進んでいる訳で、判っているならやらない事って言うと、苦笑いしているんだから。

ただ進みたい気持ちは十分判るんだけれどね。大事なのはそれ美しいですか?って話。進んだ所で美しく無ければ納得は行かなくなった自分がいるって事に気が付かないとね。その位、目も肥えて来ているのにね。ここがうらはらで、批評の見る目と作る目って中々一緒にならないのね・・・。

批評の見る目は段々と厳しくなり、ここが、ここが・・・と気が付く。けれど、今度は作るとなると、ついつい進みたくなるからさっきの目より甘くなる。何しろ1か月に1回と言う事も理由の1つなんだけれどね。ただそれは最初から判っているのだから、きちんと意識する事なのね。

そもそも1回に進むのはこの程度位って感じでね。そうすれば今日もやった・・・って気持ちになるけれど、ついついもっともっとって欲張るつもりが無く進んでしまうと、その時点で質を落としてしまう。そこをどんなに進まなくても、美しい1枚を切る事を意識する。

それを繰り返して行くと、批評の目と作る目が同じになって行く・・・そんな話。では棟梁は・・・と言うと、


さっきの話を踏まえて、うさぎはやっぱりクラッシュしか無いんですか?って質問のようなフリのもう決まったセリフを言うのね・・・。要するにもう自分の気持ちが丸見えなんだけれど・・・。まずやっぱり・・・って部分で選択権無いですよね?とテンションだだ下がりなんですぅ・・・って聞こえる。

何が?は国語の話みたいなもんで、クラッシュに繋がる。つまりクラッシュが嫌いなんですぅ・・・と聞こえる。つまり丸投げな感じで、他にアイデア無い?先生ぃぃ・・・って言われているって話ね。要するに文章の内容としてはこう言う事になるのね。

じゃどうしてそうなるのか?って話なんだけれど、簡単な話で切る事が上手くなり過ぎちゃったからなのね。何故どうして?って事になるんだろうけれど、まぁ簡単な話で、例えば尻尾のように丸1つでの場合、何の質問も無く丸が張られていたのね。つまり質問いらず・・・だって丸じゃんってね。

じゃ逆に質問。丸を切るのとクラッシュ・・・どっちが切る事が難しい?まっ聞くまでも無く、流動的なクラッシュよりきちんと狙って切らないとならない丸の方が技術として難しい。つまり丸を簡単に切れる技術を持っているのに、流動的な自由なクラッシュが嫌い・・・。

ではその理由。自由が不自由の人なのね。つまり丸は丸じゃん・・・と決まっている。だから丸に切れば良い・・・って切る。けれど、1枚で切れない体はクラッシュでしょぉ?・・・嫌だな・・・他に無いのぉ?・・・こんな感じなんだろうね。

要するに1つが特化してしまったバランスの悪さなのね。じゃ例えば野球だとして、打つ事がメチャ上手かったとする。その人は守備はどう?ほら違う技術なんだから必ずそれに見合う上手さとは限らない。じゃ料理。包丁さばきが素晴らしい人が味付け最悪ってある?・・・・

本来はきちんと平行に身に着けるものだから、料理人にはそう言う事はほとんど無いけれど、野球にはいくらでもある。要するに特化するってやり方はこう言う事が起きて当然なのね。つまり俺の教室にはあって当然なのね・・・何故ならいきなり切るから始まる教室なのだから。

じゃ切るに特化してしまった人の陥りやすい事は何か?・・・それは考えるって事なのね。そもそもオリジナルなのだから、いかに人と違うアイデアを出すか?なんだけれど、例えば設計屋さんと大工さんの違い・・設計屋さんは設計だから家を作らなくて良い。けれど大工さんは作らないとならない。

ほら分業じゃん。特化するって言うのはこう言う話なのね。必ずしも建てられるから図面が引けるって意味じゃないし、引けるから建てられるって意味でも無い。じゃ丸が切れるからって、クラッシュが上手いとは限らない・・・かもね。

ではそんな人の是正は?まず何が何処が?を検証する。これこそが自分を知る1歩になる。何故クラッシュが嫌いか?・・・それは簡単な話で、自由が不自由だからなのね。それは1枚で部位を切りたいからなのね・・・尻尾のような1枚で丸みたいにね・・・。

だから体のように1枚で切れない大きなゾーンは仕方なくクラッシュかぁ・・・となるから、テンションを下げる事になる。つまりこの繰り返ししか無いと決め付けて考えない・・・そんな話。つまり他には方法は無いのか?と道を切り開くアイデアを考える・・・クラッシュが嫌だと言うのならね。

それを丸投げで先生何か無い?って、けれど例えばこんなのとか・・・って言った瞬間、ならこうかっ・・・って例えばって話から、変化させて左程考えずに悩まずにすんなり切り抜けるだろうね・・・・ただ本来オリジナルなんだから、そこを考えないとね・・・。って話。

そうなったのも切る事が上手くなり過ぎたから。さっきの人は1cmタイルを一生懸命不慣れな中、切っているのね。じゃ棟梁は?1cmタイルであの犬を作った人なのね。それがぺきぺきなんだから、むしろ切る事に教える事なんて何も無いのね。しかも遊びと言っているんだからね・・・あはははは。

あっ、遊びの本気だった・・・。まっどっちでも良いけれどね。ただこの遊びの本気って表現も自分を苦しめる言葉なんだけれどね・・・。大作の下絵を完成するまでの遊びなら、遊べば良いのにこだわる。こだわるから悩む。悩んで何か得た?って言うと、考えて切り開く・・が趣旨なんだけれど、

そこをすぐに聞いてしまう・・・まずは悩み、考えて1つでも自分の意見を持ち、それをするには・・・と聞くのなら質問だけれど、アイデアを1つも無く聞いてしまったら切っただけになってしまうのね。ここが理解されて1歩踏み出せると垢抜けるんだけれどね・・・。棟梁頑張れぇ。

ただ対策の下絵は何度も出してやっているようで、試行錯誤の様子は伺えたのでそっちの姿勢は悪くは無くなったのね。結果はともかく向き合っていれさえすれば、結果は後から付いて来るものだから。

さてそんなこんなでアトリエに戻って・・・


後1組チェーンをやればチェーンは終了となる。何かきついわっ・・・・。

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