katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

アオミノウミウシと下地切り抜き終了

2024-04-03 07:20:48 | モザイク作家
今日はまずカツオノエボシからスタート。ただ車検の事であれこれあったり、ワークショップ用の粘土を買いに行かないとならなかったり、地味に別の事をしないとならず、まぁこれも外に行け

って言われたと思って出掛けたけれど、まだあれこれ追い込まれる状況でも無いんで、それはそれでそっちを片付けてから、また戻ってやろうと思うんだけれど、こう言う時に良くある話で、

大抵はこうした状況に気持ちが持って行かれるのね。きっと何が?何処が?って思う人もいるだろうけれど、例えば作品作りを始めました。そしたら事務的な事でかぐやに言われたんで、判った、

じゃ行って来るって事になって、数時間抜けた時、普通ならあぁ抜けた分を取り戻そうなんて気分になったりもする。ただその中に同じサンシャインのワークショップに使う紙粘土を買う事で、

意識せずにワークショップの事に引っ張られる。まぁ俺の場合、ここで引っ張られるな・・・と自覚するけれど、そうすると頭の中に、無意識に人それぞれだけれど、割合の大小はあっても、

やらなきゃ・・・って気持ちになる。車検についてもやらなきゃならない事で、仕方無い事なんだけれど、仕事中心に考えていると、余分な時間と考えるからロスタイムみたいな気持ちになる。

だから余計に気持ちがせかされる事になる。ただそこまであれこれ追い込まれていないし、まだ余裕な気持ちが残っているなら、気にしない、大丈夫と言った曖昧な根拠の無い事で打ち消そうと

したりしなくても大丈夫なのね。ただワークショップってキーワードが頭に残っている上に、ロスタイムってワードがくっつけば、帰ったら無意識にそっちに目が行く。しかも教室が無い事で、

糸鋸の機械も出しっ放し・・・こうなれば無意識にそっち寄りになるのは当たり前なのね。ただ、俺の場合、無意識では無く意識的に、だよね・・・じゃこっちって選択をする事になるのね。

これを無意識にやっていると、結果が良ければラッキーとなり、悪いと、何でだろう?って事になる。もはや偶然だらけになる。ただその意識を変えれば行動も変わって来るんだけれど、

結果を変える為にも意識が必要なんだけれど、中々変えられないのは、今の自分にそこそこ満足しているからなのね。言い方を変えれば、追い詰められてないから。変える必要性を感じない。

でも、もし今の自分が、これからの自分は変わらないとやり切れない・・・なんて場合、自分から変えようとしなくても、変わってしまう・・・こんな場合は、特に大きくカジを切らなくても、

ほんの少しの事で大きく変われるものなのね。まっ、いずれにせよ、こんな事は安心安全な場所にいる人には全く用事の無い事であって、この先・・・なんて事を感じる人なら、敏感に察知する

事が出来る話だったりもするのね。まぁある意味、備えあれば憂いなし的な発想だから、事故なんて起こさない起こらないって思えれば保険なんて要らないし、準備なんてしなくても良いのね。

でもそれを困ってから考えると、時すでに遅しであって、日頃の練習無く困った時に初めて考えていては、いきなり試合って事になる。ただそれで逃げ切れる人は、そのくらいの悩みであって、

大きな悩みでも無いのね。何故なら練習無しでも解決出来ちゃうくらいの話だから。しかも同じような悩みを周りの人達と共有出来るのなら、経験値のある人や親切な人が助けてくれるだろうから。

もっと言えば、お金があれば、弁護士、経理士みたいに専門職に頼めるだろうしね。つまり素人でも解決出来るような話なのね。これが前例に無い・・・なんて事を選択しないとならない・・・

俺のような生き方をしようとすると、前例に無いから・・・と否定的に扱われるケースが多く、しかも相場なんて全くありゃしないのね。そもそもが一般家庭にモザイクなんて無いのだから。

しかも100均に売っているようなものなら、ダイソーでもセリアでも、好み程度の問題で何処でも何でも良いけれど、それよりも良くなんて思えば300円ショップになる。素人でも差が判るから。

つまり圧倒的って差にしないと誰もが知っている大谷さんみたいにはならないのね。後は名前すら出ない似たり寄ったり扱いになるから。いずれにしても、人と違う・・・って事をのけ者って、

思う人もいるが、大谷さんも同じで、あれは別格で・・・って扱われるなら、言葉こそ不適切だが、あれも一種ののけ者扱いで、人とは違う生き物になる。普通では無い扱いになるのだから。

つまり普通じゃ無い事を選ぶって言うのは、一般的な事をしていては何も変わらないのね。でも一体何が普通なのか?知らないと、ただの自分の思い込みに過ぎず、結果もその程度になる。

考える、構想って言うのは、常に敏感で、興味が湧くって脳じゃ無いと、何も浮かばないのね。例えば料理が好きな人と、好きでは無いけれど家族がいるから・・・って人がいたとする。

方や好きだから、家族が居ようといまいと関係ないから、作る事が楽しい人になる。ただ折角作るのなら振る舞いたい・・・と思う人と、そんな滅相も無いって思う人がいたりすると、

それが常に言っているフォワード的な生き方とディフェンダー的な生き方の違いになる。話は戻って、いずれにせよ、好きこそ物の上手なれと言うのだから、好きな分、回数も増える。

当然手慣れるから上手くなる・・・当たり前の理屈なのね。では家族の為に・・・って人は、と言うと、家族の為にやるのだから、今日は自分だけ・・・って時に、果たしてやるだろうか?

ただ人間って複雑な環境で生きているから、お金があれば、夏木マリさんと同じように、今日はウーバーイーツで良いんじゃない?って事も出来るが、作るのは面倒だけど、ウーバーってのも、

勿体無いし・・・じゃ仕方無いかぁ・・・って余っているもので、チャカチャカって作れる。そう好きでも無いが日々の反復で困らないで作れる。好きでも無くても反復で九九くらい言えるのね。

後はやるかやらないかだけ。しかも好きでも家族の為にが多く含まれると、自分の為なんて億劫になる。ただ大作って誰の物でも無く自分の為なのね。自分の為の時間なのね。だから大変。

それがもしプレゼントする事でモチベーションが上がるのなら、それもそれ。色々遠回りして言っているけれど、結局はある程度経験を積んだ時に必要になるのは、意識だの自覚だのって、目に

見えない事を腕と同じように付けないと、考える事や構想から逃げると、何かを真似して作るスタイルになるしか無いのね。歌は作らず楽譜通りに歌う歌手。料理は創作せずにレシピ通り。

図面通りに言われたまま遂行する職人。歌舞伎、落語、伝統って側に生きれば、新しい事に取り組む必要は無く生きられる。逆にその伝統を壊す考え方だと、常に新しい事を追求しないとならない。

考える、構想って事からは逃げられない・・・どっちかに偏れば、右が左か?って話になる訳で。普通ってのを選びたいのなら、どっちにもならない・・・って所が普通なんだけれど。

逆に普通ってとても難しいと思うのね・・・だって変動性だから。右も左も普通からは変わっている。受け入れ無いまでも変わっているのはすぐ判る。でも普通って言うのは、絶対数が多く、

しかも流行りに流される事になるのだから、波に乗らないとならないのね。波が来ている事に気が付かないとならないし、波に乗れる技術も必要だし、当然お金も掛かる。つまり遠浅の海。

広く浅く・・・こうすれば、色んな事に手を出せる。それを右か左かって場合、打つだけに特化、守るだけに特化って感じの野球選手みたいになるのね。普通って言うのは満遍なく・・・。

生き方って別にジェンダーなんて言葉だけじゃ無くて、間違った選択をしていたとしたら?それは日々ストレスになるって話なのね。自分の方向性や特徴を知らないと、ただやみくもにやったり、

こんなもん・・・って身の丈身の程のルールで縛られていたり、自分の立場や立ち位置を一切気にせずにいると、みんなと同じと思っていたら、みにくいアヒルの子だった・・・なんて事も多々

ある。アヒルじゃ無いよ白鳥だよってね。まぁここまで広げたらまとめる気も無いけれど、作品は自分自身なんて先人の言葉を説明すると、こんな事が含まれるって程度にご参考まで。

あくまで個人の意見ではありますが・・・。

そして予定通りに意地張って深夜に切り抜き終了。

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