katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

東錦の表札張り終わりとディスプレー台

2017-10-24 23:35:13 | モザイク作家
今日も引き続き東錦の表札。恐らく何も無ければ夕方までには張り終わる・・・って感じはしていて、かぐやといつものように色々と話しながら・・・何しろ近々に来るので、こっちに来てから何しようか?・・・って事にならないように・・・って事なのね。

それはそうと、良く最後があっけない・・・それまでの躊躇とか中休みみたいなのは何だったのか?みたいな事を聞かれる事があるけれど、これで良いのか?本当に良いのか?みたいなプレッシャーがあったり、出来たらお別れかぁ・・・みたいな空虚感だったり、

色んな思いを抱えて、いよいよ一番大事な頭の部分なんて、今まで以上にそうなるんじゃないか?みたいな気もするけれど、そんな事を経て・・・となると、ここまでは上手く行った・・・って布石があって、それに寄ってそんな気分に慣れたって事もあるが、

それよりももっと大事な事だったりする。勿論、仕事と言うのなら売らないとお金にならないのは当たり前なんだけれど、最後の最後はこれが何処にあるのが正しいか?・・・みたいな踏ん切りみたいな気持ちだと思うのね・・・。勿論、定かでは無いのね。

何故なら売れっ子では無いから、模索中になるから。その模索の中での結論は、お金と引き換えの仕事です・・・と言うのなら、感情移入も無く、ひたすら同じ事を繰り返して、慣れを手に入れる方が良いだろうが、何しろ常にスタイルが1点モノ・・・。

今後も作品に慣れる事は少ない。手慣れる事は切る張るって行為だけ。そもそもがそうなると心の部分・・・そうね、きっと本当に手塩に掛けたものであって、作品は自分自身と言うのであれば、身を切るような気持ちになるものだと思うのね・・・きっと。

つまり、そんな気分とは?となった時に、お嫁に出すような気持ちとはそんなものだと思うのね・・・ずっと側に・・・って気持ちと、お行きなさいって気持ちと・・・普通はお行きなさいが勝つから成立する訳で・・・。

そうかと思うと、学校の先生と生徒の関係だったりして、6年生は卒業して行き、また来年、新しい子が入り、また卒業して行く。その繰り返し・・・先生を辞めるまでずっと・・・。その行為を別にぃぃ・・・それが・・・と最初から簡単に言えるのなら職業。

それを何度も繰り返して段々慣れたのはベテラン・・・そんな気もするし、かと思えば、病院。治ると言う事は会えない事になる。
毎日会えると言う事は治らないって事になる・・・警察、自衛隊、消防・・・忙しいって事は事件だし・・・。

こっち側よりの生き方をすると、普通の仕事とは感覚が違って来ると思うのね・・・きっと。だから東錦の表札のような1点モノはそんな気分寄りの制作なんだろうね・・・それがディスプレー台となると・・・。



今度は大量に作る前提で考えて行く・・・商売、仕事みたいな感覚になる。つまり、車、家、服・・・なんでも良いけれど、商品開発をし、これが良いと決まったものを繰り返し生産・・・って感じに。普通と言えば普通にね。

人に寄っては無機質に出来るものだろうね・・・工程をこなすなんてやれればね。ただ、これも同じで最初の開発部分は、1点モノと考え方は一緒で、試行錯誤なのは一緒。ただ量産はそこの試行錯誤無しで、繰り返しの流れで制作をするって事。

いずれにせよ、作り方としてはこんな違いがあるんだけれど、結局、腕じゃない部分だと思うのね・・・。そんな葛藤をしつつ、また1つ作品が張り終わった・・・・東錦の表札・・・katsu作品として・・・悪く無い。

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