《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

ついでに住吉っさんへ「やってもおたっ。けど、ものは想いよう」

2018年06月06日 | Weblog

境内には約1800年前に住吉大神鎮座の際、
最初にお祀りされた場所と伝えられる「五所御前(ごしょごぜん)」がある。
「五」「大」「力」とマジックで書かれた小さな三石を探すと、
心願成就か叶うとして人気がある。
挑戦してみると案外早く見つけることが出来たが、
この石は「お守り」とし、願いが叶ったら近所の小石に五、大、力と書いて、
ここで拾った石と共に「お返しする」のがルール。
説明を読んだときはすでに、石をも元に戻した後だったし、
探すことに気を取られ、肝心の願い事も忘れていた。
あーまた「運」を逃してしもたっ。
境内の「卯の花宴」で卯の花が今、満開とのことなので、
人生初の「卯の花」と対面。この偶然が「ご利益」かも知れない。

今日の暦:昭和40(1965)年、日本サッカーリーグが開始される。


ついでに住吉っさんへ「今では安心して渡れる太鼓橋」

2018年06月05日 | Weblog

歌川国芳の門人で大坂堀江の人、一鶯斎芳梅の「滑稽都名所 住吉」では、
足を滑らせた参拝者に蹴飛ばされたか、逆さまに転ぶ男性。
住吉大社の象徴である「太鼓橋」は正式には「反橋(そりばし)」と呼ぶそうである。
今では滑り止めの横木が蛇腹の様にあるので、滑稽都名所の様な事はなく参拝できる。
境内には四つの本殿があり、いずれも西(難波の津)を向いているのは、
海の神である筒男三神と神功皇后を祭神とし、
大和王権時代からの外交上の要港だ。

今日の暦:昭和17(1942)年、ミッドウエー海戦で、日本が4隻の空母を失う。


ついでに住吉っさんへ「街中を走る・チン電の歴史」

2018年06月02日 | Weblog

天王寺駅より住吉までが「上町線」で、新今宮⇒住吉⇒浜寺までを「阪堺線」。
明治33年(1900)年、軌道に乗った客車を馬が引っ張る馬車鉄道が、
天王寺西門前から東天下茶屋まで開通し、その後電化が進められ明治42(1909)年、
南海鉄道と合併して「上町線」となる。
その後住吉神社まで延伸し、起点が天王寺駅となる。
大正10(1921)年に現在の形になる。戦後には南海と近鉄が合併するが、
その後分離南海鉄道に引き継がれた。
昭和55(1980)年、南海から分社し阪堺電気鉄道となった
。(2018/5 上町台地界隈の情報誌より抜粋)。

今日の暦:昭和41(1966)年、米無人探査機サーベイヤー1号が月面軟着陸する。