帯広市の南にある中札内村役場から北海道道111号を南西へ約21㌔の札内川沿いにある。
当時この周辺には電気がなかった為、1954(昭和29)年に
農協ダムと呼ばれた貯水ダムと小水力発電所が建設された。
しかし1年後に集中豪雨が発生し札内川は氾濫、農協ダムや発電所は土砂に埋没し、
農協ダムはダムではなく滝となった。
落差10㍍の滝としてその後観光化された。
名前の由来はアイヌ語でピヨロ・コタン(小さな砂利の多いところ)という意味。
砂利が多いということは、この川はよく氾濫することを、アイヌの人たちは知っていたのかも。
「先人に習え」とみる。
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