暗雲いまも 地下鉄サリン20年(1)事件の教訓得たか サリン製造した中川智正・土谷正実死刑囚らに面会

2015-03-17 | オウム真理教事件

2015年3月17日 中日新聞 朝刊
<暗雲いまも 地下鉄サリン20年>(1) 事件の教訓得たか
■集団は若者を集め続けている 
 春の日差しが暖かい東京・小菅の東京拘置所に十三日朝、一人の米国人化学者が訪れた。毒物学の世界的権威で、松本サリン事件の捜査に協力したコロラド州立大のアンソニー・トゥー名誉教授(84)=写真。オウム真理教元幹部の中川智正死刑囚(52)に会うためだ。無差別テロの真相に迫るための面会は七回を数える。
 「貧者の核兵器」と呼ばれるサリンが使われた一九九五年三月二十日の地下鉄サリン事件は世界に衝撃を与えた。トゥー博士だけではない。米大統領にテロ防止対策を助言するシンクタンクの会長リチャード・ダンチック氏(元海軍長官)らは二〇〇八年以降、サリン製造に関わった中川死刑囚や土谷正実死刑囚(50)らに十数回会った。米国のテロ対策関係者にとって、地下鉄サリン事件は過去の事件ではないのだ。
 約三千人が犠牲になった〇一年の米中枢同時テロ。米議会に設立された独立調査委員会は一年八カ月にわたって検証した結果を発生から三年後に五百七十五ページの報告書にまとめた。中央情報局(CIA)などがアルカイダのテロを防ぐ機会を十回も見逃した、と結論付け、「政府はテロから国民を守ることに失敗した」と批判した。
 失敗から教訓をくみ取ろうとする国がある。無差別テロを防げなかった事実に日本の治安当局はどう向き合ってきたのだろうか。捜査対象として教団が最初に浮上したのは坂本堤弁護士一家が一九八九年十一月に行方不明になった時だ。神奈川県警は自宅に残された教団バッジや血痕を重視せず、初動捜査を誤った。九四年六月、長野県松本市で八人が死亡した事件にサリンが使用された。捜査の過程で教団施設の付近の土壌からサリン分解物を検出しながら、首都で再びサリンが使用される事態を許してしまった。防げなかった責任が国会などで厳しく追及されたことはない。
 大きな犠牲から何かを学び取ろうという謙虚さが日本の行政組織には欠落している。それは、敗戦直後、戦犯追及を逃れるために機密資料を徹底的に燃やした軍や行政機関の官僚主義体質と通底しているように思えてならない。
 オウムの後継団体はアレフとひかりの輪に分裂。事件を知らない若者がいまも入信している。アレフは最大の拠点である東京都足立区の施設など十三都道府県二十四カ所の施設を持ち、信者は約千四百五十人。幹部による合同会議を意思決定機関に位置付け、麻原彰晃死刑囚(60)=本名・松本智津夫=への帰依を示している。ひかりの輪は元幹部の上祐史浩氏(52)が代表を務め、会員は約二百人。拠点は宮城から福岡まで八都府県に八施設がある。
 刑事裁判には限界がある。であるなら、なぜ事件を防げなかったのか、なぜ真面目な若者たちが麻原死刑囚によって人生を狂わされたのか、行政やマスメディアには問題はなかったのか-という問いに、さまざまな角度から光を当てる検証作業を国の責任で始めるべきだろう。オウム真理教は戦後の日本社会から生み出されたのである。
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 死者十三人、重軽傷者六千二百人以上を出した地下鉄サリン事件から二十日で二十年。いまも大勢の遺族や被害者が苦しんでいる。事件の検証が不十分なまま、オウム真理教の後継団体は若者を集め続けている。「暗雲」はまだ、消えていない。
 (この連載は、東京社会部の瀬口晴義、加藤文、北川成史、土門哲雄、清水祐樹、大平樹、中山岳が担当します)
 ◎上記事の著作権は[中日新聞]に帰属します
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中川智正死刑囚と面会した“サリンの世界的権威”の教授 
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暗雲いまも 地下鉄サリン20年(1)事件の教訓得たか サリン製造した中川智正・土谷正実死刑囚らに面会
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