暗雲いまも 地下鉄サリン20年(2)後遺症に目を向けて

2015-03-20 | オウム真理教事件

 中日新聞 2015年3月18日 朝刊
<暗雲いまも 地下鉄サリン20年>(2) 後遺症に目を向けて
 倒れた女性を介抱しながら、もう一人の女性が泣き叫んでいた。混乱するホームに降り立った東京都足立区の森瀬郁乃(いくの)さん(42)は、水たまりになった場所を「なぜ?」と思いながら歩いた。それがサリンだったと、後で知った。
 一九九五年三月二十日の朝。通勤途中に地下鉄日比谷線小伝馬町駅の手前で事故を伝える車内アナウンスを聞いた。「またか」。事故は珍しくない。ただ事ではないと分かったのは、駅で電車が止まってからだった。
 地上に出ると、路上には何人もが倒れていた。晴れているはずなのに、黒い布をかぶったように視界が暗い。泡を吹いて倒れかかってきた男性をパトカーに乗せると、胸の中に重りが入ったように息苦しくなり、しゃがみ込んだ。病院へ運ばれ、四日間入院した。
 頭痛や目まいに毎日のように悩まされるようになったのは、事件の五年後。朝起きると目の前がぐるぐる回り、ベッドから落ちてしまうこともあった。医師に尋ねても「サリン被害だと思うが、はっきりと分からない」と言われた。いまも苦しみ続けている。
 猛毒のサリンは人間の神経に影響し、目の異常や呼吸困難、最悪の場合は呼吸停止を引き起こす。「オウム真理教犯罪被害者支援機構」のアンケートに答えた被害者約三百人のうち八割近くが、事件から二十年近くたっても「目が疲れやすい」「目がかすんで見えにくくなった」など何らかの不調を訴えた。疲れやすさや頭痛に悩む人もいた。
 だが、アンケートは六千二百人以上に上った被害者のごく一部だ。被害者の調査は警察庁が九八年と二〇〇〇年に行ったが、その後は継続的な調査はなく、被害者がいま、どんな後遺症を抱え、苦しんでいるのか、国による被害の全体像の把握は進んでいない。
 事件当時、六百四十人が運び込まれた聖路加国際病院(中央区)で治療に当たった石松伸一救急部長(55)は「後遺症に悩む被害者の長期的なケアのため、国がNPOなどと連携して被害の全容を把握する調査を行うべきだ」と指摘する。
 森瀬さんは、サリン事件の被害者を支援するNPO法人「リカバリー・サポート・センター」(東京)の無料検診を毎年一回、利用している。だが、「この二十年は自分の生活を何とかするのに必死だった」と振り返る。疲れやすい体になり、通勤が難しいため、八年ほど前に会社を辞めた。混み合う電車には、いまも乗るのを避けている。
 オウムに限らず、カルト宗教に強く警戒するようにもなった。「世の中で生きづらさを感じる人が、狂信的な宗教にすがって洗脳されるのは特別なことではない」と思うからだ。
 事件を知らない若者が増えていることも気掛かりだ。「9・11(米中枢同時テロ)より前に地下鉄サリン事件というテロがあったことを忘れてほしくない。事件を伝えていくことは、これからも必要だと思う」
 ◎上記事の著作権は[中日新聞]に帰属します
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