じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
聞き書きした記録です
ほぼ一ヶ月に一回の更新です

信州蔦木宿:屋号のいわれ

2006-05-20 20:36:42 | Weblog
(わらじを脱ぐ)
上蔦木の屋号には、井筒屋、柳屋、釜無屋、大阪屋などいろいろなものがある。その中でも、言われがはっきりとわかっているという「木地屋」の小椋さんをお訪ねして、お話をうかがった。
「伊那だか清内路の方へいくと、小椋って姓はうんとあるだだよ。道端に、小椋っていう木工屋さんがずらりってあるわけ。そっちの方から来たんじゃないかと思うんだけんど。小椋家って言うのは、こっちへ来てから六代目くらいになるだよ。そこの『竹(竹偏でなくて人偏)屋』さんてのがあるでしょ。あのうちが、そのころ旅籠みたいのをしててさ。そこへ、『わらじを脱いだ』ちゅうことを聞いたんだよね。最初の先祖は家がなくて、まあ、住み込みちゅうか、昔は『足入れ』ちゅうだがな、最初はそこへ泊まって、そいで、へ住み付いたちゅうことらしいだ。」

(挽きもの屋)
 「小椋家ちゅうのは、どんどんたどっていくと、ここらへんの国の林のね、木を伐るとか、皮を剥ぐとか、そういうことをね、天下御免でもってね、誰も文句は言えなかったらしいだよね。先祖はね、木工のお椀作り。一番最初は、滋賀県の小椋村君ヶ畑ちゅうとこがあってさ。君ヶ畑ちゅうのは、『木の挽きもの屋』さんがあるところみたいな意味らしいだ。そこの衆が、同じ商売じゃ食っていかれんちゅうことで、全国へ散らばったらしいんだな。木の挽きもの屋が先祖なんだな。東京なんかにも、小椋っていうのが何軒もあってさ、昭和の20年ごろ行っただけんど、やっぱり木のプーリーなんか作ってたな。みんな木工所だ。お椀なんかは、明治の頃だと思うな。そんなことで、屋号は○木で『木地屋』。お蔵にも○木と入ってるけどね。挽きものの商売自体はそんなにやってないと思うがね。」

(おっちゃま)
 「昔はね、おらとが子供の頃のこんだが、みんな屋号で呼んでた。よろず屋さんだとか、こく屋さんだとか、みかわ屋さんだとか。名前で呼ばないで、ときわ屋の『おっちゃま』だとか呼んでた。そういう時代があったんだよね。おれたちゃ、どこのおやじさんでも、『おっちゃま』だっただ。今は、『おっちゃま』なんて言われてぇけんど、誰も言ってくれる人はいないじゃん。『おっちゃま』なんて言葉もなくなったね。その頃、『おっちゃま』って呼んでたのは、結局、所帯もった五十以上の人じゃねぇかね。『おっちゃまなんて呼ばれてぇない』なんて冗談で言うこともあるけんどね。」と、最後は笑いながら、お話くださった。
 
 



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