じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
聞き書きした記録です
ほぼ一ヶ月に一回の更新です

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小六の遭難

2006-06-29 20:43:57 | Weblog
(遭難の碑)
小六から高森にむかう県道から少し引っ込んだところに、ひっそりとたたずむ碑がある。碑には『小池国人君遭難の碑』と銘が彫ってある。 何日か前に草刈をして、掃除をしたようで、きれいに整備されている。 近くの方に聞くと、ゆかりの方がおられ、碑前の清掃をしたり花を手向けたりしていると言う。 お話をうかがったのは国人さんの息子さんのお嫁さんに当たる方だ。
 「昭和の8年のことだ。 県道をね、広くして平らに回す工事のときにね、山が邪魔になったもんでね。 尾根をほら、部落の人が出払いで出て、手掘りでもって堀っただよ。そいでたら、そん時はとても寒い時でね、凍ってただって。それが西側から寒い風があたってさ、表(西側)からは掘れなんだだよ。 そいで、山の東の日の出の方から掘っただって。 そしたら、つっつんだだよ。上がガサッと崩れて、みんな逃げたんだけんどね、その下になっただって。 そんで硬い土の下になったもんで、掘り出せなんだだと。今だったら機械を持ってきて、ゴッとやるけんども、人の手だで、やっと出しただと。 そんなもんで、部落でもってお葬式を出してくれたらしい。 そんで、何人かの人でお石塔を立ててくれたってことだ。 私が生まれた年のことだで、この話はばあちゃんが話してくれた話だ。」
(事故の話)
その頃のことを、実際に見てご存知の方は、なかなか見つからなかったが、ご主人が一緒に工事に携わっていたと言う方を探し出しお話をうかがった。
「事故のあった頃は、子供と言っても若い衆のころかなぁ。私の主人が一緒に中に入ったんですよ。 その時の話は聞いたことがありますねぇ。 まだ私の主人はひとりもんだったもんで、奥の方へ2~3人で入っていて、国人さんたち所帯持ちは口元の方に居たんだって。 なんでもそのときは土が凍ってたんだけど、トンネルみたいにめた掘っていったらしいだよ。そしたら土が、まっすぐ下に落ちなんで、ドサッと口元にむかって斜めに落ちたんだと。 そいで国人さんだけ下敷きになって・・・。 だで、中の人は急に上が明るくなったんだと。どういうふうにやって出ただかわからんけんど、怪我も無かったの。みんな村人足ちゅうことで出たんだそうだ。」
(国人さんのこと)
「国人さんとは、10歳くらい離れてたんじゃないかねぇ。 とてもいい人だったよ。 私の家は、その頃はちょっと向こうの方にあってね、まだほんの子供の頃に、お友達んとこで遊んだか何かの帰りに、こっちからうちの方へ行ったんだ。 そしたらね、国人さんがね、木をかついでね、来ただよ。 『どけぇ行ってきただ。遊んできただか。』って言ってね。そんなことを覚えているがね。 とても人づきのいい、いい人だった。兵隊かなんかに行ってた頃かもしれない。 そんなに親しいってわけじゃなかったけんど、『ああ、国人さんっていい人だなぁ。』って思ってたね。」
こんな話も、だんだんに忘れられてしまうのではないかと思い、書き留めてみました。 村の発展の過程で犠牲になった人もいたんだという事、心に刻んでおきたいお話でした。

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