じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
聞き書きした記録です
ほぼ一ヶ月に一回の更新です

宝物と思い出

2007-01-02 11:21:43 | Weblog
 ここに取り上げている話は、町の公民館報へ連載しているものです。今回は2年間のまとめとして、文章を書いてみました。そのまま掲載します。

(宝自慢)
富士見の宝自慢と銘打って、このコーナーを2年近く受け持ってきた。宝というと、何か目に見える“もの”、例えば仏像とか特別なお祭りとか、そういったものの紹介を期待されていた方も多かったと思う。今まで、取り上げた話題は「乙事うり」「石工」「猪鹿よけ」「博労さんの生き様」「瀬戸講」「農鍛冶」「屋号」「小六の遭難」「旅するいんげん豆」「満州からの引き上げ」「休戸のにぎわい」等と、種々雑多で取り止めがない。その時にどの話題を取り上げるかは、何かの用事でその地区にうかがったときに聞き込んだことをもとに決めている。そして、そのことに詳しい人を聞きだして、お訪ねしている。例えば、「屋号」の時は、下蔦木で屋号の話を聞き取りしていたときに、いわれがわかっているのは「木地屋」くらいだと聞き込んだ。その苗字が「小椋さん」であることで、木地師についての自分の僅かな知識から多少の自信を持って、お訪ねする。そしてお話の中で、“先祖は木曾から来た”“おおもとは京都の君ヶ畑”なんて言う話を聞きだして、うんうんと頷いている。
また、予想していたのとは、全く違った展開になって、かえって面白かったというのもある。乙事の博労さんにお話をうかがった時には、話が弾み、身延とのつながりが浮かび上がってきた。そうなると、行ってみたくなるもので、はるか身延まで出かけてしまった。そして、そこで、乙事まめが作られているのを発見してしまったりする。この時はさすがに興奮した。

(方言で聞き書き)
「俺はこんなに方言をつかってないぞ」いうお叱りも受けたこともあるが、お話をうかがって、そのまま文章にしている。出来るだけご高齢の方の所へうかがうので、やはり方言もきちんと話しておられる。方言は恥ずかしいなどという時代も、ちょっと前にはあったようだが、今はそんな時代ではないと思っている。なので、話し振りを忠実にということを心がけている。公民館報の編集をやめたときに、いくらか方言がうつっていないかなぁ・・・というのがささやかな希望だったりする。
 そういった意味でも、お話をうかがうときに失礼かとは思うが、録音させていただいている。
実際取材の時には、話題があっちへ行ったりこっちへ行ったりする。テープを回しながら、それを筋がとおるように、つなぎ合わせていくのは、なかなか難しい。が、楽しい作業でもある。

(“宝”とは出会い)
思うに、宝物って言うのは人や物との“出会い”のことをいうのではないだろうか。その人が一生の中で、出会った人や物を通して、いろいろな思い出をつむぎだしていく。その思い出が宝物として、その人にずっと残っていく。そして、その思い出がしみこんだものが、その人の心に懐かしい気持ちや、若い頃の気持ちを起こさせるのかなと思う。石工の道具やら、博労(家畜商)の免許やら、遭難の碑文などが、それにあたるのだろう。実際お話をうかがって、特にご高齢の方に見られる傾向がある。お話をうかがう前には、なんとなくしょんぼりとしている感じがするのだが、話が弾んでくるにしたがって、まるで空気入れで風船に空気を入れているがごとく、だんだん立ち上がってくるような方が多いのである。昔の話を聞くことで、こちらもなんとなく癒される気がするのだが、話されているほうも癒されているのかなと思う。
 今のような便利な時代ではない時期を、ご存知の方はかなりご高齢になっている。ひとりでも
多くの方のお話をうかがおうと、少しあせっているというのが正直なところだ。