じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
聞き書きした記録です
ほぼ一ヶ月に一回の更新です

醤油しぼり

2005-04-15 17:50:25 | Weblog
(醤油しぼり機の話)

 今では、醤油も味噌も、お店で買うのが当たり前ですが、5~60年前までは自分で作る=自給が当たり前でした。 そんな醤油のもとである“たまり”を絞る機械が残っているという話を聞きました。 昔は、“たまり”を仕込んで搾るころになると、常会で持っていた醤油しぼり機を借りて、各人の家や、隣近所と共同で搾っていたそうです。

(こうじは共同で)
 
 「そうですなぁ。醤油や味噌を作っていたのは、戦前までですかなぁ。戦争中にいろんな物資が配給になって、塩が自由に入ってこんようになったです。そのあたりから、自分とこで作るというんが、だんだん廃れてきたんです。ここの常会は、昔は30軒ほどあったんですが、集会所というのがありまして、その下に穴ぐらを作って、共同でこうじを作ったんです。こうじが出来るまでは、毎晩交代で泊り込んで、炭をおこして、温度が下がらないようにしたんです。広さは8畳くらいで、人が立って歩ける高さがありました。穴ぐらのことはむろ室といってましたが、その室に棚を作って、お蚕のかごにこうじを広げて、時々かきまわして、そうですなぁ…1週間くらいかかったでしょうかねぇ。」と、お話してくださったのは、神戸の小林さん。

(醤油が出来るまで)
 
 「そうやって作ったこうじや、豆、麦をひき割ったものを二斗樽、四斗樽に入れて、塩、水を混ぜて、あの頃はどの家にも「味噌蔵」というものがあったんですが、そこに漬け物やなんかと一緒に入れときました。それを“もろみ”というんですが、しょっちゅうかき回さないとならないんですな。半年くらいたてば醤油にはなるんですが、1年くらい寝かせたほうがおいしいんです。その“もろみ”をすくってご飯のおかずにすると、これがまたおいしいので、よく食べたもんです。」

 (醤油を搾る)

 「1年たったら、“もろみ”を大きな麻の袋に入れて、3つも4つも重ねて、醤油搾り機の木枠の中に入れるんです。うわっかわに厚い板を乗せて、ちょうどジャッキの要領で、上から締め付けていくと、下側から醤油がポタポタ落ちるという仕組みになってるんですな。一軒でやるうちもあったが、たいがい近所で集まってやったもんです。搾ったカスはまた塩や水を混ぜて仕込めば、2番搾りということになる。“まての人”は3番搾りまでやってましたな。」
 小林さんのお話を伺っているとき、まるでその光景が目に浮かぶようでした。 
醤油搾り機は、常会の倉庫にあるか、誰かの家に貸したままかよくわからないとの事で、目にすることは出来なかったが、実際に使える状態であれば、醤油搾りを再現してみたくなった。