じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
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法華道 その1

2009-08-19 20:23:28 | Weblog
 若宮と高遠の山室を結ぶ法華道という道があったことをご存知だろうか。今回は、伊那側で法華道を復元している北原さんという方と一緒に、富士見側の話をうかがうために、若宮の名取さんをお尋ねしました。

(炭焼き)
「俺はちっくいうちからさ、親父が炭焼きをしてたから、西山なんかにはしょっちゅう行ってたな。花場からず~っと川沿いに山ん中へ入っていくと、『石小屋』ちゅってな、そこになあ、釣り師なんかが雨の時に宿れるような石がこう突き出たような場所があった。いまは崩れちまったが、焚き火したあとなんかがあったさ。ありゃあ山に入り始まった十いくつのころだったかな。その石小屋の奥のあたりで炭焼きしてたおやじを、急用があって、ひとりでむけえに行ったことがあったが、おっかなかったなぁ、山ん中は。」

(法華道)
「法華道かい。俺もよくはわからんが、この集落の上の辺りの鉄塔の辺で、昔の鎌倉街道から分かれてたっちゅうこんだ。そして、上っていくと、入笠会館の下に出て、そこから入笠山まで登ってく道さぁ。国調があったときに、ちょうどその辺にあるいとこの畑の真ん中に、赤線が通ってて、そりゃ~消えねぇって言ってたで、あれなんかも法華道の跡だと思うがな。いつのまにか畑になったんだろうな。ほいで、上ってって、戸田市の施設のちょっと下に出る。ちょうど消防林の辺りかな。そこらに今の新しい道をななめに横切る道があってさ、そこを上って尾根に出たあたりに、あの辺は鍋山っていうんだがな、見晴らしがいい場所があった。そこいらは小学生の時に遠足で行った覚えがあるな。なあに終戦前のことさ。入笠に遠足に行くといやあ、大平のあたりから、今のスキー場を登って行く道やら、若宮から登っていく道やら、そこの大石のところから登っていって『ぶなの木横手』や『大久保の沢』通って、木の間から登った道と一緒になる道やら、とにかくたくさんあった。いくつも道があるだよ。そいでたいがい上の方で、一緒になってるんだがな。法華道がどれかなんちゅうことは、はっきりはわからんなあ。」

(山の幸)
「入笠の仏平峠の先の沢を『テイ沢』って言うんだが、子供のころからウドを採りに行ったり、魚を捕りに行ったりしたな。あの沢は、小黒川につながっているだで、魚がいるよ。『テイ沢』、『南沢』、『地獄谷』ってあってな。あの辺は丸金で開発しただ。ほれ、自転車が走ってる釜無林道なんかも最初は丸金がやっただぞ。魚は電気で捕ってた人もいたが、たいがいは昔の小さな網で、ガシャガシャと追い込んで捕っただ。簡単に捕れたさ。結構捕ったぞ。ウド採りしてると、川ん中にヒラヒラ見えるだもの、そりゃあ捕るさよ。終戦後すぐには、笹の実も採りにいったぞ。腰ビクつけてな、ビクいっぱい採ったらズック袋に入れちゃあ、しょって帰ってきたな。製粉して粉にしたり、精米して食べたり、団子にしたり、そればっかじゃこそっぱくていけなんだから、小麦粉と混ぜたりしてな、尊い山のめぐみだったな。朝んなりゃ山道をゾロゾロってなくらい、登ってたもんさ。」 (続く)
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華道を習いたいと思っています (花が中心だと有難い)
日本のアレンジメントが「固い」感じがする